58. 街のルール
「じゃあ、今日は貨幣について話をするね。僕も人に教えるのは初めてだから、分かりにくいところがあったら言ってね」
僕がそう言って机の上に銅貨を並べると、前に座っていた子供たちが一斉に身を乗り出した。
銅貨を十枚並べ、その横へ銀貨を一枚置く。
「これは知ってる人もいると思うけど、銅貨十枚で銀貨一枚になる。じゃあ、ここに銅貨が二十三枚あったら、どうなると思う?」
子供たちは目の前に並べた硬貨を眺めながら考え始めた。指を使って数える子もいれば、隣の子と小声で相談している子もいる。
少しすると、ネレイス人の子供が手を挙げた。
「銀貨二枚と、銅貨が三枚?」
「正解。よく分かったね」
答えを聞いた子供が嬉しそうに笑い、周りではもう一度硬貨を数え直している。
そのまま何問か続けていると、後ろに座っていた大人たちも少しずつ口を挟むようになった。
「十枚ごとに銀貨に変えりゃいいんだな。だったら思ってたより分かりやすいな」
フェル人の男がそう言いながら、机の上の銅貨を十枚ずつに分けていく。
「俺たちは普段こんなふうに金を数えないからな。銀貨一枚って言われても、どれくらいなのかいまいち分からなかったんだよ」
「慣れないと分かりにくいですよね。僕も最初は銅貨を一枚ずつ数えてました」
旅を始めたばかりの頃、エドガーさんに何度も同じことを聞いた覚えがある。
今では街へ行くたびに普通に計算しているけれど、最初から何でも知っていたわけではない。
「じゃあ、次は少し変えてみましょうか」
隣にいたリシアが、銅貨と銀貨をいくつか手元へ寄せる。
「魚を売って、銀貨三枚と銅貨六枚を受け取りました。そのあと塩を銀貨一枚と銅貨八枚で買ったら、手元にはいくら残るでしょう?」
さっきより難しくなった途端、子供たちの顔が真剣になる。
後ろにいた大人も黙り込み、それぞれ指を動かしながら考えていた。
「銀貨二枚と……じゃないな。銅貨が足りなくなるのか」
ネレイス人の男が呟く。
「銀貨を一枚、銅貨にすればいいんじゃない?」
近くにいた子供が言うと、男は一度硬貨を見てから頷いた。
「なるほど。銀貨一枚を銅貨十枚にして……そうか、銀貨一枚と銅貨八枚か」
「正解です」
一度やり方が分かると、同じような問題はかなり早く解けるようになった。
数字だけを口にすると首を傾げる人でも、実際に硬貨を動かしたり、魚や塩の話に置き換えたりするとすぐに理解することがある。
「だったら、籠一つに魚が六匹入ってて、それが四つあったら?」
いつの間にか問題を出す側になっていたネレイス人の男に、今度は子供たちが答えを考えている。
勉強会を始めたのは僕たちだったが、しばらくするとあちこちでお互いに問題を出し合うようになっていた。
一度休憩を挟んだあと、今度は数を扱う別の話をしてみることにした。
村ではこれからも家や倉庫を増やしていく。
物を買う時だけでなく、必要な材料の数を考える時にも計算は使える。
「例えば、同じ大きさの家を三軒建てるとして、一軒につき柱が八本必要なら――」
「二十四本だねえ」
最後まで言い終わる前に、グレナさんから答えが返ってきた。
「……早いですね」
「まあ、建築のことなら普段から考えているからさ。他の人よりはドゥルガのほうが慣れてるかもね」
隣にいたドゥルガ人たちも、うんうんと頷いている。
少し数字を増やして難しくしてみても、グレナさんはほとんど迷わない。
材料の本数だけではなく、一本の木材から同じ長さの板を何枚取れるか、一定の間隔で柱を並べるにはどうすればいいかと話を変えても同じだった。
「グレナさんたちって、こういう計算は誰かに教わってたんですか?」
「いや、誰かに習ったわけじゃないよ。仕事で使ってるうちに、いつの間にかできるようになっただけさ」
グレナさんは続ける。
「字にして計算するやり方はあんまり知らないけどねえ。板が何枚いるとか、この長さから何本取れるとか、そういうのを間違えたら仕事にならないからさ」
家を建てるためには、ただ力が強ければいいわけではない。
柱の長さを揃え、材料が足りるかを考え、同じ間隔で組み上げていく。僕が数字として教えようとしていたことを、ドゥルガ人たちは別の形ですでに使っていた。
「これなら、グレナさんたちも他のみんなに計算を教えられるんじゃないですか?」
