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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】9・10巻「完結編」  作者: セキユズル
第五章「決めるのは、いつだって今だ」
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第五章② 五人組

 屋上では潮風が吹き抜けていた。空は高く、処刑場の騒めきが未だ遠く残響している。ジャスパーはフェンスへ背を預けて空を見上げ、ニールは腕を組み、コリンは床へ座り込んでいた。マテオは背を向けて海を見ている。そして、四人から少し離れた場所にソフィーがいた。ルキフェルが屋上の扉を開いて現れ、全員が彼を振り返る。ルキフェルは神妙な顔で近づくと、ジャスパーが最初に口を開く。


「お、ルキフェル。お偉いさんとお話でもしてきた?」


 口角は上がっているのに、アンバーの瞳が鋭さを帯びている。ルキフェルは苦笑した。


「……さっき、大元帥と話してきた。俺たちの裁判だが……明後日に決まったそうだ」


 ジャスパーの赤髪がぴょこんと揺れる。


「は? マジか。ってことは……まだ時間あるってことだよな?」


 ルキフェルは頷き、四人を見渡して言う。


「それと、マクシミリアン隊の処刑も延期になる」

「……まだ、生きる可能性があるってことか」

「へえ。急にずいぶん優しくなったじゃん、世界」


 ニールが息を吐き、コリンは細めた目でルキフェルを見た。ルキフェルは瞳を一瞬揺らして続ける。


「裁判は極秘だ。出席するのは……大元帥、国王命令で派遣された裁判官、イザベル、ルソー、検察官、弁護人……そして俺たち海賊だけ。外部には、一切知らされない」


 ルキフェルは一瞬喉を詰まらせた。ダラス家の名はここで言えなかった。ソフィーがいる。今ここで話せば、余計な混乱を招く。ルキフェルが言い切っところで潮風が虚しく吹き抜け、ジャスパーとニールとコリン、それからマテオの視線が同時にルキフェルへ向いた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 ——こいつ、嘘つくの下手すぎる。


 ソフィーは空気の変化に気づいていないのか、安堵したように息を吐いていた。


「……そっか」


 彼女の声にルキフェルの胸が少し痛んだ。嘘をつくのは嫌だったが、本当のことを今ここで言うわけにもいかない。ダラス家の名前がどれだけ多くの人間の人生を壊してきたのかを知っているからこそ。


「じゃあ……まだ足掻けるんだね」

「いいじゃん。まだ死ぬ予定ないし」


 ニールが慎重に言い、コリンは口元を歪める。ジャスパーは腕を組みながら、ルキフェルをじーっと見ていた。絶対あとで問い詰める顔だ。マテオはそんな空気を一通り見渡したあと低く言う。


「……じゃあ、決まったな。作戦会議だ。みんな、部屋に戻ろう」


 ジャスパーがフェンスから身体を離し、ニールが頷く。コリンは面倒くさそうに立ち上がり、ルキフェルもまた踵を返した。五人の足音が順番に階段へ吸い込まれていく。彼らの背中を、ソフィーは口を噤んで見送っていた。部屋へ戻るまでの廊下は不気味なほど静かだ。石造りの壁に反響するのは五人分の足音。潮の匂いを孕んだ風が窓の隙間から吹き込み、全員が部屋に戻ったところでルキフェルは扉を閉まると低く言う。


「悪い、嘘ついてた。お前たちに言いたいのは他でもない。……ダラス家のことだ。あの貴族、この街に来てる」


 ニールの肩がびくりと震える。顔色が一気に悪くなり、呼吸が浅くなるのが見て取れた。脳裏に何かが蘇ったのだろう。ルキフェルの言葉に、ジャスパーの目から笑みが消える。マテオも目を伏せ、コリンがルキフェルを見上げて首を傾げる。


