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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】9・10巻「完結編」  作者: セキユズル
第六章「知らん! 真相は闇の中だ!!」
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第六章④ 法廷Part3

 法廷の空気がシルヴェストルの「受けて立つ」という言葉を境に、場の熱が変わっていた。貴族席の一人が眉を顰めて口を開く。


「男たち、だと? ゼフィランサスの手下ではないのか?」

「違う!」


 レオンが声を張り上げた。法廷中の視線が集まり、レオンは立ち上がったまま半ば感情的に続ける。


「あの日、ゼフィランサス船長は一人で出かけた。戻ってきた時、抱えていたのは子供たちだった。ルキフェルとアントワーヌを! その後、俺が船医室にいる間に甲板の方で突然悲鳴が上がった。何があったのか聞いたら仲間が言った。『知らない男たちが船へやってきた瞬間、ゼフィランサスが襲いかかった』と。自分たちも加勢して……血祭りになったそうだ。だが」


 レオンは息を荒げながら首を横に振った。


「男たちの正体までは分からなかった。仲間も知らないと言っていた」


 法廷が静まり返った時、ワンがレオンの隣で裾を揺らして立ち上がる。


「……補足しましょう。私はリー・ウェン。こちらの船医殿ともう一人。当時、ゼフィランサス海賊団でクォーターマスターを務めていた男から数々の証言を記録しております」


 その瞬間、貴族席がざわついた。


「ああ、あの情報屋の……」

「神出鬼没と聞いていたが……」


 ワンは気にも留めずルキフェルへ視線を向ける。ルキフェルは無言で頷き、ワンは懐から古びた手帳を取り出した。パラリとページがめくられる音が法廷へ響き、ワンは手帳へ視線を落として淡々と語る。


「まず一つ。ゼフィランサス海賊団は、当時サン・マロへ向かっていた。その道中、ゼフィランサスは仲間の目を盗み、単独行動を繰り返していたそうです。そこで、このクォーターマスター殿は独自に探りを入れた結果、あの夜にゼフィランサスに殺された男たちは人攫いであったと判明したそうです」


 ざわっと法廷が揺れ、シルヴェストルは目を閉じる。ルキフェルの背後、マテオが小声でニールに唸る。


「……なんて言ってるんだ」

「待って。今訳すから」


 ワンはなお手帳に目を走らせながら続ける。


「さらに、ゼフィランサスは二月十八日の《双星の海戦》にて死亡。しかし、クォーターマスター殿はゼフィランサスの残した謎を追い続けた。数年をかけて旅を始めたそうです」


 ルキフェルは目を伏せて胸の奥がじくりと痛んだ。アランもまたゼフィランサスに人生を狂わされた人間だった。いや、影響を受けずにはいられなかった。ゼフィランサスはあまりにも強く、あまりにも大きく、風のように人を巻き込む男だったから。法廷に漂うざわめきの中、ニールに耳打ちされていたマテオがようやく口を開く。


「……そりゃ 助力に感謝するなんて言い方してた時点で、同じ海賊団とは考えにくいな」


 貴族席が静まり、マテオは椅子へ深く腰掛けたまま鼻を鳴らした。


「お前らには分からねえと思うが……仮にゼフィランサスと人攫いどもが同じ海賊団だったとして、四六時中同じ船で過ごしてる相手に、わざわざ距離感じるような言い方するかって話だ」


 コリンが顔を上げて破顔する。


「でもさあ。そのクォーターマスターさんって、結局どんな謎を追ってたのー?」


 ——さっきからこの子達、わざとらしいわね。


 ワンが咳払いをして目を細める。


「ゼフィランサスに纏わる謎の中でも、なぜ彼が二人の子供を連れ帰ったのか。最も知りたがっていましたよ。そこで、クォーターマスター殿は疑い始めたのです。人攫いとは、ただ子供を金に換えるだけの連中ではないのでは、と。そして、彼が最初に接触した相手が私、リー・ウェンでした。あれは……そうですね、たしか十年前のことでしょうか」


 そう口にしながらもワンは胸中でこっそり思う。


 ——実際には組織だけど。


 古き掟は守らねばならない。表に立つのは常に個人。それが自分たちの流儀だ。ワンは再び顔を上げて声を張る。


「私は商人でありながら、情報屋でもあります。答えられる問いには答えましたよ。——協力関係を結ぶという約束のもとでね。彼は私に聞いてきました。過去に、子供の誘拐が頻繁に行われた事例はないかと。私は裏社会にも精通しています、当然教えました。貴族の子供が攫われる事件がかつて頻発していましたが、ある日を境にぱたりと止んだ事例をね」


