第一章② ルキフェル
翌朝。疲労がまだ全員の身体に残っている中、旧マクシム隊への情報共有についてはワンが自ら役目を引き受けてくれた。
「話す内容が多い。整理役は必要だろう」
現在食堂では旧マクシム隊の面々が集まり、ワンを中心に状況説明が行われている。重たい空気の中、最初に恐る恐る口を開いたのはジョルジュだった。
「あの……口に出すのも憚れるかと思って、黙っていたんですけど……」
「なんだ」
ワンが促すとジョルジュは躊躇ってから小声で言う。
「監視官に変装していた人って……サン・マロでボクたちを襲った人、ですよね……?」
リゼーヌとスザンヌも顔を見合わせて頷いた。
「……私も、そう思っていました」
「私もです」
「あ、あれ顔そっくりだけど違う。双子の弟」
「え」
ペネロペが口を挟み、ジョルジュが固まった。そこへ追い打ちを掛けるようにサミュエルが言う。
「僕たちを襲った方は、もう死んでる」
「えぇ……」
ジョルジュの声が裏返る。ワンは深いため息を吐いた。
「……それも含めて、まずは誰が味方なのか。君たちへ順番に話そう」
そうして、食堂側では長い説明が始まっていった。一方、応接間では五鬼衆改め五人組海賊とダミアンが屋敷侵入計画について話し合っていた。応接間の机上には簡素な屋敷見取り図が広げられている。
「ここです。隠密を行う際によく使っていた裏口があります」
ダミアンが見取り図を指差し、ルキフェルが地図へ視線を落とす。
「使用人は?」
「必要最低限しか居ません。屋敷内は基本的にガランとしています」
「……シルヴェストルたちは?」
「夜は早いです」
ダミアンの言葉にニールが眉を上げる。
「早い?」
「離れへ引っ込みます。思考に没頭する時、あの人たちは外界を遮断するので」
マテオが「うわ、嫌な一族」と呟き、ダミアンは即座に続ける。
「ただし、当主としての職務に合わせて朝は非常に早い。実行するなら夜の短時間ですね」
応接間に緊張が落ち、ダミアンが真っ直ぐルキフェルを見た。
「屋敷内の先導は、ボクがやります」
ルキフェルは机上の見取り図に視線を落とした。
「屋敷内で戦闘になる可能性も考える。腕が立つ奴を何人か連れていくべきだ。材料を抑えると言っても、積み荷ごと運び出すわけじゃない」
ダラス家が活動を再開する前に、夢蛇関連の証拠を抑えなければならない。必要なのは証拠、短時間で押さえて脱出すること。ルキフェルは視線を上げた。
「マテオ。お前は暗闇に慣れてるだろ」
「まあな」
「ジャスパーとダミアンも必須だ。旧マクシム隊から何人か協力してもらうか、後で聞いてみよう」
「……悪いけど、僕は辞退させてもらうよ」
ニールが椅子へ腰掛けたまま視線を逸らした。以前、ドミニクによって刻まれた傷、あの日の記憶。ルキフェルはニールを見て頷く。
「……分かった」
応接間に重たい沈黙が落ちるが、マテオが真顔でぶった斬って言う。
「ジョルジュは留守番だな」
「えっ」
「あいつ、多分隠密向いてない。うるさいから」
本人不在で決定され、コリンが吹き出した。ジャスパーは片手で顔を覆い、ダミアンは肩を震わせる。ルキフェルも思わず額に手を当てた。
「……否定はできないな」
その後、市場へ朝食を買いに行っていたグレゴワールとヴィクトル、それからポーランが旧バティーユ邸へ戻ってきた。紙袋いっぱいのパンと果物を抱えている。
「おー、いい匂い」
コリンが即座に反応した。一方、食堂ではまだ旧マクシム隊への情報共有が続いているらしく、重たい空気は継続中だ。
「……こっちは先に食べるか」
ルキフェルがそう言うと、応接間の机へ次々とパンが並べられていく。皆、思った以上に空腹だった。ジャスパーは椅子へ深く座り込みながらパンを齧っており、マテオは二個目に手を伸ばしている。コリンは果物を抱え込み、ニールは珈琲らしき黒い液体を啜っていた。ルキフェルとニールの元へ、ポーランが近寄ってくる。