「……それで? 何を話すの」


 ルキフェルはポケットへ手を入れ、指先に触れた冷たい感触を強く握りしめる。


「裁判じゃ、俺の記憶と実際の記録に齟齬がないか確認されるらしい。だったら逆に使える。……全部、あの場で暴く。ダラス家が何をやってきたか。誰を踏みにじって、どれだけの人間の人生を壊してきたか。俺たちが見てきたことを全部だ」


 ニールがぎゅっと拳を握った。震えている。恐怖か怒りか、両方か。ルキフェルは翡翠の瞳に熱を宿して続ける。


「証言が必要になる。お前たちの記憶と力を借りたい」


 しばし沈黙、ジャスパーが赤髪をかき上げながら口角を吊り上げる。


「……なるほどな。つまり上流貴族様の裁判を、そのまま公開処刑場に変えてやろうって話か。真実でぶん殴るんだろ?」

「ああ」


 ルキフェルは頷くとコリンがくすりと笑う。


「いいじゃん、それ。ぼく、ああいう連中きらい」


 マテオが深く息を吐き、壁から背を離す。


「やるなら徹底的にやるぞ。中途半端に暴けば、逆に握り潰される」

「分かってる」

「だったら腹括れ、ルカ。これは復讐じゃ済まない。貴族社会そのものに喧嘩売ることになる」


 ルキフェルは目をギュッと閉じた。復讐の響きに胸の奥の獣がまた牙を剥こうとする。けれど、今は違う。アントワーヌの死を見たあとでは、もう以前のようには戻れない。ルキフェルは目を開けると仲間たち一人一人の顔を見つめた。


「……ああ、終わらせるためにやる」


 ニールが顔を上げた。まだ少し怯えているが、青い瞳の奥に意志の光がある。


「……僕も話すよ。逃げたまま終わりたくない」


 ルキフェルは見開くも重々しく頷いた。潮風が窓を揺らす。真実でダラス家を叩き潰す。その後、話し合いは思った以上に長引いた。誰が何を知っているのか、どこまで証言できるのか。ダラス家のどの罪から切り込むべきか。五人の声が狭い部屋の中で何度も交差し、ひとつの結論へ辿り着く。


「……情報に長けた人間が必要だな」

「あと、実際に現場を見た人間も。おれたちだけじゃ、海賊の証言で片付けられる可能性が高い」


 マテオが腕を組んだまま唸りながら言い、ジャスパーが付け足すように言った。ルキフェルは黙ったまま頷いた。脳裏にはこの間の法廷の光景が浮かんでいる。あの場で必要なのは怒声じゃない。感情でもない、積み重なった真実だ。


「……少し外行ってくる」


 ルキフェルは仲間に告げて言い残し部屋を出た。廊下を抜け、徒刑所の外へ出る。陽はまだ高いが、空気にはどこか疲弊した静けさが漂っていた。処刑が行われた広場では後片付けが始まっている。木製の処刑台は解体され、運び出されていた。石畳にはまだ赤黒い痕が残っている。兵士や作業員たちが水桶を何度もひっくり返し、血を洗い流そうとしていたが、一度染み込んだ色は簡単には消えない。水が流れるたび、薄まった赤が石の隙間をゆっくりと伝っていく。

 ルキフェルは広場の光景を見つめたあと目を逸らした。……見続けていたら、足が止まりそうだった。彼は広場脇の石段へ目を向けると、レオンとイヴォン、それにダミアンが二人の少し後ろで膝を抱えて座っている。ルキフェルは足早に三人の元へ向かい、三人も彼に気づいて顔を上げ、イヴォンが先に問う。