 シルヴェストルは表情を崩さなかったが、胸の奥では苦い感情が広がっている。


 ——ゼフィランサス。あの男は本当に自分たちの人生を滅茶苦茶にしていった。


 ワンは法廷を見渡しながら微笑を浮かべた。


「すみませんね。少々、時系列が前後してしまいました。……そう。この情報を渡したあと、クォーターマスター殿は私に教えてくれたのです。昔、ゼフィランサス本人に人攫いについて問い詰めたと。そして、ゼフィランサスは白状したそうです。彼の中で人攫いとレオパード家の事件には繋がりがある。そう睨んだのでしょう、片目でね」


 ルキフェルの胸が音を立てて軋む。ワンは手帳を閉じて声色を変えた。


「さて。ここで少々、風向きが変わりますが……お付き合いください。私たちは、かつてシルクロードを渡ってきた東洋由来の商人たち、その子孫にあたります」


 その瞬間、貴族席の一人が身を乗り出す。


「あ、それなら知ってるぞ! 紅い星の予言だろう?」

「東洋人たちが予言をきっかけに西へ渡ってきたとか!」

「今の東西交流の始まりになったって話!」


 次々と声が上がる。近年の東洋文化流行、武術、茶、香、漢方、予言。それらは今や貴族社会の流行でもあった。ワンは穏やかに頷く。


「ええ。紅い星が現れる時、歴史の転換点が訪れる。そう信じた者たちがこの西の地へやって来て、根を下ろしたのです。星を希望と見た者たち。予言が成就してほしいと願った者たちですね。……で、あれば。私たちとは真逆の思想を持つ者たちも当然存在しました。予言が叶ってほしくない者たちです。もちろん、今は闇へ潜っていますが……存命でしょう」


 ワンはゆっくりと貴族席を見渡す。


「皆さんは、黒辰封儀教団をご存知でしょうか。予言の星を不吉と呼んだ団体です」


 その瞬間、法廷の温度がまた一段階下がってワンは法廷を見渡した。


「教団の思想はこうです。——星は導くものにあらず、星は選別する刃なり。故に、星が示す前に我らが未来を封ず。つまり、予言の星について一般的に語られている、星が特定の人物を示すという解釈。この説を前提に掲げた思想です。予言の星となり得る人物を囲い込み、無効化する。それが黒辰封儀教団の目的だった。これは教団と近しい位置にいた内部告発者が、自責の念から話してくれたものです。——間違いありません」


 その瞬間、ワンの脳裏にダミアンの顔が浮かんだ。影として生かされ、存在を消され、それでも最後に真実は残そうとした男。一方、シルヴェストルは奥歯を噛み締めていた。


 ——誰だ、裏切り者は。


 胸中で怒りが燃えるが、彼の脳裏にダミアンの顔は浮かばない。なぜならドミニクから「ピエールとダミアンは死んだ」と聞かされていた。シルヴェストルはそれを疑っていなかった。貴族席の一人が顔を上げる。


「いや……待て。今年の冬、紅い星は観測されたはずだ」

「ああ。なら、予言は成就したことになるのでは?」

「今の教団はどうしているんだ……?」


 ざわざわと法廷が揺れるが、ワンは一切ペースを崩さなかった。


「さて。そんな内部告発者ですが、彼はもう一つ重要なことを話してくれました。教団は『予言の星の人物が貴族に存在する』と予想していた。しかし、実際の誘拐行為は外部へ委託していたそうです。つまり、教団とは別の勢力が貴族の子供誘拐事件へ一枚噛んでいた。そして、誘拐された子供には必ず『黒い星の刻印』が押された。教団の所有物として扱うためです」

「……刻印? そうか!!」


 ルソーが勢いよく立ち上がって蛮声を轟かせる。法廷中がびくりと震えるもルソーは目を見開いたまま叫んだ。


「大海賊エドガー・ロジャース!! あいつにも刻印があった!!」


 ざわっと法廷が大きく揺れ、貴族たちが一斉に喚く。


「なっ……!?」

「信じられん……!」

「ロジャースにも!?」


 イザベルは涼しげな面持ちでルソーに続いて立ち上がった。


「必要であれば、資料を取り寄せても構いませんよ。私とルソー准将はこの目で確認しています。死体解剖記録にも、刻印については明記されておりますので。我々もあの刻印の意味を調べていました。——まあ、情報源はコルヴァン殿ですが」