「そういや、港でアーシャ海賊団が来てたっす」
「は?」
ルキフェルが顔を上げ、隣のニールも椅子から勢いよく身を乗り出した。
「アメリアたちが!? 生きてるの!?」
ニールが声を裏返して叫んだ。
——恩返しに自分の出生が判明したら必ず教える。
バッカニア一族の長老との約束。その報告役としてアーシャ海賊団をトルチュ島へ向かわせていた。
「皆、無事だったっすよ。アーシャさんもフェリスさんも、カルロータさんもディッキーさんも」
ポーランが頷き、ルキフェルは長く息を吐いて肩の力を抜く。ニールも胸を摩りながら目を閉じた。
「……良かった」
「んで、そのトルチュ島の長老がこっちに来てるって」
「…………は?」
ポーランの発言に五人組海賊の思考が一瞬真っ白になる。コリンが掠れた声を漏らした。
「……なんて?」
「いやだから……来てるんですって。御本人が」
ポーランは困ったように頭を掻いた瞬間、応接間の一部の空気がぞっと冷えた。ジャスパーがパンを持ったまま動きを止め、マテオは果物を頬張ったまま眉を顰めた。ルキフェルは冷や汗を掻きながら囁く。
「あの人が、島を抜け出したってことか?」
バッカニア一族の長老。海賊社会の古い掟と歴史の象徴みたいな人物。そんな存在が自ら島を出るなど普通ではあり得ない。
「一体なぜ……」
「さあ。詳しくは……けどアーシャさん曰く、長老はルキフェルさんに話があるって」
ポーランは肩を竦めて真面目な顔になる。五人組海賊は互いに顔を見合わせた。やがて、旧マクシム隊の面々がぞろぞろと応接間へ戻ってきた。全員、ひどく疲れた顔をしている。脳が情報処理を拒否している顔だ。最後に入ってきたワンが妙にケロッとしている。
「お疲れさまです……」
ジョルジュが魂の抜けた声で呟いた。リゼーヌも遠い目をしている。ルキフェルはそんな二人を見ながら机上の果物を一つ摘み上げた。
「……理解できたか?」
「訳分かりません!!」
二人の声が応接間に勢いよく響き渡る。コリンが吹き出し、マテオは「だろうな」と呟いた。ジョルジュは果物を齧りながら半ば叫ぶように言う。
「というか、あなた……とんでもない爆弾抱えてたんですか!? あの大元帥の息子だったなんて!」
「なんだ、分かってるじゃないか」
「そこだけですよ!」
ルキフェルは淡々と返し、ジョルジュが即座にツッコむ。二人の横でリゼーヌが頭を抱えていた。
「教団とか、幻覚剤とか、二十年前の事件とか……もう、ごちゃごちゃでよく分かりませんけど……ダラス家が因果の根源ってことは分かりました! そいつらを懲らしめればいいわけですね!」
ルキフェルは果物を飲み込んでから息を吐いた。
「ああ。けど……もう復讐は懲り懲りだ。別の方法で奴らを追い詰める」
その時、近くへ来ていたスザンヌがルキフェルを見る。
「……幾つも抱えてたんだね、重いもの」
「……は?」
ルキフェルは目を瞬かせ、スザンヌは目を伏せて続ける。
「ずっと戦ってたんだ。大変だったでしょう」
ルキフェルの喉が詰まって枯れた声を振り絞る。
「……別に大したことじゃねえよ」
「嘘。大したことじゃない人、そんな顔しないもの」
ルキフェルはスザンヌから顔を背けた。どう返せばいい。怒鳴られることも恐れられることも、拒絶されることも慣れているが、真正面から心配されることには慣れていなかった。しばらくして、ルキフェルは目を閉じて呟く。
「……まあ。色々、あったな」
スザンヌは躊躇ってから頷く。二人の様子を見ていたジャスパーが神妙な顔でパンを齧っていた。
