第四章③ ルキフェル
裁判所を後にして再び徒刑所内の宿泊部屋へ戻されてからも、五人組の間に会話はほとんどなかった。
マテオは椅子に深く腰掛けて苛立ったように床を睨み続けていた。ジャスパーは窓際に立ち、腕を組んだまま外を見ている。ニールは目を閉じ、コリンは寝台の上で膝を抱えていた。ルキフェルは壁際に立ったまま動かなかった。頭の奥ではまだ法廷の音が響いている。木槌、鎖、すすり泣き。そして——死刑の宣告。呼吸が浅い、胸の奥に重たい石みたいなものが沈んでいる。
やがて、ルキフェルは仲間に行き先も告げず部屋を出た。徒刑所の廊下は静まり返り、窓の外では夕暮れが始まっている。赤黒く染まる光が石壁へ細長く伸びて血みたいだった。
ルキフェルは執務室——エリオットがトゥーロン滞在中に使っている一室——の扉前で足を止めた。今さら何を聞いて、何を言う。そんなもの自分でも分からない、それでも聞かなければならない気がした。ルキフェルは低く息を吐いて扉を叩くと、数秒後にくぐもった声が返ってくる。
「……入れ」
ルキフェルが扉を開けると、執務室内にはエリオット一人しかいなかった。机の上には大量の書類が積まれている。エリオットの顔には隠し切れない疲労が滲んでいた。それでも、背筋は崩れていない。エリオットは椅子に座ってルキフェルを見つめる。
「……どうした」
ルキフェルは少しだけ目を伏せ、掠れた声で問いかける。
「執行日はいつだ。……それまでに、アントワーヌに会いたい」
エリオットは目を瞑って低く言う。
「明日、他の隊員たちへの最終尋問がある。明後日には、正式に処刑執行日が通達されるだろう」
ルキフェルは思わず息を呑んだ。時間がない。エリオットは書類へ視線を落としたまま続ける。
「実はさっきアルフォンスから知らせが来た。……国王陛下が来ている」
「……は?」
ルキフェルの口から漏れた声は殆ど呻きだった。国王がこの街にいる。あの王宮の頂点に立つ男が海賊を悪と決めつけ、見世物のように処刑を並べてきた元凶がこのトゥーロンにいる。
「……何のために」
ルキフェルは顔を強張らせ、エリオットは重々しく答える。
「アントワーヌの処刑を見るためだ。国に従事する者を裏切り者と呼び、その最期を見届けるため、だそう」
その瞬間、ルキフェルの腹の底からドス黒いモノが込み上げた。吐き気に近い怒り、喉が焼ける。アントワーヌは、あいつは国のために戦ってきた。仲間を守ろうとして、踏みにじられたものを守ろうとして。それなのに、あいつの最後も見世物みたいに処刑されるのか。ルキフェルの指先がピクリと震え出し、エリオットは彼の指先に気づくとルキフェルの目を見つめた。
「あまりここへは来るな。……国王陛下は、君を視界に入れたくないはずだ。間違いなく」
エリオットの言葉に含まれた意味を、ルキフェルは理解してしまった。海賊だから、傷だらけだから、レオパード家の血を引いているから。あるいは全部か。エリオットは息を吐くと机へ視線を戻す。
「もう戻れ」
それ以上話す気はない。いや、話せないのだろう。ルキフェルは数秒その場に立ち尽くしたあと何も言わず踵を返した。扉を後ろ手に閉め、誰もいない廊下を歩く。石壁、薄暗い灯り、靴音だけが響く。胸の奥がぐちゃぐちゃだった。アントワーヌが死ぬ。国王が来る。裏切り者の最期を見るために。ふざけるな。奥歯が軋んで呼吸が荒くなる。どうして、どうして、あいつばかり。ルキフェルが歩みを止めた瞬間、鈍い音が廊下に響いた。石壁の衝撃が拳から肩まで駆け巡る。左腕の骨の奥が嫌な痛みを上げた。
「っ……!」
悔しかった。何もできない自分が止められなかったことが、また失おうとしていることが。拳を壁に押しつけたまま、ルキフェルは俯いて肩を震わせた。
二日間、五人組はほとんど部屋へ閉じ込められたまま過ごしていた。外へ出ることは許されない。窓の外から聞こえるのは、港町のざわめきと遠くで鳴る鐘の音だけ。重たい空気が部屋の中に澱んでいる。当然、誰もまともに眠れていなかった。
マテオは何度も苛立ったようにため息を吐き、ジャスパーは椅子へ深く腰掛けている。コリンは落ち着かず部屋の中をうろうろと歩き回り、ニールが窓際へ立って外を眺めていた。ルキフェルは寝台に座り込んだまま、ほとんど喋らなかった。嫌な予感はずっと消えていない。やがて、部屋の扉が叩かれて全員の視線が一斉に向いた。
「……失礼します」
扉を開けたのは、アルフォンスだった。顔色はひどく悪い。彼が部屋へ入ってきた瞬間、五人組の空気がさらに張り詰める。アルフォンスは数秒口を開かなかったが、結局諦めたように低く告げる。
「……判決が、出ました。ソフィー・ルノアールを除き、隊員たちは全員死刑です」
誰もが息を呑み、アルフォンスは苦しそうに目を伏せる。
「ソフィー・ルノアールは……事件を止められなかった責任を問われ、職務停止処分となりました。ですが……国王陛下の怒りは強い。復帰の見通しは立っていません」
「っ……!」
ルキフェルは勢いよく立ち上がり、アルフォンスが顔を上げるより早く胸倉を掴み上げた。
「おい!! ふざけるな……!!」
