41. 三人の時間
みんなが旅立ってから、三日が経った。
朝になると、僕とリシアは畑へ向かう。
「こっちの水は少なめだったよね」
僕が畝の一つを指すと、リシアが頷く。
フィアがいる間に何度も教えられたことを思い出しながら、桶の水を少しずつ撒いていく。
以前の僕なら、どの作物にも同じように水をやっていただろう。
「フィアが見たら驚くかもね」
「ちゃんと覚えてたって?」
「三日も畑を駄目にしなかったって」
「随分低く見られてない?」
リシアが楽しそうに笑った。
そんなやり取りをしながら作業を続ける。
フィアはいない。
少し離れた草地を見ても、ルダの姿はない。
朝になると聞こえていたガドさんの作業音もなく、食事の時間になってもロディさんが新しい食材を抱えて現れることはなかった。
三人だけの生活。
ここへ来たばかりの頃もそうだったはずなのに、今は妙に静かに感じる。
それでも、やることがなくなったわけではない。
畑の世話をして、食事を作り、家の周りを片づける。
ロディさんが作っていた料理も、簡単なものなら真似できるようになった。
もちろん、同じ味にはならない。
昼に焼いた魚を食べながら、リシアが首を傾げた。
「やっぱり、ロディさんって料理上手だったね……」
向かいに座ったミレアさんが小さく笑った。
「でも、私達も前よりずっと上手になったと思いますよ」
みんながいなくなっても、教えてもらったことまでなくなるわけではない。
畑を見ればフィアの言葉を思い出す。
家の中を覗くと、ガドさんが道具を手入れしていた姿が浮かぶ。
料理をすれば、ロディさんならどうするだろうと考えるようになった。
三人に戻っても、以前の三人暮らしとは違っていた。
その日の夕方。
僕が家の外で道具を片づけていると、ミレアさんが自分の部屋から出てきた。
両手には、大きく膨らんだ袋を抱えている。
「エイルさん、少し手伝っていただけますか?」
「もちろんです」
受け取ってみると、見た目ほど重くない。
中身はすぐに分かった。
「糸ですか?」
「はい。久しぶりに少し整理しようと思いまして」
ミレアさんの部屋へ入る。
壁際には、他にもいくつか袋が置かれていた。
「こんなにあったんですね」
僕が言うと、ミレアさんも少し驚いたように袋を見る。
「私も並べてみるまで気づきませんでした」
以前は糸を作るたびに、その状態を確認していた。
でも最近は人が増え、畑や料理を手伝ったり、セナさんたちと話したりすることも増えた。
ミレアさん自身も、毎日作った糸を決めた袋へ入れるだけになっていたらしい。
そこへリシアもやってきた。
「何してるの?」
「ミレアさんの糸を整理してるところ」
「え、私も見たい」
三人で床に座る。
ミレアさんが袋の中から糸を取り出し、いくつかに分けて並べていった。
「これは、まだここへ来る前のものです」
最初の糸。
僕たちが初めて見た頃のものだ。
近くで見ると一本ごとの太さが微妙に違う。
次に置かれたのは、この土地へ来てしばらくしてから作られた糸だった。
「こっちは、町へ持っていった布を作った頃のものですね」
並べてみれば違いはすぐに分かる。
後のものほど細く、表面も滑らかだった。
そして最後に、ミレアさんが最近作った糸を取り出す。
僕は三種類を見比べる。
「……前ほど大きな違いは分からないですね」
昔の糸と、町へ布を持っていった頃の糸ほど、はっきりした変化ではない。
「そうですね」
ミレアさんも最近の糸を指先で触る。
「私も、作っている時はそこまで気にしていなかったんですが……」
何本かを手に取った。
いつものようにまとめ、指先でゆっくりと撚っていく。
しばらくして一本の糸になった。
ミレアさんはそれを見つめる。
「以前よりさらに少ない本数の糸でも、耐久性は問題なさそうです」
リシアも指先で軽く撫でる。