その後、朝食を終えた一行は応接間へ留まった。今度は旧マクシム隊も含め、全員揃っている。机上にはダラス家の見取り図や簡素なメモ書きが散乱していた。ルキフェルは窓際へ寄りかかって口を開く。
「改めて共有する。俺たちは、夢蛇密輸の証拠を押さえるためにダラス家へ侵入したい」
その瞬間、ペネロペが片眉を上げた。
「密輸だけ? あいつら、他に悪どいことしてるんじゃないの?」
ルキフェルは息を吐いた。
「ある。あの海賊戦争で、エドガーを裏から操っていたのもダラス家だ」
旧マクシム隊の面々が顔を上げ、シャルルが片眼鏡を押し上げて呟く。
「……なるほど。おかしいとは思ってたんだ。およそ八十隻もの海賊団が、ランデヴェネックへ集結するなど普通なら不可能だ。……なるほど、ダラス家が関わっていたか」
シャルルの横で、アニータが嫌悪感を隠さず顔を顰める。
「やってること国家転覆じゃない。今の王様側で、宰相みたいなことやってる一族が……実態は政治的に対立してる側の人間だったとか。内側から崩壊を狙うために戦争を起こしてたなんて……気持ち悪っ」
「それ、夢蛇よりもっと重い罪じゃん。そっち狙おうよ」
ペネロペが机へ肘をつきながら言った瞬間、ニールが首を横へ振った。
「残念ながら……難しい。真実に一番近い僕らは、この国じゃ犯罪者扱いだからね。海賊戦争について立証するには、物的証拠が足りなすぎる。だから、まずは夢蛇だ」
重たい沈黙が落ち、ジョルジュがぽつりと呟く。
「なんというか……敵が思ったより国家規模なんですね……」
「今さら?」
コリンが即座に返し、ジョルジュは真顔で言う。
「いやだって、最初は普通に『強い海賊たちの話』だと思ってたんですよ」
「……俺も途中まではそうだった」
ルキフェルが額を押さえ、ロザリーが物憂げな表情で口を開く。
「でも……ダラス家は厄介よ」
全員の視線が彼女へ向き、ロザリーは紅茶の表面を見つめて続ける。
「王宮でも、あの王からも信頼が厚いわ。夢蛇だけでダラス家が崩れるとは思えない」
応接間の空気が少し沈むが、待ってましたと言わんばかりにティエンが手を挙げた。
「オレ、それについて思うことがあるんだ。ちょっといいかな。オレから話したいことがある」
ティエンに見つめられ、ルキフェルは軽く頷いた。
「構わない」
ティエンは息を吐き、言葉を選びながら皆を見渡す。
「みんな、リュミエール家謀反事件……あるいは、リュミエール家断絶って聞いたことある?」
その瞬間、ジャスパーは息を呑んで目を見開いた。
「ああ、あれか。十三年前、国家謀反の罪で一族もろとも処刑された家」
シャルルの言葉にサミュエルも何度か頷く。
「僕もよく覚えてる。当時、貴族の間じゃ大スキャンダルだった」
スザンヌとリゼーヌも顔を見合わせる。
「噂で聞いたことがあります」
「……私も」
一方、ジョルジュは頭を抱え始めていた。
「また知らない事件が増えた……」
コリンが「頑張れ」と雑に彼の肩を叩く。対照的に、同じく孤児出身のペネロペはケロッとした顔のままティエンを見ていた。ティエンは続ける。
「そう。んで、その事件記録が妙だったんだ。記録同士で矛盾してる。証言も噛み合わない。だからオレ、前から思ってたんだよ。リュミエール家は嵌められたんじゃないかって。グレゴワールと記録を確認したらさ、リュミエール家を告発した人物と事件記録の作成者の両方が、シルヴェストル・ダラスだった」
応接間の空気が凍った。静寂の中、ロザリーが顔を上げて旧マクシム隊の仲間たちを見回した。
「……前に死んだ婚約者の話したでしょ? それがリュミエール家の長男」
旧マクシム隊の面々が息を呑み、ロザリーは続ける。
「サンジェルマン=アン=レーに、クレマン家の屋敷があるの。リュミエール家はやってないって証拠が……私の部屋にある」
ティエンが顔を上げ、ロザリーは彼を見た。