「なるほど、伝説の情報屋コルヴァンですか。良い情報源ですね」


 ワンが目を細めるが、内心では別のことを考えていた。


 ——ああ、それはこちらとコルヴァン側が既に情報共有を始めているからでしょうね。裏社会の水面下ではとうに繋がっている。それにしても、海軍もやる時はやるのね。


 シルヴェストルは拳を握り締めていた。法廷の流れが自分の知らない場所へ進み始めている。

 ルキフェルはシルヴェストルを見据えている一方で、意識の端では自分の背後へ座る二人を気にかけている。ジャスパーとマテオ。ジャスパーはゼフィランサスの息子だが、彼は前もって言っていた。ここで自分の血筋を明かすつもりはない、と。血筋を使うのは海軍と多民族集団が和解する時だけ。マテオも同じだった。彼もまた教団によって人生を狂わされた被害者だが、ルキフェルは事前に伝えていた。


 ——無理に過去を話さなくていい。


 マテオが昔を語ったのは自分一人へ向けたものだから。法廷の見世物にしたくはなかった。だからこそ、シルヴェストルを追い詰めるにはダミアンの存在が命綱だった。そして、顔はそっくりなのに中身はまるで正反対だったピエールも。ルキフェルはワンへ視線を向けた。


「……リー・ウェン。ここまでの解説、恩に着る」

「どういたしまして」


 ワンは一礼して席へ腰を下ろし、ルキフェルは再び法廷を見渡した。


「俺たちは指名手配されていた裏で、ある人物と追いかけっこをしていた。——ピエール・ダラスだ」


 次の瞬間、貴族たちが一斉に騒ぎ始める。


「ピエール・ダラス!? ダラス家の三男じゃないか!」

「あの放蕩息子……」

「馬鹿! 当主の前で言うな!」


 貴族の騒ぎを聞きながら、エリオットも脳裏に黒い記憶が過る。


「……ピエール・ダラス?」


 サン・マロ奪還作戦、マクシム隊。そして、ダラス家の秘密を脅しに送り込まれた三男坊。そういえば、アントワーヌ直筆の作戦報告書には「正体不明の襲撃者を返り討ちにした」としか書かれていなかった。肝心のピエール本人がどうなったのか、そこだけが曖昧なままだ。エリオットの目が細くなる。一方、シルヴェストルはルキフェルを鋭く睨みつけていた。ルキフェルは平然と続ける。


「あいつから、洗いざらい聞いたさ。自分の一族が過去に何をしたか」


 ルキフェルの胸には苦い感情が沈んでいた。本当は違う。内部告発者はピエールではないが、ダミアンが表へ出たくないと言っている以上はこうするしかない。顔は同じだからこそ。ピエールとして話すしかなかった。ルキフェルはシルヴェストルを逃がさぬよう睨み据える。


「内部告発者とは、他ならぬピエール・ダラスのことだ。追い詰められて後がなくなったあいつは、俺たちに白状したってわけ。——ダラス家がかつて黒辰封儀教団と利害関係にあったことを」

「なっ!? ダラス家が教団と!?」

「まさか!! 冗談では済まんぞ!」

「国の裏切りじゃないか!!」


 思わぬスキャンダルに法廷中が怒号とざわめきに包まれる。これには海軍上層部も絶句していた。


「……まだ何か隠していたのかよ、ダラス家」


 ルソーが呆然と呟き、イザベルも眉を寄せた。アルフォンスは言葉を失っている。エリオットが険しい顔でシルヴェストルを見つめていた。傍聴席ではヴィクトルとグレゴワールが青ざめている横で、ティエンがボソリと呟く。


「……やっと本題に入ったな」


 イヴォンが無言で頷く。ルキフェルはシルヴェストルから目を離さない。ジャスパーもマテオもコリンもニールも、五人全員がシルヴェストルを睨み続けていた。対するシルヴェストルもまた彼らを見下ろしている。法廷の中心で火花でも散らして。

