46. 森の狩人たち
カルウスたちが集落に来てから、数日が経った。
最初こそ物珍しそうに遠巻きに見ていた人たちも、今では少しずつその姿に慣れ始めている。
朝になると、草地の端で木の実や葉を食べているカルウスの姿が当たり前のように見えるようになった。
キアが森へ向かえば何頭かが後をついていき、戻ってくればまた集落の近くでのんびり過ごしている。
もっとも、カルウスの方が人に慣れてきたからといって、人の方まで同じというわけではなかった。
「もう少し近づいて大丈夫だよ」
キアがそう言っても、少し離れたところにいるフェル人の男はなかなか動こうとしない。
「そう言われてもな。近くで見るとやっぱりでかいぞ」
男の名前はトア。
セナたちと一緒に移ってきたフェル人の一人で、昔から狩りを得意としていたらしい。
森に入ることには慣れているのに、自分より遥かに大きなカルウスを前にすると話は別のようだった。
「急に触ろうとしなければ平気だよ」
「お前は毎日一緒にいるからそう言えるんだろ」
トアが慎重に一歩近づく。
その瞬間、カルウスが顔を向けた。
トアの足が止まる。
キアが少し呆れたように息を吐く。
「怖がってるの、向こうにも伝わってるよ」
「そんなの分かるもんか?」
「カルウスたちは賢いからバレてるよ」
キアはカルウスの首を軽く撫でる。
「カルウスに人間へ慣れてもらうだけじゃ駄目なんだ。俺たちも、こいつらに慣れないと一緒には暮らせないから」
そう言って、キアはトアに木の実を一つ渡した。
「手を伸ばさなくていいから、その辺にゆっくり置いて」
トアが言われた通りに地面へ木の実を置く。
カルウスはすぐには近づかなかったが、少し離れたところからトアを見たあと、ゆっくりと歩いてくる。
トアは緊張した顔のまま動かない。
カルウスは足元の木の実を拾って食べると、しばらくトアを見つめている。
「……今のでいいのか?」
「最初はそれで十分さ。まだ初対面なんだから」
トアがほっとしたように息を吐いた。
そんなやり取りを見ていたのか、少し離れたところから子供たちも近づいてくる。
「僕もやっていい?」
「私も!」
キアは少し考えてから頷いた。
「良いけど、ルールは絶対に守ってね。まず走って近づかないこと。それと触りたい時も、相手に自分の手を見せてから触ること」
子供たちは真剣な顔でキアの話を聞く。
二人の子供がゆっくりと木の実を置いて食べさせる。カルウスも子供たちが怯えていないのが分かるのか、トアの時よりもずっとリラックスしているように見える。
地面に置いてある木の実をゆっくり食べたあと、カルウスは二人に顔をゆっくり近づける。
「ほら、撫でてもいいみたいだよ」
子供たちはまず自分の手をカルウスに見せる。それからゆっくりとカルウスが驚かないように頭を撫でてあげる。
「すごい!モフモフだ!」
「大人しくて可愛いー!」
子供たちは大喜びでカルウスと戯れている。
案外、大人より子供のほうが新しいものを受け入れるのは容易なのかもしれない。
何日かすると、カルウスの方から村の人たちへ近づいて来ることが増えてきた。
フィアは畑から余った葉を持ってくるようになり、ルダも家畜の世話を終えた後に体の様子を見る。
ガドさんや他のドゥルガ人のみんなは、いつの間にか作業中に近づいてきたカルウスの首を普通に撫でている。
「ガドさん、もう平気なんですね」
「ああ。何もしなければ大人しいからな」
ガドさんはカルウスを片手で撫でながら次の作業の準備をしている。
グレナさんは近くにいた一頭の羽毛を触りながら感心したように言う。
「思ってたより羽が柔らかいね。それに大人しくて可愛いじゃない」
以前なら大きな生き物が集落の中を歩くだけで、みんな作業の手を止めていた。
今では、カルウスが近くを通っても少し道を空けるくらいになっている。
カルウスたちが人に慣れていくのと同じように、僕たちの方も少しずつ彼らとの距離を覚え始めていた。
その頃になると、キアは毎日のようにカルウスを連れて森へ入っていた。
そしてある日の夕方。
森の方から今日もカルウスたちの足音が聞こえてくる。
僕が顔を上げると、キアが二頭のカルウスと一緒に戻ってくるところだった。
ただ、その後ろに小さな影がいくつも見える。
「……あれ」
リシアも気づいたらしい。
僕たちは森の入口へ向かった。
カルウスの足元を縫うように、羽毛に覆われた小柄な生き物が歩いている。
一匹ではない、全部で四匹いるようだ。
カルウスに比べればかなり小さいが、脚には鋭い爪があり、口を開けば牙も見える。
以前キアが話していたラプルスのようだ。
「もうこの子達も慣らしてきたの?」
「いや、まだカルウスほどは慣れてない。この辺まで来るのは今日が初めてだよ。でもすこしずつみんなにも慣れてもらわないとね」