「彼の遺品よ。私、それを取りに行きたいの。物的証拠として使ってちょうだい」
「ああ」
ティエンは声を落として返答した。ルキフェルは一度目を伏せ、窓の外を見る。
「……それさえあれば、ダラス家は一度だけじゃない。何度も罪を重ねてきたって証明になる」
ルキフェルは机上の見取り図を引き寄せた。全員の視線が集まる中、彼はダラス家の見取り図へ指を置く。
「二チームに分かれよう。一つは夢蛇、もう一つは遺品の回収。メンバーを決める。それから計画、実行に移ろう」
応接間のあちこちで椅子が軋み、人々がそれぞれ動き始めた。その中で、真っ先に立ち上がったのはジョルジュだった。まだ少し顔色が悪い。
「ちょっと、外の空気吸ってきます」
マテオが椅子へ座ったまま眉を顰める。
「見つかるなよ」
「分かってますよ、師匠!」
「誰が師匠だ」
「え、違うんですか?」
「違う」
ジョルジュは「またまたぁ」と笑いながら応接間を出ようとし、ルキフェルの脇で足を止めて苦笑する。
「……頭ごちゃごちゃです。でも、向き合わないと隊長の魂が救われない」
ルキフェルは瞳を揺らし、ジョルジュは彼の横顔をチラリと見た。
「あの人も……ダラス家のせいで人生めちゃくちゃにされたんですよね」
ルキフェルは声を落として言う。
「……もちろん。ダラス家が間接的に関わってるのは間違いない」
二十年前、ダラス家先代当主が裏で行っていた人身売買が全ての始まりだった。あの日、レオパード家は壊れた。自分もアントワーヌも人生を狂わされた。ルキフェルの胸中に古い記憶が鈍く沈む。
「……そうですか」
ジョルジュは呟くと応接間を出て、扉を静かに閉じた。やがて、人々は少しずつ散り散りになっていく。応接間に残る人数も減っていく中、ルキフェルはロザリーへ近づいた。ロザリーは窓際の席で紅茶を見つめている。
「……さっきのこと。なんで話そうと思ったんだ」
ルキフェルが低く言うとロザリーが顔を上げた。
「目と呼吸を見れば分かる。……怒りと悲しみを湛えていた」
ルキフェルはロザリーを見据えて言った。ロザリーは目を伏せて笑う。
「さすがね。もちろん、苦しいわ。でも……シルヴェストルが関わってる以上、黙っていられない」
ロザリーは再びルキフェルを見上げ、柔らかく微笑む。
「あなたという人をちゃんと見て……初めて知ったの。破壊じゃない復讐もあるって。……気づかせてくれて、ありがとう」
「……俺は」
ルキフェルは目を泳がせ、言葉に詰まって顔を背けた。
「……共に真実を証明しよう」
ルキフェルは早足気味に立ち去っていく。応接間の隅にいるアニータが、彼の背中を心痛な思いで見つめていた。ロザリーは立ち上がると、ジャスパーが真剣な眼差しで話しかける。
「ロザリー。これからティエンと話したいんだ。一緒に来てくれないか」
ロザリーはぱちりと目を瞬かせた。
「ティエン?」
「うん。あの事件調査の人」
「……ええ、構わないけど」
ロザリーは困り顔で頷いた。少し離れた場所で、シャルルがグレゴワールにじりじりと詰め寄っている。
「兄上。あなた、そんな重要案件抱えていたなら早く言ってくださいよ」
「いや、まだ確証が——」
「ありましたよね?」
「……」
「ありましたよね?」
シャルルの片眼鏡が不気味に光り、グレゴワールは三歩後退した。
「……知らぬ存ぜぬで通せないかな」
「通せると思います?」
「思わない」
シャルルの追及はまだしばらく続きそうだ。
ルキフェルが応接間を出ると、エントランスは静けさに包まれていた。中央でサミュエルが一人、何かを見上げている。ルキフェルは彼の隣へ並んで同じ方向を見上げた。視線の先にあるのは、あの肖像画だ。若い頃のサミュエルと女。二人とも穏やかな微笑を浮かべている。しばらく無言が続いたあと、ルキフェルがぽつりと聞く。