 ルキフェルはざわめきの残る法廷を見渡して声を張った。


「あいつの証言とクォーターマスター殿が集めた情報を照合して、俺たちは一つの結論に辿り着いた。教団は子供の誘拐をダラス家へ委託。ダラス家は人攫いたちを雇い入れ、末端へ仕事を流していた。そしてクォーターマスター殿曰く、ゼフィランサス海賊団の傘下にも誘拐……いや、人身売買へ関与していた一団がいたらしい。それを知ったゼフィランサスがサン・マロで単独殲滅に向かった。そう、後になって教えてくれた」


 その裏でルキフェルは思う。本当はアランの死後にヤンがブレスト行きの船内で共有してくれた情報だった。ヤンはアランの記憶を一つ残らず拾い集めてくれていた。だから、今この場に彼がいないことが少しだけ惜しいが十分だ。自分一人でも。貴族席の一人がおずおずと声を上げる。


「え、ええと……つまり?」


 その瞬間、ニールが即座に口を開いた。


「つまり、ゼフィランサスは末端が腐ってると知った瞬間に切り捨てたってことだね」


 法廷が静まり返り、シルヴェストルもまた黙って考えていた。


 ——なるほど、それが動機か。だが、それだけではない気もする。それでもゼフィランサスという男の輪郭が少しだけ見えた気がした。


 ルキフェルはシルヴェストルを見据えた。


「これが、ゼフィランサスがサン・マロで単独行動していた裏側だ。……もちろん、あくまで仮説だ。が、ピエールは言っていた。ゼフィランサスのせいで、父の生業は壊滅したと」


 貴族たちはすっかり顔を青ざめさせていた。


「先代が、そんなことを……」

「まさか……!」


 ルキフェルは容赦なく続け、シルヴェストルに指先を突きつけた。


「この生業があれば、ダラス家は金を得る。政治的弱みを握れる。そして、教団の理念も満たせる。——三重に利益を得る立場になる。あの日、人攫いたちがレオパード家を襲ったのも、このダラス家の生業の一環だった。……違うか?」


 法廷の空気がすっかり凍りついた。エリオットはシルヴェストルを見つめ、胸の奥で怒りを燃やして拳を握っている。ミレーユに使用人たち。あの日、すべてを壊された。そんな生業のせいで、そんなもののために。だが、シルヴェストルは冷めた目でルキフェルを見下ろしていた。海軍、貴族、海賊、傍聴席。全員の視線がシルヴェストルへ注がれている中、シルヴェストルは椅子へ座り直して指先を組むと毅然と言い放つ。


「……その通りだ」

「……え?」


 ルキフェルは思わず声を漏らし、彼の背後ではジャスパーたちも困惑していた。


「は?」

「おい待て」

「認めた……?」


 コリンに関しては絶句している。次の瞬間、法廷が爆発した。


「認めたぞ!!」

「シルヴェストル・ダラスが!?」

「正気か!? 国の犯罪だ!!」


 怒号と悲鳴とざわめき。やがて何とか騒ぎが落ち着き始めた頃、シルヴェストルは淡々と他人事のように言う。


「そこの海賊の言う通りだ。我々ダラス家には、一族の名誉を穢すような過去があった。——先代による人身売買ビジネス。事実、先代はそういう男だった」


 ルキフェルは目を見開いて叫んだ。


「じゃあ……! 罪を償うんだな」


 シルヴェストルは鼻で笑った。


「償う……俺が? とんでもない。悪いが、俺が罪を償う理由はないと思われるな」

「っ——!」


 ルキフェルが歯を食いしばって証言台を掴むと、息を荒げて叫ぶ。


「お前、逃げる気か!? 全部! ダラス家のせいで色んな奴の人生をめちゃくちゃにしたんだぞ!!」


 ルキフェルの怒声が法廷へ響くが、シルヴェストルは微動だにしなかった。


「それは、その通りだ。人身売買について、ダラス家が秘匿してきたことは認めよう。現当主として、必要であれば処分を受ける覚悟もある。だが……俺は関与していない。もちろん、弟たちもな」


 その瞬間、シルヴェストルの声色が穏やかな口調に変わったのを皮切りに、ジャスパーとニールが一斉に立ち上がった。


「ふざけんな!! てめえ……!」

「それで済むと思ってんの!?」


 シルヴェストルはルキフェルを見据えて、言葉を鋭利な刃のように突き刺していく。


「先代は死んだ。ビジネスもとっくの昔に崩壊している。……ゼフィランサスのおかげで、な。俺は関与していない。記録も物証もない。現在進行形の犯罪でもない。つまり、君たちは過去を裁きたいだけだろう? 恨むなら先代を恨め。——俺のせいにするな」


