42. 新しい槌の音
十日ほどが経った。
三人だけの静かな生活にも慣れてきた頃だった。
朝は畑を見て、昼は家の周りの仕事をする。
ミレアさんは糸を作り続け、服に使う予定の糸も少しずつ増えていた。
ただ、肝心の織機はまだ小さいままだ。
ガドさんが帰ってくるまではどうしようもない。
僕は家の前で薪をまとめていた。
畑の方から戻ってきたリシアが、森へ顔を向ける。
「何か聞こえない?」
僕も手を止めて、しばらく耳を澄ませる。
風が木々を揺らす音に混じって、確かに何かが聞こえる。
足音。
一人ではない。
枝を踏む音が、少しずつ近づいてくる。
「セナたちかな」
「でも、家畜の鳴き声がしないね」
ルダさんが家畜を連れて戻るなら、もっと賑やかなはずだ。
僕たちはそのまま森の方を見た。
やがて木々の間から、大きな人影が現れる。
見覚えのある体格だった。
「ガドさん!」
思わず声が出る。
先頭を歩いていたガドさんが、こちらを見る。
「戻ったぞ」
いつもと変わらない声だった。
その後ろから、さらに人影が現れる。
ガドさんの後ろには六人のドゥルガ人が続いていた。
リシアも驚いたように目を丸くする。
「……多くない?」
ガドさんが近づいてくる。
「何だ、その顔は」
「いや、その……」
僕は後ろの人たちを見る。
「本当に連れてきたんですね」
「話したら、来ると言った」
「六人も?」
「ああ」
その時、後ろにいた男が笑う。
「こいつが一人で何でもやってるって聞いたら、見に来たくもなるだろ」
ガドさんと同じくらい大柄な男だった。
年齢はガドさんと同じくらいか、少し上に見える。
肩幅が広く、腕も太い。
ただ、ガドさんより表情が分かりやすい。
男は僕たちを見る。
「俺はギラン。ガドとは昔からの付き合いだ」
「エイルです。こっちはリシアと――」
「ミレアです」
いつの間にか家から出てきていたミレアさんが、丁寧に頭を下げる。
ギランも軽く手を上げた。
それから集落の方を見る。
「……で、本当にこれを一人でやってたのか?」
ガドさんが頷く
「家は?」
「俺だ」
「畑の柵は?」
「俺だ」
「その向こうの家も?」
「俺だ」
ギランが少し黙った。
それから、ガドさんを見る。
「お前、張り切りすぎだろ」
「うるさい」
リシアが小さく笑う。
僕も少しだけ笑ってしまった。
やっぱり、昔から知っている相手らしい。
ガドさんにここまで遠慮なく言える人は、今までほとんどいなかった。
その横で、一人の女性が小さな織機を見つけていた。
他のドゥルガ人たちより少し細身に見える。
もちろん僕たちと比べれば十分大きいけれど、ガドさんやギランさんほどではない。
彼女は織機の前まで行くと、しゃがみ込んだ。
「これ、ガドが作ったの?」
「そうだ」
「へえ……」
女性は木の接合部分を指で触る。
次に、糸を通す部分を見る。
しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ちゃんと動くじゃん」
ガドさんの眉が少し動く。
「喧嘩売ってるのか」
「褒めてるのよ」
女性は振り返る。
「グレナ。細かい加工とか、道具の調整が得意なの」
「よろしくお願いします」
僕が言うと、グレナさんは軽く笑った。
「こちらこそ」
それから、もう一度織機を見る。
「でも、こんなに小さい織機だと大した大きさの布は織れないでしょ」
その言葉に、僕とリシアが同時に反応する。
ミレアさんも少し目を見開いた。
「実は、服を作るには今の織機だと少し小さくて……大きくできますか?」
グレナさんは特に気にする様子もなく、織機をもう一度眺める。
「できると思う。ただ、土台から作り直した方がいいかな」
グレナさんはガドさんに呼びかける。
「骨組みはガドが作ってくれない?細かい部分は私が作るからさ」
「分かった」
話が早い。
リシアが僕の袖を軽く引く。
「作ってくれそうだね」
小声で言う。
ただ、それより先にやるべきことはある。
ガドさんたちは荷物を置くと、すぐに集落を見て回った。
新しくできた家。
畑。
倉庫。
それから、少し離れた草地。
セナさんたちが戻ってきた後、家畜を置く予定の場所だ。
ギランさんが地面を踏む。
「この辺か?」
「ああ、牛と山羊と馬……だったか?」
ガドさんが答える。
ギランさんは周囲を見る。
「柵はかなり要るな」
「俺一人じゃとても無理だ」
ギランさんが笑う。
「最初から俺たちを働かせる気だったな」
「なんだ、不満か?」
「山越えて来たばっかりの奴にやらせることか?」
二人の会話を聞きながら、僕たちも後ろを歩く。
他のドゥルガ人たちも、それぞれ地面や木を見ていた。
中には早くも必要な木の量を話している人もいる。