ラプルスたちは僕たちを見ると足を止めた。
カルウスほど無警戒ではない。
体を少し低くし、こちらの様子を窺っている。
一匹が小さく喉を鳴らすと、他の三匹もその場で動かなくなった。
「近づかない方がいい?」
リシアが声を落として聞く。
「今はまだね」
キアもラプルスたちを見たまま答える。
「でもすぐに逃げたりしないな。カルウスたちが人間に慣れてるおかげで、このラプルスたちも様子を見てるんだと思う」
「この子たちは人間を襲わないの?」
「自分たちより背の高い生き物はあまり襲わないみたい。よっぽど腹が減ってたら話は別だけど」
ラプルスのすぐ近くでは、カルウスが何も気にせず葉を食べている。
その様子を見ているからなのか、ラプルスたちも森へ逃げようとはしなかった。
キアが小さな肉片を地面へ置く。
自分から近づかず、そのまま数歩下がった。
しばらくすると、一匹のラプルスが動く。
慎重に肉へ近づき、匂いを嗅いだ。
こちらを何度も確認してから、肉を咥える。
「お、食べた」
キアの口元がわずかに上がった。
「今日はこれで十分かな」
その日はしばらくカルウスの近くで過ごしたあと、ラプルスたちは日が沈む前に森へ戻っていった。
そして、ラプルスが日中に村へ顔を出すようになった。
日によって来る数は違ったけれど、カルウスが集落の近くにいれば、ラプルスたちも少し離れたところで休むようになった。
当然、カルウス以上にラプルスを怖がる人も多かった。
肉を食べるうえに、爪も牙もある。
「本当に大丈夫なのかい?」
セナも最初は少し慎重だった。
「まだ触らない方がいいだろうね。近づくのもやめた方がいい」
キアが答える。
「こっちが騒がなければ向こうも何もしないと思う。もし見かけても追いかけないで。餌をあげる時は俺か、慣れてる人がいる時だけにして」
そして集落にも、いくつか決まりができた。
急に追いかけない。
食べている物を横から取らない。
子供だけで近づかない。
ラプルスの方から距離を取った時は、追わない。
みんながルールを守ることで、ラプルスたちの様子も少しずつ変わっていった。
ラプルスが村に来るようになって数日後、人が近くを歩いても逃げなくなった。
フィアが畑から戻る途中、その横を一匹のラプルスが通り過ぎる。
フィアは思わず立ち止まったものの、ラプルスの方はちらりと見るだけで、そのままカルウスのところへ向かっていった。
「……今、普通に横を通ったよ!」
嬉しそうに言うフィアへ、キアが答える。
「フィアが前みたいに騒がなかったからね」
「私、そんなに騒いでた?」
少し離れたところで聞いていたセナが笑う。
子供たちも、遠くから眺めることにはすっかり慣れていた。
グレナさんはカルウスほど積極的に近づかないものの、仕事をしながら時々ラプルスの動きを目で追っている。
ガドさんに至っては、近くを一匹通ってもほとんど気にしなくなっていた。
人間と生き物のどちらかだけが慣れればいいわけではない。
互いにどこまで近づいていいのかを覚え、相手が何を嫌がるのかを知る。
キアが言っていた意味が、少しずつ分かってきた。
さらに数日が経った朝。
「今日は狩りに行ってみようと思う」
キアがそう言った。
その隣にはトアがいる。
さらにカルウスが一頭と、その周りにはラプルスが二匹いた。
普段なら狩りに出る時は、何人かで森へ入る。
けれど今日は、キアとトアしかいない。
「最初は俺も一緒に行くけど、上手くいけばトア一人でもできると思う」
トアが苦笑する。
「簡単に言ってくれるな」
「もうカルウスには乗れるだろ」
「まあ乗るだけならな」
どうやら、この数日でトアはカルウスに乗る練習もしていたらしい。
「ラプルスと一緒に狩るのは今日が初めてだ」
「だから今日は俺も着いていくよ」
僕も同行させてもらうことになった。
森へ入ると、キアが一頭のカルウスに乗り、その近くをラプルスが二匹走る。
トアは歩きながら、その動きをじっと見ていた。
以前の狩りとは明らかに違う。
カルウスが時々足を止めて周囲を見ると、ラプルスも同じように動きを止める。
逆にラプルスの一匹が何かに気づいて進路を変えると、カルウスもそちらへ顔を向けた。
「何か合図してるのか?」
「鳴き声だけじゃなくて、尾とか首とか、体の向きも見てあげて」
キアは少し前を進んでから振り返った。
「あと、こっちから命令することばっかり考えない方がいいよ」
トアが眉を寄せる。
「じゃあどうすんだ?」
「こいつらが何をしようとしてるのか見る」
キアがカルウスの首を軽く叩く。
「カルウスもラプルスも、元々自分たちで獲物を探して狩りをしていたんだ。俺たちが全部指示しなくても、何をすればいいか知ってる」