 法廷が微かな悲鳴と共に凍りつく。シルヴェストルは理解していた。盤面を、構造を、法を。感情だけでは自分を裁けないことを。だからこそ彼は今、安全圏へ退こうとしている。すべてを認め、その上で自分だけは決して沈まぬ位置へ。傍聴席でイヴォンが舌打ちをした。


「……クソ野郎が」


 ワンとレオンもまた苦々しく表情を歪めている。ティエンは冷たい目でシルヴェストルを睨んでいた。


 ——こんな男が旧ブルボン派として、再びブルボン家系の人間へ王冠を被せようとしている。


 胸糞が悪い。ヴィクトルやグレゴワールも同じらしかった。が、当のシルヴェストルはもう別のことを考えている。途中から彼はルキフェルを観察していた。怒り方、言葉の選び方、仲間への視線。そして、気づいた。こいつは本心から争いを望んでいない。だからこそ、シルヴェストルは口を開いた。


「さて、どうする? 裁かれるべき人間はこの場にはいない。このままではお前たちの夢物語と化すぞ」


 ルキフェルの眉がぴくりと動いて押し殺すような声で問う。


「……お前、何が言いたい?」


 その瞬間、シルヴェストルの口元が歪んだ。


「自分はレオパードの血筋を引く人間だと主張したいなら……ここで俺を殺してみろ。お前は……母親を殺されているだろう」


 ルキフェルの顔から血の気が一気に引き、熱が瞬時に駆け上がる。脳裏にあの夜、全部が蘇る。シルヴェストルは淡々と続け、アイスグレーの瞳がまっすぐルキフェルを射抜く。


「構造で言えば野放しだ。事件を起こした人攫いたちは、ダラス家が雇った末端。ならば、レオパード襲撃事件の黒幕は、かつてのダラス家ということになる」


 シルヴェストルは微笑を浮かべると、慇懃を通り越した卑屈な声で語る。


「そして、俺はダラス家の血を引く者。……貴様も貴族の血を引くなら覚えておけ。高貴な者は血と家の名誉を何より重んじる。その家に生まれた者が一生背負うべきものだ。古来より、貴族同士が侮辱や名誉を巡って私闘を行ったように。……貴様は家族を殺されて堕ち、海賊として人生を歩まされた。おっと、この理屈で言えば……その顔が何よりの証拠だったな」


 ルキフェルの背筋をぞわりと悪寒が走った。見られる。傷を、顔を。視線が突き刺さる。法廷中の目が自分の裂傷へ集まる感覚に喉が締まった。シルヴェストルは峻厳な態度で続ける。


「先代は愚かなことをしたが、それでも俺はダラス家の血を引く男。長きに渡る一族の血筋を誇りに思っている」


 ——愚か? 違う。父は偉大だった。敬愛しているからこそ、その血を継ぐ。


 ルキフェルの耳にニールの声が蘇る。


 ——復讐って、命を奪われた者の“代理人”が命を奪って返すことでしょ。加害者本人か子かって理由だけで殺され続ける。


 胸の内で獣が牙を剥いた。ルキフェルは顔を上げ、充血した目でシルヴェストルを見据える。


「お前……俺に復讐させたいのか?」


 シルヴェストルは目元と唇に薄い笑みを湛えて冷え切った声で言い放つ。


「一族の誇りを傷つけられ、奪われたと思うなら……お前が俺を殺す権利は当然発生する。……復讐しろ。そうすればお前をレオパード家の人間、ラウル・レオパードだと認めてやる」


 ルキフェルの背後でマテオが勢いよく立ち上がった。


「この野郎——ッ!!」


 今にも飛びかからん勢いだったが、ジャスパーが咄嗟に腕を掴み、ニールも反対側からマテオを押さえ込む。


「待て!!」

「離せッ!!」

「落ち着けって! 今ここで暴れたら向こうの思う壺だ!」


 マテオの怒号にジャスパーたちの制止、コリンは法廷を見渡しながら狼狽えていた。


「えっ、えっ、ちょ、待って、待って……!」


 貴族たちも騒ぎ始め、参考証人席ではエリオットも立ち上がった。


「シルヴェストル!!」

「待て、エリオット!」


 ルソーとイザベルに止められる。アルフォンスも険しい顔でシルヴェストルを見ていた。今、この場はシルヴェストルとルキフェルだけの空間になりつつある。ざわめきの中、ルキフェルは額から汗を流して悟る。