今までなら、こういうことを考えるのはほとんどガドさん一人だった。
それが今は、何人ものドゥルガ人が同じ場所を見ながら意見を出している。
「なんか、職人さんの集まりって感じだね」
リシアが小さく言う。
ギランさんが草地の端まで歩き、振り返る。
「まず柵だな。家畜小屋はそのあとでいい」
ガドさんが頷く。
「雨を避けられる場所もいる」
「牛と馬なら広さも分けた方がいい」
近くにいた別のドゥルガ人が口を挟む。
「水場まで遠くないのは助かるね」
グレナさんも意見を出し合っている。
話がどんどん進んでいく。
僕には半分くらいしか分からない。
今まではガドさんが中心になって、僕たちは最低限の手伝いしか出来なかった。
でも今は違う。ガドさんと同じ技術を持った人達が集まって、僕らの住む場所をより良いものに仕上げてくれている。
こんなに心強いことはない。
僕には専門的な知識はないけど、雑用くらい精一杯こなそうと思った。
その後、一通り見て回ったあと、家の前へ戻る。
さすがに長旅の直後から作業を始めるわけにはいかない。
今日は休んでもらうことにした。
食事を用意していると、僕はふと気になったことを思い出す。
「ガドさん」
「何だ」
「里は……どうでした?」
ガドさんの手が少し止まる。
リシアもこちらを見る。
ミレアさんも何も言わず、ガドさんの返事を待った。
少しだけ間があった。
「なにも変わってなかった」
それだけだった。
でも、前より少しだけ表情が柔らかく見えた。
「そうですか」
僕もそれ以上は聞かなかった。
すると横からギランさんが口を挟む。
「帰ってきた時は大騒ぎだったぞ」
「余計なことを言うな」
ガドさんが睨む。
「何年も行方が分からなかった奴が急に帰ってきたんだ。騒ぐに決まってるだろ」
「ギラン」
「はいはい」
ギランさんは楽しそうに笑う。
リシアも少し笑っていた。
きっと、ガドさんが自分から話さないこともたくさんあるのだろう。
でも、無事に里に帰れてよかった。
少なくとも、今のガドさんを見ていてそう感じた。
翌朝。
まだ日が高くなる前から、みんな動き始めていた。
ガドさんとギランさんたちは、家畜用の柵を作るため森へ木を見に行く。
グレナさんは昨日の織機をもう一度確認していた。
僕とリシア、ミレアさんもそばにいる。
「服を作るなら、どれくらいの幅が欲しい?」
グレナさんが尋ねる。
ミレアさんは少し考える。
「えーと、少なくともこのくらいでしょうか」
両手を使って幅を示す。
グレナさんが頷く。
「長さも、長く織れればその方が助かります」
「なら、布を巻き取れるようにした方がいいね」
ミレアさんが少し驚く。
「できますか?」
「たぶんね。細かいところは作りながら調整するけど」
グレナさんは楽しそうだった。
こういうものを作るのが好きなのかもしれない。
「最初にどんな服を作るか決めたの?」
グレナさんに鋭い質問をされて、僕たち三人とも表情が固まる。
ガドさんへのサプライズのつもりだったので、グレナさんに伝えるかどうか僕が悩んでいると、ミレアさんが口を開く。
「……実は、いつも私たちを助けてくれるガドさんに最初の一着を贈ろうと思っているんです」
グレナさんが驚いたようで、作業中の手が止まる。
しかしすぐに、静かな声で話し始める。
「……そっか。ガドは幸せ者だね」
そのままグレナさんが続ける。
「……話は本人から聞いてるかもしれないけど、あいつは何年もラウル人のところで無理やり働かされていてね。あまり思い出したくないみたいだけど」
僕たちは、ガドさんと出会った時を思い出す。
森の中で一人、食事もとれずに追っ手から隠れて生活していた姿は今でも忘れられない。
「でもね、里に帰ってきた時、あんたたちの話は随分してたよ。最初は今にも壊れそうな家だったとか、生の魚を初めて食べたとかね」
意外だった。
普段のガドさんからは想像しにくいけれど、里では僕たちのことを話してくれていたらしい。
「そんな姿を見てたらさ、実際にガドが生活してた場所を見てみたくなったわけ」
どうやら、ギランさんやグレナさんがここまで来てくれた理由の一つには、ガドさん自身のこともあるらしい。
まだ織機はない。
布もできていない。
服の形だって、完全には決まっていない。
それでも、ガドさんが帰ってきたことで、止まっていたものが一気に動き始めたような気がした。
家畜を迎えるための柵。
これから増える人たちのための家。
そして、新しい布を織るための織機。
三人だけだった時間が終わり、この場所はまた少しずつ賑やかになっていく。
その始まりを告げるように、森の方から木を切る音が響き始めていた。




