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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】9・10巻「完結編」  作者: セキユズル
第三章「……うわぁ、あいつかよ」
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第三章③ 五人組

 五日間に及ぶ航海の果て、護送船はようやくトゥーロン港へと辿り着いた。


 灰色の海の向こうに広がる港町は、ブレストとは空気が違う。潮の匂いに混じる熱気、乾いた石畳、南方特有の強い陽射し。それでも甲板に立つルキフェルの胸に最初に入り込んできたのは、土地の匂いではなく人の気配だった。港が騒がしい、接岸する前から岸壁には黒い山のように人が集まっているのが見えた。まるで祭りでも始まるかのような熱気だが、聞こえてくる声色は歓喜ではない。嘲り、好奇、嫌悪がこちらへ向けられている。


「随分なお出迎えだな」


 ジャスパーがぼそりと呟く。アンバーの瞳は一切笑っていなかった。彼の隣ではマテオが壁に背を預けたまま鬱陶しそうに舌打ちする。


「うるせえな……動物園かよ」


 コリンは珍しく静かだった。いつもなら外を覗き込んで面白がるはずなのに、今は膝を抱えて細い指先で服の裾を握っている。ニールはそんなコリンの様子を横目で見ながら無意識に身体を寄せていた。護送船が岸へ近づくにつれ、民衆の顔がはっきり見え始める。


「あれが海賊か、化け物らしいぞ」

「人殺しだって話だ」

「どいつだ、翠の目の奴は」


 五人組が甲板に上げられると無遠慮な声が飛んできて、ルキフェルは目を伏せた。そういう目で見られることには慣れている。海賊として指名手配されてから何度も浴びてきた視線だったが、今は少し違う。自分だけではない、隣には仲間がいる。自分たちの後ろには鎖に繋がれた旧マクシム隊もいる事実が、妙に胸を重くした。船が接岸するとトゥーロン側の兵士たちが乗り込んできて怒号が飛ぶ。


「整列しろ! 順番に降りろ!」


 まず旧マクシム隊が鎖を繋がれたままタラップを降りて行く。アントワーヌは列の先頭で歩かされていた。ルキフェルはアントワーヌの背中を見た瞬間、どこか別人のように感じた。灰色の囚人服、痩せた肩、手足に巻かれた鉄鎖。それでも背筋は崩れていない。アントワーヌが港に降り立った瞬間、民衆の歓声が一段高くなった。


「あいつが隊長か!」

「裏切り者だ!」

「海軍の恥さらし!」


 怒号が飛び交うが、アントワーヌは顔を上げず前だけを見ている。彼の後ろには旧マクシム隊の面々が続いていた。ジョルジュは明らかに顔色が悪く、鎖に繋がれたまま必死に周囲を見回している。怯えているのが分かったが、それ以上に仲間の様子を確認しているようだ。アニータは唇を引き結び、リゼーヌは俯いたまま歩き、時折民衆から投げられる言葉に肩を揺らした。


「女までいるのか」

「みっともない」

「海軍のくせに海賊とつるんでた連中だろ」


 兵士たちが列を進ませ、石畳に鎖が擦れる音が響いた。ルキフェルは歩きながら、初めて見るトゥーロンの街並みを眺める。本来なら美しい街なのだろう。だが、今の彼らに向けられるのは景色ではなく視線だった。好奇と嫌悪に満ちた目の中に純粋な恐怖も混ざっている。海賊を本当に怪物だと思っている目だった。コリンが舌打ちする。


「……感じ悪」

「コリン、目立たないで」


 ニールがすぐに周囲を睨み返し、ジャスパーは肩を竦める。


「有名人って辛いねぇ」

「笑えねえよ」


 マテオが唸るように返すが、軽口が続かなかったのは前を歩くアントワーヌの背中が見えたからだ。彼だけ隊から切り離されている。周りを囲う兵士の数も違う、扱いも違う。最初から別格の罪人として扱われていた。


 アントワーヌは歩くたび鎖を鳴らし、その音を聞くたびに脳裏にはマクシミリアン隊での日々が浮かんでいた。ブレストの宿舎、食堂、夜明け前の訓練、馬鹿騒ぎする隊員たち。自分は守れていたのだろうか、そんな考えが過る。違う、守るために動いたはずだった。なのに、結果として自分は彼らをここへ連れてきてしまった。ダヴィットのため息が耳に残る。シャルルが唇を噛み締め、リラは震えていた。それでもアントワーヌは振り返らなかった。振り返れば、きっと二度と歩けなくなる気がした。