 ——試されている。


 復讐という言葉を使っているが、本当に問われているのは誰として生きるのか。選択を迫られている。次第に法廷の音が遠のいていき、ルキフェルの思考が過去へ沈んだ。


 復讐、かつて自分は獣に呑み込まれた。この手で多くの命を奪った。失った人は戻らないのに、代わりを探すように怒りを喰らい続けた。その時、シルヴェストルの声がどこか甘く誘ってくる。


「殺せばいい。敵は目の前だ、復讐したかったのだろう?」


 その瞬間、ルキフェルの奥底で獣が咆哮した。怒り、憎悪、母を殺された人生を壊された。目の前にいる男は、その血を継ぐ者。殺せ、終わらせろ。脳の奥で何かが囁くが、不意にソフィーの声が蘇る。昨夜、月明かりの下で交わした会話。


 ——今なら……少しだけ、わかる気がする。……悲しかったんだよね。愛する人を失って……。


 …………ぼんやりとした視界に、母ミレーユが陽だまりの中で歌っている。


「……っ」


 熱いものが目から溢れて頬を伝っていく。喉が震えた。なんで、どうして、なんでこんなことになった。苦しい、苦しい。胸が痛む。獣も悲しい音色で遠吠えしている。歌声が心に虚しく残響していく。ルキフェルは震える指を見下ろした。


 ——そうだ。自分は、もう知っている。復讐の先に何があるのか。


 ルキフェルはポケットへ手を入れた。取り出したのはイヤリング。ゼフィランサスの遺品。そして、アントワーヌの遺品でもある。


 ずっと心に引っかかっていた。アントワーヌの死、最期まで報われなかった友。処刑された。この国に、この貴族社会に。ラウルとして救済されることに、どこか嫌悪感があった。しかも復讐を条件に。

 思えば、ここまで来たもの全部、誰かの悲しみの連鎖の上にある。みんな、傷つけられた。みんな、壊された。特にアントワーヌ、あいつは何一つ報われなかった。彼を裁いた国の貴族として生きて、何になる。誰かの犠牲の上に成り立つ幸福なんて——いらない。


 その時、ふいにフランソワの背中がルキフェルの脳裏を過ぎった。昨夜、ソフィーへ語った言葉。


 ——フランソワは俺にとって親だった。兄貴みたいでもあって、親父みたいでもあって……船で、海で……生き方そのものだった。


 ルキフェルは息を吐く。もし、今ここでラウル・レオパードとして生きることを選べば。フランソワと仲間たちとの人生を無かったことにするみたいだ。

 ルキフェルはイヤリングを両手で包み込み、額へ寄せて瞼を閉じた。暗闇にはエリオットとミレーユ、「ラウル」と呼んでくれた人たちの顔が浮かんでくる。


 ——ごめん。


 泣きたい。全部投げ出して泣いてしまいたい。けれど、今は泣いている場合じゃない。呼吸が荒くなって肩が震える。ルキフェルの背後では仲間たちが息を呑んでいた。法廷中がルキフェルを見ている。やがて、ルキフェルは徐々に顔を上げた。翡翠の瞳が煌々と燃え、クリアになった視界でシルヴェストルを見据える。


「……血が引き金になるんだな」


 ——もう、誰も死なせない。これ以上、誰も悲しませない。誰かが傷つく世界を、ここで終わらせる。


「——今ここで、俺が止める」


 ルキフェルは背筋を伸ばして証言台から降り、双方の貴族席の間へ進み出た。皆の視線が一斉に集まる場所へ。法廷が静まり返り、ルキフェルは足を止めると目を瞑って胸に手を当てた。獣も息を整えている。ルキフェルは目をカッと見開くと法廷中に、胸の奥から魂を引きずり出すように咆哮する。


「俺は——ルキフェルだ!! ルキフェルとして生きた人生は、誰にも否めない!!」


 ルキフェルは胸が引き裂かれそうになるも、声を震わせて続ける。


「何もなかった俺を育てたのは……フランソワだ! あの人は、俺を見捨てなかった!! ずっと、そばにいてくれた!! 俺はルキフェルで——俺の父は、フランソワだッ!!」