「……どうした」

「頼みがある。明後日の裁判で、俺は自分を証明しなきゃならない。それには、皆の力が必要なんだ」


 ルキフェルは息を整える暇もなく言い、レオンの眉がピクリと動いた。そのあと、ルキフェルはダミアンを見る。


「審議役はダラス家だ。……お前の家族がこの街に来てる」


 ダミアンの肩がびくりと震え、一瞬で血の気が引いていく。


「……兄上たちが……?」

「……出れるか?」


 ルキフェルは柔らかい声音で聞くと、ダミアンは即座に首を横に振って膝を抱える腕に力を込める。


「む、無理です……」

「……わかった。無理はさせない」


 ルキフェルは数秒黙ったあと頷くと、ダミアンが俯いたまま唇を噛む。イヴォンが立ち上がってルキフェルに告げる。


「リー・ウェンの誰かも呼ぼう。情報に関しては、あいつらの方が一流だ」

「俺も出席するよ。小さな君を手当てした人間として……証言できることがある」


 レオンも頷き、ルキフェルは一瞬目を見開くも深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 風が吹き抜け、広場ではまだ水音が響いていた。赤を洗い流す音だが、誰も本当に消えるとは思っていない。失われた命も残された想いも、あの日々も。全部、まだここにある。ルキフェルは顔を上げて三人にもう一度視線を向け、踵を返して石畳を踏みしめながら広場を去った。

 明後日、あの法廷で自分たちは真実を語る。もう誰にも踏み潰させないために。


 ルキフェルが部屋へ戻ると室内の空気はどこか緩みきっていた。あれだけ重苦しい話をしていたはずなのに、今は誰も口を開こうとしない。疲労が部屋の隅々へ沈殿している。ジャスパーは早々に一番広いベッドを占領し、長い脚を投げ出して片腕を頭の後ろに回し、天井を見上げている。


「……頭ん中、蒸発しそう」


 マテオは椅子の背に腕と顎を乗せて目を閉じ、コリンは窓際で丸くなっている。ニールに至ってはベッドへ倒れ込んだ直後から殆ど動いていない。ルキフェルは扉を閉めると立ち尽くし、ジャスパーの左耳に目を向けた。彼の耳元で揺れる、鮮やかなトルコ石を吊るしたイヤリング。ジャスパーの母親の形見。昔はあれを見ても、ただジャスパーにしては派手としか思わなかった。けれど、今は違う。ポケットの中にある、もう一つの重みを知ってしまったから。ルキフェルはポケットに手を入れ、指先に触れる冷たい感触を取り出した。掌の上に乗せると、煤で黒ずんだ片割れが輝きを失っている。


「……これ、アントワーヌから託された」


 ルキフェルがイヤリングを見せながら低く言うと、ジャスパーは片目を開けて鼻を鳴らした。


「ほんとだ。すっかり黒ずんでる」


 ルキフェルは掌の上のイヤリングを見つめる。


 ——さっき、レオンに渡せばよかったかもしれない。


 けれど、もう遅い。それに、あの時のアントワーヌは自分に託した。ジャスパーが天井を見たまま言う。


「言っとくけど、おれは着けないからな。あいつがお前に託したものなんだから、お前が持ってろ」


 ルキフェルはため息を吐き、再びイヤリングをポケットへしまう。


「……別に押し付ける気はない」

「だろうな」


 やがて夜は深まり、一人、また一人と意識を手放していった。コリンは丸まったまま寝息を立て始め、彼の隣ではニールも疲れ切ったように眠っている。マテオは椅子にもたれたまま呼吸を繰り返し、ジャスパーもいつの間にか目を閉じていたが、ルキフェルは窓辺へ寄って外を眺めていた。

 夜の海だ。月光を受けた波が揺れている。風がカーテンを揺らし、白いシャツの袖を撫でていく。ルキフェルは窓枠へ寄りかかって夜をじっと見つめていた。胸の奥には、あの最後の笑顔。目を閉じるたびに蘇る。マクシムではない、アントワーヌとして笑った、あの瞬間。眠ろうとしても意識が沈まない。頭の奥で、いくつもの感情が渦を巻いていた。悲しみ、怒り、喪失感。そして、これから始まる裁判への不穏な予感。世界は止まってくれない。アントワーヌたちが死んでも波は寄せて返す。夜風が暗褐色の髪をふわりと揺らした。


 ルキフェルはひとり、窓辺で明後日の方向を見つめている。

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