第二章④ シルヴェストル
その頃、ヴェルサイユ宮殿ではマクシミリアン隊の謀反について結論が出ていた。裁きはトゥーロンで行う。それだけの話だったはずだが、均衡を崩したのは数通の書簡だった。海軍大元帥エリオット・レオパードからの正式な手紙、それに付随する極秘報告がひとたび開示された瞬間、王宮は騒然となった。
「待て、待て……つまり、どういうことだ」
「大元帥の……息子だと?」
「しかも海賊……?」
「いや、ただの海賊ではない。五鬼衆の頭目……あの“化け物”だ」
名を言わずとも、五鬼衆の噂は誰もが耳にしていた。戦場を掻き乱し、規格外の戦闘力で敵味方を震え上がらせた存在。
「指名手配書も出回っている……街では子どもですら知っているぞ」
「そんな男がレオパード家の血を引いているなど……」
「あり得ん。あってはならん話だ」
「……いや、だからこそ、かもしれん。血がすべてを決める世界だ。あの力も……説明がつく」
「つまり国の英雄の血が、海賊に流れていると? それを放置していたのか、海軍は」
「いや、それより問題は……その男を、今さら貴族として迎え入れるなどと……」
嘲りと恐れと好奇心が混ざり合い、やがて格好のゴシップへと変わっていった。
「はは、笑えん冗談だな」
「いや、むしろ面白い。これほどの話題、滅多にないぞ」
「英雄の血か、怪物の血か。どちらに転ぶか見ものだ」
一方、ダラス家の屋敷ではシルヴェストルが書類の束をめくっていた。古びた記録、父が生前に管理していた裏取引の証拠。人身売買、貴族の子弟を対象とした選別と確保の一枚に指が止まり、彼の視線がある一行に釘付けになる。レオパード家、襲撃予定日。そして、その直後の記録。壊滅と拠点の喪失、取引網の断絶と傘下海賊団の殲滅。原因欄には簡潔に記されていた。
——ゼフィランサス。
シルヴェストルの喉が鳴って乾いた笑いが漏れた。
「……はは、そういうことか」
あの時、商業ラインが崩壊した理由。説明のつかなかった暴力が繋がる。
「……あの若いやつ。まさか、あの時の対象か?」
シルヴェストルの指先が震え、冷や汗が背を伝う。もしそうなら、あの海賊はかつて自分たちが商品として扱おうとした存在。そして、ゼフィランサスはすべてを潰した。シルヴェストルの表情に恐怖と歪んだ興奮が混ざる。
「……面白い、因果ってやつか」
屋敷の奥、ドミニクは薄暗い部屋に閉じこもっていた。窓は閉ざされ、外の光はほとんど届かない。彼は床に座り込み、虚ろな目で何もない空間を見つめている。
「……終わった」
紅い星の予言は成就した。運命が示された瞬間、黒辰封儀教団は崩壊した。信徒たちは狂い、秩序は瓦解し、導きは失われた。導師としての役目も、父から託された使命も消えた。
「……だったら、もういいよね」
ドミニクは夢蛇の小瓶を手にして傾け、壊れた笑みを湛えた。現実はもう必要ない。意味も役割も責任も、すべて消えたのだから。彼は幻覚の中へとさらに深く沈んでいく。
数日後、ヴェルサイユ宮殿の玉座の間にて。ルイ二十五世は退屈そうに書簡を閉じて吐き捨てるように言う。
「……面倒だな。海賊など見るに値しない。犯罪者は悪、それで終わりだろう」
貴族たちが押し黙る中、ルイ二十五世は玉座の肘掛に肘をついて興味なさげに手を振る。
「レオパード家の件は別途審議とする。余は関わらん、誰か適当にやれ」
その場にいた貴族たちはすぐに理解した。これは権限の委譲と同時に好きに動いていいという合図だ。その時、シルヴェストルが貴族たちの間を縫うように進み、玉座の前に歩み出る。
「陛下。その役目、ダラス家が引き受けましょう。海賊どもとの争いに決着をつけるためにも、我々には責務があります」
「……好きにしろ」
ルイ二十五世がシルヴェストルを一瞥して玉座に背を預けた。こうして、シルヴェストルは審議役として任命される。行き先はトゥーロン、裁きの地。そして、再び交差する運命の場所。シルヴェストルもドミニクも、ピエールのことなど口にしない。ましてやダミアンの存在すら話題に上らない。
彼らにとって重要なのは、ただ一つ。自分の利と過去の清算だけだ。