 ルキフェルは再び滲んだ視界の中でシルヴェストルを睨み返していた。失われた命、全部が胸を刺す。


「だから、俺はラウルにならない」


 ルキフェルは両手でイヤリングを握り締めた。


「全部……捨てる。俺がルキフェルである限り、復讐はここで止まるんだ。名前も、血も、夢も、全部背負って海へ持っていく」


 ルキフェルは息を吐き、瞼に涙を滲ませて俯いた。


「これが——俺の選んだ、生き方だ」


 張り詰めた静寂が法廷を支配していた。エリオットは立ち尽くしたままルキフェルを見ている。狼狽、困惑、そして理解が入り混じった目だ。


「……ラウル」


 ルキフェルは前を向いた。彼の背後では仲間たちも息を失っている。ジャスパーは目を伏せ、ニールは唇を噛み締めていた。マテオは拳を震わせ、コリンは言葉を失っている。彼らもまた分かってしまった。今、ルキフェルが何を捨てたのか。そして、何を背負ったのかを。だが次の瞬間、静寂が破裂した。


「何たる侮辱だ、レオパード家の血を否定したぞ!!」

「海賊風情が貴族の秩序を愚弄する気か!」

「血筋を捨てるだと!? 狂っている!!」

「海賊を父と呼んだぞ!! 正気か!?」

「やはり野蛮人だ!!」


 罵声と怒号と嫌悪。つい先ほどまで「レオパード家の血筋」と騒いでいた貴族たちが一斉に手のひらを返した。


「犯罪者の思想そのもの!! 血統を否定する者など人ではない!」

「レオパード家への冒涜だ。大元帥のご子息を騙った挙句これか!!」

「反逆思想だ、危険人物だぞ!!」

「海賊肯定だ、秩序への挑戦だ!!」

「やはり海賊は悪だ!!」


 コリンが青ざめ、マテオは歯軋りした。


「な、なんなのこれ……」

「クソ貴族どもが……!」

「……来るぞ」


 ジャスパーは低く呟いた時、シルヴェストルがゆっくりと立ち上がる。


「——静粛に」


 法廷が次第に静まり、シルヴェストルはルキフェルを見下ろした。アイスグレーの瞳に冷たい光が宿る。


「五鬼衆の頭目、ルキフェルよ。ここまで議論を重ねた果てに、貴様は自らチャンスを潰し、高らかに海賊としての生を誇った」


 ルキフェルは唇を噛んで俯き、シルヴェストルは淡々と判決文を読むように続ける。


「つまり、貴様は最初から血筋を主張する気など無かったということだ。レオパード家の息子と騙り、我々貴族を侮辱し、愚弄した。やはり、海賊は生粋の犯罪者。——悪だ」

「待て!!」


 エリオットが弾かれたように身を乗り出すが、シルヴェストルは止まらない。


「もはや、これ以上議論の余地はない。ここで裁定を下す」

「シルヴェストル!!」


 エリオットの怒声が法廷を震わせるが、シルヴェストルはルキフェル一点を見下ろして宣告する。


「五鬼衆の頭目、ルキフェル。審議役として貴様に死刑を言い渡す。全て背負って海へ持っていくというなら我々が海へ沈める。刑の内容は……海上斬首」


 ルキフェルの翡翠の瞳が揺れ、法廷が爆発した。


「なっ、海上斬首だと!?」

「本気か? そこまでやるのか!?」

「シルヴェストル・ダラス殿!!」


 貴族たちが騒然となり、コリンが顔面蒼白になった。


「えっ……ちょ、待っ……えっ!?」

「ふざけんなッ!!」


 マテオが叫び、ニールの顔から血の気が引いていた。ジャスパーは目を細める。傍聴席ではレオンが立ち上がり、ワンも表情を崩した。


「お、おい!」

「これは……」


 ティエンが次第に険しい顔になる。ヴィクトルとグレゴワールも絶句していた。そして、海軍上層部ではイザベルが顔色を変え、ルソーも怒鳴った。


「待ちなさい、正気!?」

「シルヴェストル!! てめぇ!!」


 アルフォンスは凍りついて震えている。エリオットは息子を呆然と見つめていた。海へ沈めるという言葉が、二十年前の亡霊のように法廷へ響いている。法廷はなお騒然としていた。シルヴェストルがゆっくりと法廷内を見渡す。