「俺たち人間の方が合わせるってことか?」
「そうだね。彼らの方が狩りは上手だろうから」
以前カルウスに慣れる時にも、キアは似たようなことを言っていた。
生き物を人間のやり方に合わせるだけではない。
僕たちの方も、相手のやり方を覚える。
その二つが揃って、初めて一緒に動けるらしい。
しばらく進んだところで、前を走っていたラプルスが突然体を低くした。
もう一匹もすぐに足を止め、カルウスが首を上げた。
キアも周囲を見る。
「いる」
トアが弓を構える。
茂みの向こうに獲物がいた。
ラプルスの一匹が右へ回る。
もう一匹は反対側へ。
カルウスは少し前へ出る。
誰かが声を出したわけではない。
それでも、それぞれが相手の動きを見ながら位置を変えている。
やがて一匹のラプルスが飛び出す。
驚いた獲物が走り出す。
反対側には、もう一匹が回り込んでいた。
行き場を変えた獲物の前へカルウスが踏み込む。
大きな体に驚いた獲物が一瞬だけ足を止めた。
「……っし!」
その隙を見逃さず、トアが矢を放つと獲物に見事に命中する。
狩りは、今までよりずっと短い時間で終わった。
トアは仕留めた獲物を見てから、ラプルスたちを見る。
「……俺、ほとんど最後だけじゃねえか」
「それでいいんだよ」
キアは満足そうだった。
「一人で全部やろうとしなくていい」
ラプルスの一匹が仕留めた獲物へ近づく。
キアが一部を切り分けて渡すと、二匹で食べ始めた。
カルウスにも少量を与える。
普段は木の実や葉ばかり食べているカルウスも、肉を嫌がる様子はなかった。
「ちゃんと分けるんだな」
トアが言う。
「この子達のおかげだからね」
その後も何度か狩りを試した。
今度はトアがカルウスに乗りながら狩りをしてみることになった。
最初はキアが細かく声をかけていた。
「トア、前に出すぎ」
「分かってる!」
「分かってない。ラプルスより先に行ったら逃げ道が変わる」
「……人間以外と狩りをするのって案外難しいもんだな」
最初はカルウスに騎乗しながらの狩りに苦戦していたトアだが、何度か繰り返すうちに少しずつ動きを覚えていった。
カルウスが何かに気づいた時の首の向き。
ラプルスが獲物を見つけた時の姿勢。
追い込む時と、ただ周囲を警戒している時の違い。
キアほどではないが、トアにも少しずつ分かるようになったらしい。
何度も繰り返すうちに、キアがほとんど口を出さなくても狩りができるようになっていた。
「今日は俺らだけで行ってみるわ」
ある朝、トアが僕たちにそう告げる。
一頭のカルウスに跨がり、その両脇には二匹のラプルスがいる。
キアは少しだけ考えてから頷いた。
「無理だけはしないでね」
「分かってる」
トアは笑いながらカルウスたちと森へ向かった。
戻ってきたのは昼を少し過ぎた頃だった。
カルウスの背には獲物が載せられている。
ラプルスも二匹とも元気そうだ。
「見ろ、上手くいったぞ」
トアが得意そうに言う。
キアも珍しく満足そうに頷いた。
こうして少しずつ、一つの形ができ始めた。
人が一人。
カルウスが一頭。
その周りを走るラプルスが二匹。
この一組で森へ入り、獲物を探し、狩りをして戻ってくることができる。
しかも、今までよりも効率よく狩りが行える。
もちろん、誰でもすぐにできるわけではない。
それでも何人かのフェル人が、トアに続いてカルウスやラプルスと一緒に森へ入る練習を始めていた。
それからしばらくして。
僕は倉庫の中で、棚に並べられた干し肉を見ていると、以前より明らかに多いことに気づく。
魚もあるし、最近は畑から採れる量も少しずつ増えている。
ある程度を保存食に回せるようになってきた。
隣ではリシアが、何がどのくらい残っているのかを確認している。
最近は食料が増えたせいか、こうして数を確かめている姿をよく見るようになった。
「最近、少し余るようになってきたね」
リシアが棚を見ながら言う。
「そうだね」
人が増えた時は、食べ物が足りなくなるんじゃないかと心配していた。
けれど、フィアたちが畑を広げ、ルダたちが家畜を育て、キアやトアたちが狩りのやり方まで変えたことで、少しずつ余裕が生まれている。
僕は棚に並んだ食料を見る。
今日一日で食べる分を除いても、ある程度保存用に回せそうだった。
その光景を眺めていると、以前ミレアさんの布を街へ持っていった時のことを思い出した。
「……これ、街に持っていったら売れるかな」
僕が言うと、リシアが顔を上げた。
干し肉や保存した食料を見ながら、少し考える。
「一度、何が売れそうか調べてみてもいいかもね」
今までは、自分たちが暮らしていくことで精一杯だった。
けれど、少しずつその先を考えられるところまで来ているのかもしれない。