「え、私が教えるのかい?」
グレナさんは少し考えてから、楽しそうに笑った。
「まあ、簡単な計算なら教えられるかもねえ。代わりに私たちはお金のことを教わろうかね」
「もちろんです」
そのやり取りを聞いていたフィアが、後ろから身を乗り出す。
「畑のことなら私も教えられるよ。種をどれくらい蒔けばいいとか、畑をどこまで広げたら何人分くらい採れるとか!」
「魚のことだったら俺達もわかるぞ」
ネレイス人からも声が上がり、部屋の中が少し騒がしくなる。
僕とリシアがみんなに教えるだけのつもりだったが、農業や漁業など専門的なことであれば僕たちより詳しい人はこの村にいくらでもいる。
「じゃあ、今後はそれぞれ得意なことを順番で教え合うのはどうですか?」
僕がそう言うと、子供たちからも嬉しそうな声が上がった。
その後、話は子供たちが一番聞きたがっていた街のことへ移った。
「お金のこと覚えたら、もう街に行ける?」
最初に街へ行きたいと言っていたフェル人の子供が尋ねてくる。
「うーん…街に行くにはお金だけ分かってればいいわけじゃないから、もう少し勉強が必要かもね」
「他にも覚えることあるの?」
「もちろんあるよ。街にはリーヴァよりずっとたくさんの人がいるし、お店も建物も多い。道も人でいっぱいになることがあるから、勝手にどこかへ行ったら見つけられなくなるかもしれない」
子供たちが少し不安そうな顔をする。怖がらせたいわけではないので、街で見たものについても話した。
いろいろな食べ物を売る店があり、服や道具もリーヴァでは見たことがないほど並んでいること。大きな荷車が行き交い、村よりずっと立派な建物もあること。
その度に子供たちから質問が飛んでくる。
「魚も売ってる?」
「売ってるよ。この前はナギさんたちの魚も持っていったし」
「カルウスで街の中まで入れる?」
「中まで入るのは難しいかな。人も多いし、街の外で待っててもらうことが多いね」
いくつか質問に答えていると、今度はドゥルガ人の子供が手を挙げた。
「街の人って、俺たちを見ても平気?」
僕はその質問に、すぐに答えられなかった。
リシアも黙って僕を見る。
「……人によるかな。特に気にしない人もいれば、自分達と見た目が違うことに驚いちゃう人もいるね」
今まで旅をしてきた中でも、亜人を嫌うラウル人は見てきた。理由もなく怖がる人もいれば、露骨に見下す人もいる。
「だからこそ、街の決まりやルールはちゃんと覚えておこう。みんなが悪いことをしていなくても、見た目だけで嫌なことを言う人がいるかもしれないからね」
子供は少し考えたあと、それでも頷いた。
「じゃあ、勉強がんばる!」
「俺も!」
「私も街に行きたいからがんばる!」
座って勉強していた子供たちは、さっきまでより真剣な顔でこちらを見ていた。
外が暗くなり始めたところで、今日の勉強会は終わりにした。
一度に詰め込む必要もないし、明日もみんな仕事がある。
「次はいつやるの?」
帰る準備をしていると、子供たちがすぐに聞いてくる。
「毎日は難しいから、何日かに一回くらいかな」
「次もお金のことやるの?」
「お金の話もするし、街や国についても少しずつ話そうと思ってるよ」
後ろでは大人たちも次に聞きたいことを話していた。
税というものがどういうものなのか知りたいという人もいれば、街では誰が決まりを作っているのか気になるという人もいる。
エドガーさんから聞いた話の中には、僕自身まだ曖昧にしか理解していないものもある。みんなに教えるなら、僕も一度頭の中を整理した方がよさそうだ。
みんなが帰ったあと、机の上に残っていた銅貨をリシアと一緒に片づける。
「思ったより大人も多かったね」
「そうだね。子供たちに街のことを教えるだけになると思ってたのにね」
「グレナさんたちの計算が早いのはちょっと意外だったね」
二人で話しながら外へ出ると、先に帰ったはずの子供たちが広場の端に集まっていた。
何をしているのかと思って近くを通ると、小石を銅貨の代わりにして、さっきと同じような問題を出し合っている。
「十個で銀貨一枚だから、これなら銀貨二枚と……」
そんな声を聞きながら、僕とリシアはそのまま家へ向う。
次にここへ集まる時には、何を話そうか。
こうして思い返してみると、エドガーさんから教わったことはいくらでもありそうだった。