 やがて、一行の前に巨大な石造りの建物が現れる。徒刑所だった。黒鉄の門、高い壁、鉄格子の窓。まるで巨大な獣が口を開けているようだ。民衆の歓声が高まり、兵士たちは罪人たちを押し込むように進ませた。門がけたたましい音を立てて閉まる。外の喧騒が遠ざかった瞬間、今度は別の音が耳に入ってきた。鎖の音と遠くから響く悲鳴にルキフェルは思わず眉を顰める。


「……嫌な場所だな」


 その直後、兵士の怒声が飛んでアントワーヌが別方向へ連行されていく。


「マクシミリアン・ブーケを連れて行け!」

「隊長……!」


 ジョルジュが思わず声を上げるも兵士に押さえつけられる。アントワーヌは一瞬足を止めるも、何も言わず暗い通路の奥へ消えていった。彼の背中を見送った瞬間、ルキフェルは妙な感覚に襲われた。あれはもう、隊長ではない。これから裁かれる、一人の男だ。そして同時に自分たちもまた同じ場所へ向かっているのだと嫌でも理解させられた。


 アントワーヌは別の通路を歩かされ、重い鉄扉が閉まる音が湿った石壁の奥へ鈍く響く。彼は地下深くに設けられた独房へ押し込まれた。狭い、壁も床も冷たい石造りで空気は湿っている。窓らしいものは高い位置に小さく空いているだけで、光はほとんど入らない。鎖に繋がれた手をわずかに動かすだけで、鉄が骨に食い込む感覚が走った。扉の向こうからは何も聞こえない。隊員たちの声も、通路の気配も、まるで世界から切り離されたようだった。


「……おれは、こんな場所に来るはずじゃなかった」


 アントワーヌの口から掠れた声が漏れると、言葉は石壁に吸われてすぐに死んだ。返事はない、あるのは沈黙だけ。アントワーヌは壁に背を預けた。湿った冷気が服越しに伝わってくる。頭の奥ではまだブレストの日々が残っていた。

 食堂で騒ぐジョルジュ、書類を抱えて走るリラ、文句を言いながら夜番を代わるダヴィット、シャルルの妙な歴史談義。そんな日常を自分は守れていると思っていた。隊長として。

 だが、結果はこれだ。隊員たちは牢へ押し込まれ、自分は彼らから完全に隔離された。守るどころか、自分がここへ連れてきた。鎖が鳴り、通路のどこかで扉が開閉する音がした。誰かが運ばれていく、誰かが閉じ込められていく。それでも、アントワーヌには確かめる術も声を掛ける術もない。ただ、自分の無力が暗闇の中でやけに鮮明だった。


 一方、隊員たちは同じ牢へ押し込められていた。湿った石壁、鉄格子、鼻につく黴と錆の臭い。ジョルジュは床に座り込み、膝を抱えたまま俯いている。普段の騒がしさは影を潜め、時折落ち着きなく視線を彷徨わせていた。


「……隊長、独房かな」


 アニータは壁に背を預けて目を閉じていた。疲労で顔色が悪い。リゼーヌは鉄格子へ手を掛け、外の気配に耳を澄ませている。ダヴィットは苛立ったように舌打ちした。


「くそ……なんなんだよ、ここ」

「静かにして。余計に目をつけられる」


 リラが小声で宥めるが、その声も震えていた。シャルルは珍しく口数が少なく牢の隅に座り込み、何かを考え込むように床を見つめている。民衆の歓声が遠くから微かに聞こえてきた。笑い声と怒号、何かが壁にぶつかる鈍い音。ジョルジュが肩を震わせる。


「……ボクたち、ほんとに処刑されるのかな」


 その頃、五人組の海賊たちもまた別の通路を歩かされていた。両脇を兵士に囲まれたまま湿った石廊下を進んでいく。


「うわ、最悪。じめじめしてるし臭いし、絶対虫いる」

「諦めて」


 コリンが露骨に顔を顰めるとニールが叱咤する。マテオは周囲を睨み続けていた。監視兵の人数、武器、通路の構造を癖のように確認している。ジャスパーは肩を竦めて呟く。


「ま、海賊なんて普通こんな扱いだろ」


 兵士たちの視線に明確な警戒が混じっていた。まるで猛獣を扱うような目。ルキフェルは彼らの空気の理由を理解していた。海賊だからではない、自分がいるからだ。


 ——レオパード家の息子。


 その情報は、もう王宮まで届いている。だからこそ、自分たちは普通の海賊として扱われないことは察せられた。嫌な予感がずっと胸の底に沈んでいる時、廊下の奥から慌ただしい足音が響く。