ルキフェルの怒鳴り声が部屋を揺らし、アルフォンスの背中が壁へ叩きつけられた。ルキフェルの翡翠の目が怒りで焼けていた。理性が吹き飛んでいる。頭の中ではもう別のことが確定していた。
——スザンヌも死刑だ。アントワーヌだけじゃない、あの法廷にいた全員。
「ルキフェル!!」
ジャスパーが即座にルキフェルの腕を掴み、マテオも背後からルキフェルを強引に引き剥がした。解放されたアルフォンスがズルズルと床に沈む。
「落ち着け!!」
「離せ!!」
ルキフェルが低く吠え、ほとんど獣みたいな怒気を混ぜている。マテオは歯を食いしばって言い返す。
「殺す気か、ルカ!!」
「だったらどうした!!」
ルキフェルは荒れた呼吸で肩を激しく上下させている。ジャスパーが歯噛みしながら彼を押さえ込んだ。
「今、アルフォンス殴って何になる!!」
ルキフェルは二人の制止を振り解こうとするも、怒りと焦燥と恐怖で頭の中がぐちゃぐちゃだった。ニールがすぐにアルフォンスの元へ駆け寄る。
「立てる?」
「……はい」
アルフォンスは苦しそうに咳き込んで頷いた。ニールはアルフォンスを支えて立ち上がらせ、ルキフェルが落ち着いたのを見計らって表情を引き締めた。
「……それ、いつですか」
アルフォンスはニールから視線を外して低く答える。
「……マクシミリアン・ブーケに関しては、四月六日の朝です。副官のリラ・シャネルも、副隊長のダヴィット・オードランも……お二人の希望で続けて執行されます。その後、他の隊員たちは……数日かけて刑が執行される方針が決まりました」
コリンが「そんな……」と声を震わせ、部屋の中から音が消えた。ルキフェルの顔色がひどく青ざめている。マテオもジャスパーも押し黙っていた。アルフォンスはそんな彼らを見回すと、顔を背けて囁くように言う。
「……ごめんなさい」
アルフォンスは唇を噛んで部屋を出ていく。扉が重たい音を立てて閉まった瞬間、コリンがその場にへたり込んだ。
「……やだ、やだよぉ、そんなの……」
ルキフェルは俯いたまま、爪が食い込むほど拳を強く握り締めた。
一方、トゥーロン徒刑所の最上階。臨時の執務室として使われている一室には、張り詰めた空気が漂っていた。窓から夕陽が海を赤黒く染める光が室内へ差し込み、重厚な机と王家の紋章を鈍く照らしている。
部屋の中央には、国王ルイ二十五世。彼の前に立つのはエリオット、そして背後にはイザベルとルソーが控えていた。静寂の中、ルイ二十五世が穏やかな声音で口を開く。
「レオパード家の血筋問題に関してだが、余は直接関与せぬ」
エリオットの眉がピクリと動き、ルイ二十五世は椅子へ深く腰掛けたまま続ける。
「余は処刑を見届けたあと、すぐにヴェルサイユへ向けて発つ予定だ」
「……では、審議はどなたが」
エリオットが低い声で問いかけた時、コンコンと不意に扉が叩かれる。
「入れ」
ルイ二十五世が気軽に声をかけた。扉が開いて靴音が小気味よく近づいてくる。入ってきた男を振り返ると、エリオットの表情が目に見えて険しくなった。
整えられた黒髪、痩せた身体、柔和に微笑む口元。だが、その奥に沈む何かが異様だった。
シルヴェストル・ダラスの姿を視界に入れた瞬間、エリオットの胃の奥が嫌な感覚で軋む。
——こいつか。フランス海軍と海賊同盟の戦争を、あの大量の死を裏で弄んでいた男。
エリオットの中でぞわりと本能が警鐘を鳴らした。彼の背後ではルソーが聞き取れないよう低く唸り、獣じみた殺気を放っている。イザベルもまた冷え切った視線をシルヴェストルへ向けていた。
海軍にとって……いや、この国にとって本来なら敵でしかない男だった。だが、そんな空気に気づく様子もなくルイ二十五世はシルヴェストルを認識するなり表情を明るくした。
「おお、シルヴェストルか。ずいぶん遅かったな」
王が信頼する側近へ向ける声に、シルヴェストルは恭しく一礼する。
「遅くなり申し訳ありません」
柔らかな口調、完璧な礼儀が逆に気味悪い。シルヴェストルはエリオットへ視線を向けると、アイスグレーの瞳を細めて深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、シルヴェストル・ダラスと申します。王宮では国王陛下のお側で、宰相の一人として任に就いております」
エリオットは胸の奥に込み上げる吐き気を押し殺していた。この男が笑っている。この男がどれだけの人間を死へ追いやり、どれだけの血を流させた。エリオットの脳裏に浮かぶのは燃える海と沈む船、絶叫と仲間を失った部下たち。
——すべて、この男の盤上だったのか。
胸の奥が焼けるも、エリオットは表情を崩さず胸へ手を当てて一礼する。
「……フランス海軍大元帥、エリオット・レオパードです」
ルイ二十五世は穏やかな調子のまま告げる。
「このダラス家が審議役として、血筋問題へ裁定を下すこととなる」
ルソーは鋭い目つきを剥き出し、イザベルの表情から温度が消えた。エリオットはシルヴェストルを険しい目つきで見て、シルヴェストルもまたエリオットを見返していた。
微笑んでいるのに、目は笑っていない。まるで互いの喉元へ刃を突きつけ合っているみたいな沈黙だ。
——こいつは危険だ。
理屈ではなく、この男を野放しにしてはいけないと全身が告げている。