「……隣の人、奥さん?」
「まあ、な。けど……何年も前に、遠くへ行ってしまった」
サミュエルは少し目を細めた。それ以上は語らない。ルキフェルも追及しなかった。二人はしばらく肖像画を眺めていると、エントランスの隅から小さな話し声が聞こえてきた。ルキフェルが音の方に目を向けると、ヴィクトルとスザンヌがいる。どうやら、二人きりで話していたらしい。ヴィクトルは妹を真っ直ぐ見つめながら言う。
「スザンヌ。ダラス家を告発したあと……僕が父上を説得してくる。君を再び家族として迎えられるように」
ルキフェルの胸が小さく跳ねたが、スザンヌはゆっくり首を横に振る。
「無理よ、お兄様。……いくら真実を証明できても、マクシム隊が謀反を起こした事実は覆らないもの」
ヴィクトルの表情が曇るもスザンヌは続ける。
「もう……私は家に帰れない。リゼーヌも勘当されたの」
ヴィクトルが何か言い返そうとしたが、スザンヌは先に小さく笑った。
「だから、お兄様は夢蛇のことだけ考えて。私には何もしないで」
数秒の沈黙。直後、ヴィクトルは顔を涙でぐしゃぐしゃにした。
「ぅ゛……っ、スザンヌゥ……!」
——泣き声、汚なっ。
ルキフェルが思わず眉間を皺だらけにする一方、スザンヌは慌てて声を張りあげる。
「お、お兄様!? ちょっと、本当に泣かないで!」
「だってぇ……!」
「人が見てるから!」
「見られてもいいっ……!」
ルキフェルは眉を八の字にして二人の光景を見つめていた。
——家に帰れない。
スザンヌはそう言った。もう戻れない、帰る場所がない。けれど、彼女は泣かなかった。受け入れていた。何故だか胸の奥へ妙に重く沈む。ルキフェルの隣でサミュエルが息を吐く。
「……優しい子だな」
ルキフェルが視線を落とした時、エントランスの玄関扉がギギッと重たく開く。ルキフェルが反射的に振り返ると、汗だくのニコラが入ってきた。
「っはぁ〜……暑っ」
ニコラは肩で息をしながら乱暴に外套を脱ぐ。どうやら港から直接戻ってきたらしい。ルキフェルはニコラに歩み寄ると肩に手を置いた。
「お疲れ。港の方は?」
ニコラがぴたりと固まり、数秒後にはじわじわと口元を緩み始めた。
「えっ、何その珍しいスキンシップ」
「……は?」
「いや、今肩触りましたよね?」
「報告を聞いてるだけだが」
「へぇ〜」
ニコラはニヤニヤと目を細め、ルキフェルは怪訝な顔をした。
「気持ち悪い顔するな」
「いやぁ、嬉しくて」
ニコラはケラケラと一頻り笑ったあと、即座に真剣な眼差しで告げる。
「リー・ウェンの組織船も、アーシャ海賊団も今は造船所で修繕中ですよ。特にアーシャ海賊団の方はボロボロですからねぇ。しばらくはバカンスですって」
ルキフェルは肩の力を抜いた。全員、限界まで走り続けていた。少し休むくらいで丁度いい。だが、ニコラはそこで思い出したように言う。
「それと長老から伝言です。今夜、そっちに行きたいとのこと」
ルキフェルの顔が強張り、ニコラは呑気に続ける。
「いやぁ、長老自ら来るとか珍しいっすよねぇ」
ルキフェルは数秒沈黙したあと口を開いた。
「……わかった。待つよ」
ニコラは「了解でーす」と軽く返して周囲を見回した。
「あと、ここ居ていいですか?」
「?」
「港いても暇なんですよね。みんな、修繕作業で忙しいし」
元フランソワ海賊団の部下らしい気軽さ。ルキフェルは溜息を吐いてぶっきらぼうに言う。
「……勝手にしろ」
「やった」
ニコラが即座にソファへ向かっていく後ろ姿を見送り、ルキフェルは目を伏せて床に映る自分と目を合わせた。
——今夜、長老が来る。
海賊社会の掟、自分の血筋。そして、大元帥の息子という真実。何を言われるのか、薄々分かっている。床に映った翡翠の瞳はひどく濁って見え、鮮やかな色彩を通さなかった。