「おい、待て!」


 別の監視兵が息を切らしながら駆け込み、五人組の顔を順に見てから声を荒げる。


「違う! そいつらは牢じゃない! 応接室だ、海軍大元帥の命令だ!」

「……は?」


 最初に反応したのはマテオだ、ジャスパーも目を瞬かせている。


「応接室? 海賊を?」


 ニールが眉を顰め、コリンに至っては腐敗臭を嗅いだような顔をした。


「……なにそれ。逆に怖いんだけど」


 監視兵たちは顔を見合わせ、慌てて進行方向を変えた。彼らの様子を見ながら、ルキフェルは目を伏せた。優しさではない。これはエリオットが海賊を庇ったわけでも、大元帥として情を見せたわけでもない。ただ、自分がレオパード家の子息だから。だから王宮も海軍も扱いを決めかねている。事実が胸の奥を鈍く重くした。ルキフェルが気の流れを感知して横を見ると、鉄格子の向こうで旧マクシム隊の隊員たちが自分たちを見ていた。


「え? なんで海賊だけそっち行くんだよ!?」

「応接室って何!?」


 ダヴィットが素っ頓狂な声を上げ、リラも困惑を隠せない様子。シャルルは目を丸くしたまま呟く。


「いや、ぼくにも全く意味が分からないんだが……」


 ジョルジュは不安そうに五人を見つめていた。アニータとリゼーヌも視線を向けるが、疲弊した表情は変わらない。一方でサミュエルは目を細め、ロザリーも俯いた。ペネロペも長く息を吐いている。三人とも察していた。ルキフェルの出生、レオパード家、王宮が隠そうとしているもの。だからこそ、これは海賊への待遇ではない。もっと厄介な何かだ。そして、スザンヌだけは別の意味で青ざめていた。応接室の言葉が逆に恐ろしい。牢ではない、普通の扱いでもない。つまり、もっと深い場所へ連れて行かれる予感が、胸の奥を強く締めつけていた。


 ルキフェルはそんなスザンヌの視線に気づかないまま、兵士に促されて歩き出す。湿った石廊下の奥へ、この先に待つ何かへ向かうように。地下を抜け出し、上質な階段を上がり、応接室へ通されたあと部屋には妙に重たい沈黙が落ちた。牢ほど劣悪ではない。石壁には燭台が掛けられ、粗末ながら椅子と机も置かれている。湿気も先ほどの地下牢よりは幾分ましだったが、逆に落ち着かなかった。海賊をこんな場所へ通す理由が分からない。コリンはソファの端へ腰掛けて露骨に眉を顰めた。


「……絶対なんか企んでる」

「お前、疑い深すぎだろ」


 ジャスパーが軽く笑うが、目は笑っていない。マテオは部屋の隅に立って壁へ寄りかかり、腕を組んでいた。ニールは扉の近くへ立って外の気配を窺っている。ルキフェルは部屋の中央に立ったまま、時折ソフィーに目を向いていた。ソフィーもまた言葉を探すように、目を彷徨わせている。ここへ来るまでに、あまりにも色々なことが起きすぎた。誰も軽々しく口を開ける空気ではない。沈黙が続く中、コリンが耐えきれなくなって呟く。


「……ねえ、なんでソフィーまでここいるの」

「参考人扱いでしょ」


 ニールが返すとコリンは困り眉を見せる。


「でも鎖ついてなかった」

「そりゃ海賊じゃないからね」

「じゃあ、ぼくたちは?」

「海賊」

「最低」


 コリンが唇を尖らせる。二人のやり取りを聞きながら、ソフィーは彼らから顔を背けて笑みを溢した。次の瞬間、廊下から足音が響いてくる。複数の規則正しい軍靴の音に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。マテオは目を細め、ニールは即座に扉の前から退いた。ジャスパーも笑みを消し、ルキフェルは振り返って扉を見つめていた。やがて、扉が開いて穏やかな声が飛んでくる。


「——失礼」


 エリオットが姿を現した。紺色に金刺繍の軍服、隙のない立ち姿。海軍大元帥としての圧が部屋へ入り込んでくる。続いてイザベル、ルソー、アルフォンスも入室した。アルフォンスは五人組を見るなり僅かに顔を強張らせ、ルソーは眉間に深い皺を寄せ、イザベルはどこか気まずそうに視線を逸らした。


「さて……」


 エリオットは部屋を見渡したあとソフィーへ視線を向けた。


「君は隣室で待機してくれ。イザベル、ルソー、アルフォンスも一緒にだ。……彼らとは、こちらで話をする」

「えぇ……」


 コリンが小声を漏らし、マテオはエリオットを睨んだ。ジャスパーは首を傾げ、ニールはルキフェルの横顔を見つめた。ルキフェルはエリオットから目を離さず息を詰めている。この場は、自分のために用意されたものでもある。嫌でも胸の奥を重くする。