「皆の者。我が国王陛下の理念を忘れたか?」


 ざわめきがピタリと止み、シルヴェストルは胸に手を当てて民へ語りかけるように高らかに言い放つ。


「悪は断罪されねばならない。ここにいる海賊たちは我々の敵、悪そのものだ。国王陛下の正義のもと、悪は民衆の前で裁かれるべき」


 ——これで厄介な奴をまた一人消せる。あとは、あいつの仲間を一人ずつ消していくだけ。父上。これでまた一歩、貴方の悲願へ近づける。ゼフィランサスの息子への復讐も。


 シルヴェストルは一息つくと貴族たちを見回した。


「審議は以上となる。この件はくれぐれも秘匿情報とせよ。私が王宮にて国王陛下へ報告を終えるまで、誰一人として口外するな」


 その後、シルヴェストルは法廷に向かって淡々と命令を下す。


「海軍は速やかに処刑準備へ移れ。準備には五日ほど必要だろう。その間、ルキフェルは徒刑所へ投獄。監視官を呼べ、あいつを捕えろ!」


 法廷の扉が開き、重装備の監視官たちが入ってきた。ルキフェルは踵を返すとジャスパーへ歩み寄り、彼の掌にイヤリングを握らせた。


「……これと仲間たちを頼む」

「ルキ——」


 ジャスパーの言葉は最後まで出なかった。次の瞬間、監視官たちがルキフェルの腕を掴む。拘束具の金属音が響いたが、ルキフェルは振り返って法廷へ向かって叫んだ。


「殺すなら俺一人にしろ!! 俺が犯した罪……全部背負って終わらせてやる!! だから……こいつらに手を出すな!!」


 監視官二人に引かれながら、ルキフェルは法廷を後にした。その先、裁判所の外はすっかり夕暮れだった。橙色の光が石畳を照らしている。夕陽がルキフェルの横顔を赤く染めた。シルヴェストルはまだ席に残り、貴族たちを眺めながら思考を巡らせる。


 ——口外するなとは言ったが、誰が口を滑らせるか分からない。早いところ始末しないとな、リュミエール家と同じように。


 シルヴェストルは裾を払って立ち上がると、誰とも目を合わせず法廷を去った。


「……っ」


 エリオットは眩暈に襲われてよろめき、アルフォンスが慌てて支える。


「大元帥!」


 ルソーとイザベルも駆け寄ったが、エリオットは掠れた声で告げる。


「……離せ。自分で歩ける……」


 顔色は蒼白、それでも彼は自らの足で歩こうとした。海軍上層部が重い足取りで法廷を出る。貴族たちもざわざわと帰り始めていた。傍聴席、レオンは青ざめたまま震えていた。


「おい……嘘だろ……」

「落ち着け」


 イヴォンが肩を掴んだが、彼自身の顔色も悪い。ティエンは舌打ちして吐き捨てる。


「クソったれ!」


 ワンは険しい顔で立ち上がって懐の手帳を握り締める。


「今すぐ同僚へ知らせねば。行きましょう」


 四人は急ぎ法廷を後にする。ヴィクトルとグレゴワールは法廷内へ残された四人の海賊たちを見ていた。


「……この国に、正義なんてなかった」


 ヴィクトルは手すりに拳を打ちつけた。この国の断罪の正義があの海賊たちを、妹スザンヌを苦しめている。グレゴワールは法廷を見回して目を細める。


「あの海賊は制度上では敗北したが、人間としては勝利だな」


 ——ここで終わる話ではない。むしろ、ここから始まる。


 二人は直ちに法廷を後にし、仲間たちを追った。



 残された法廷で、ジャスパーは掌の中のイヤリングを見つめていた。夕陽が小さな金属を赤く照らす。彼の横でニールが囁くように訊く。


「ねえ、どうしようか」

 コリンが目に涙を溜めて顔を上げる。


「どうしようって……あのまま死なせるっていうの? そんなの無理だよ……!」


 マテオは拳を握り締めて声を震わせる。


「決まってるだろ、オレたちで救けるんだよ。こんなの間違ってる」


 静寂の中でジャスパーは徐々に顔を上げた。アンバーの瞳がこれまでにないほど鋭く燃えている。ジャスパーはイヤリングを強く握り締めると白く張った皮膚の下に静脈が青く透いて、額にも同じような筋が浮き上がった。


「……ああ。ルキフェルを、あのまま終わらせて堪るかッ……!」


 夕陽が差し込み、四人の足元から長い影が法廷の奥へ伸びていた。これから始まる新たな航路のように。

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