「……分かりました」


 ソフィーは頷き、扉へ向かう途中で一瞬ルキフェルを見るが、ルキフェルは視線を合わせなかった。合わせれば、何かを口にしてしまいそうで。ソフィーは物憂げな表情で隣室へ移動すると、イザベルたちも後に続いて扉が閉まった。静寂が落ちた応接室で、エリオットはルキフェルに目を向けた。海軍大元帥としての視線なのか、父としての視線なのか。ルキフェルには分からない。やがてエリオットは息を吐き、先ほどまでの公的な響きより幾分柔らかい声で言う。


「……落ち着かないよな」

「そりゃそうでしょ。海賊が小綺麗な部屋とか意味分かんないし」


 コリンが怪訝そうに眉を寄せ、ジャスパーが苦笑する。


「おれたち、牢ぶち込まれる流れだと思ってたんだけど」


 エリオットは一度目を閉じると改めて五人を見渡した。


「実際、その予定だった。あとで宿泊部屋を案内しよう。五人一緒だ、そこで身体を休めなさい」


 五人組は一斉に顔を見合わせた。ジャスパー、マテオ、コリン、ニールの視線がルキフェルに突き刺さる。「お前が聞けよ」という無言の圧に耐えきれず、ルキフェルは一歩後ずさるとエリオットに向き直った。


「……俺たちだけ? 海賊なのに?」

「レオパード家の人間だからこそだ」


 エリオットが重々しく告げると、ルキフェルは顔を僅かに強張らせた。やはりそうか、と胸の奥で何かが沈む。海賊だからではない、仲間だからでもない。レオパード家の血が扱いを変えている。優遇ではなく、分類。コリンが顔を顰める。


「……感じ悪」


 ニールがコリンの肩を軽く小突き、エリオットは彼らの反応に何も言わず続ける。


「アントワーヌの裁判は三日後。君たちも重要参考人として出席することになっている」

「参考人、ねえ」


 ジャスパーが目を細めると、エリオットはルキフェルを見据えて告げる。


「代表として……ラウルが証言台へ立つ」


 その瞬間、部屋の空気が凍りついてマテオが顔を上げる。


「は?」

「なんでルキフェルが?」


 ニールも眉を顰め、コリンはルキフェルを見上げた。ルキフェル自身はすぐには言葉を返せなかった。証言台、裁判、つまり人前で語る。そんな経験は一度もない。やがて、ルキフェルは掠れた声で呟く。


「……何を言えばいいんだ」


 エリオットは逡巡してから答える。


「おそらく、事件当日のことだろう。……あの屋上での出来事だ」


 その瞬間、ルキフェルの脳裏にあの日の光景が蘇る。夜風、血の匂い、剣戟と崩れかけた呼吸。そして、アントワーヌと互いに突きつけた秘密。あの場で交わされた言葉を証言しろということか。


「……無理だ。言えないことが多すぎる」


 ルキフェルは低く吐き捨てた。エリオットは目を伏せて眉間に皺を寄せると、顔を上げてルキフェルを見つめる。


「黙秘権は知っているか」

「……もくひ?」


 ルキフェルが眉を寄せるとコリンも首を傾げた。


「なにそれ」

「おれたち海の上専門なんでね。陸のルールはさっぱりだ」


 ジャスパーがやれやれといった具合に両手を上げると、エリオットは苦笑に近い息を漏らす。


「裁判では、答えたくない問いに無理に答える必要はないという権利だ」


 マテオが腕を組んでエリオットに問いかける。


「権利? 黙ったままでいいってことか?」

「ああ。答えたくないことは答えなくていい」


 エリオットが頷いて答えると、ルキフェルは思わず瞬きをした。そんなものが、この国にはあるのか。海賊として生きてきた彼には妙に現実感が薄い。エリオットはルキフェルを見ながら続ける。


「もちろん万能ではないが、少なくとも君を守るための制度ではある」


 守る。ルキフェルはエリオットから目を逸らした。自分は守られる側ではない。ずっとそう思って生きてきたからこそ、エリオットの言葉は落ち着かなかった。エリオットは五人組を順に見て眉を八の字にして言う。


「詳しい話はまた後でしよう。今は休め、顔色が全員悪い」

「そりゃ五日間、船に乗って裁判だのなんだの言われりゃな」


 マテオが不機嫌そうに返すが、エリオットは穏やかな表情で「来なさい」とだけ告げると背を向ける。

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