「こっちの方が細いのに、ちゃんとしてるね」
「一本一本が、前より丈夫になっているのかもしれません」
ミレアさんが言う。
僕も端をつまんでみた。
どのくらい強いのか確かめようと、両手を少し広げる。
「切れるまで引っ張るのは禁止ね」
「ガドさんじゃないんだから……」
僕なりに力をいれてみるが、確かに簡単に切れることはないように感じた。
僕が糸を戻すと、ミレアさんが呟く。
「これならさらに薄くて軽い布が作れそうですね」
町へ持っていった布でも、触り心地はかなり良かった。
それよりも薄く、柔らかいものになる。
どんな布になるのか想像していると、リシアが床に並んだ袋を見回した。
「それにしても、本当に増えたね」
確かに多い。
町へ行ってからも、ミレアさんは毎日無理のない範囲で糸を作り続けていた。
一日ごとなら大した量に見えなくても、それが積み重なればかなりのものになる。
「これだけあったら、布もたくさん作れるんじゃない?」
リシアが言う。
「小さな布なら、かなり作れると思います」
「それならまた町に持っていく?」
そう聞かれて、僕は少し考えた。
町で売れば銀貨になるし、お金はあって困るものではない。
でも、床いっぱいに並んだ糸を見ているうちに、別のことが頭に浮かんだ。
「今回は、売らなくてもいいんじゃないでしょうか」
ミレアさんがこちらを見る。
「売らないんですか?」
「はい。せっかくここで作ったものですし……自分たちで使ってみてもいいと思うんです」
「自分たちで?」
その横で、リシアが自分の服の袖を見る。
何度も着て、何度も洗った服。
破れたところを直した跡も残っている。
「服とか?」
「服ですか……」
「さすがに難しいかな?」
リシアが尋ねる。
ミレアさんはしばらく考えるように自分の服へ目を落とした。
「作ること自体はできます。アルネアでも、自分たちの糸から服を作っていましたから」
ミレアさんは身振りを交えながら作り方を説明してくれる。
細長く織った布を何枚か使い、それをできるだけ無駄が出ないように組み合わせる。
前で布を重ね、腰の辺りを帯のような布で留める。
複雑な形に切ることはあまりなく、基本的には真っ直ぐな布をそのまま使うらしい。
「へえ……」
リシアは興味深そうに聞いている。
「以前までの糸だと重くて分厚くなってしまいますが、新しい糸ならかなり薄手で使いやすいものになるかもしれません」
リシアが嬉しそうに僕を見る。
「私、作ってみたい!」
僕も賛成だった。
今着ている服は、旅をしていた頃から使っているものだ。
まだ着ることはできるが、この土地で作った糸で自分たちの服ができることに少し特別感を感じた。
「では、せっかくですし作ってみましょう」
ミレアさんが言うと、リシアは嬉しそうに頷いた。
しかし、ある問題にすぐ気づく。
三人の視線が、部屋の隅へ向いた。
ガドさんが作った織機。
最初に糸を試すために作った、小さなものだ。
しばらく誰も何も言わなかった。
「……この織機で?」
リシアが先に口を開く。
ミレアさんも織機を見る。
「さすがに難しいですよね…」
以前作った布は、両手を並べたくらいの大きさしかなかった。
小さな布を何枚も作って縫い合わせれば、服の形にはできるかもしれない。
それではあまりにも手間がかかる。
僕も改めて織機を見る。
ガドさんが木を削り、何度も組み直しながら作っていた。
同じものを自分で作れと言われても無理だろう。
ましてや大きくするとなれば、どこをどう変えればいいのか分からない。
リシアが小さく息を吐いた。
「ガドさんにお願いするしかないね」
「そうですね」
結局、すぐに服を作ることはできなかった。
少し残念ではある。
けれど、ミレアさんは床に並んだ糸を見つめたまま、何かを考えているようだった。
「それなら、帰ってくるまでにもう少し貯めておきます」
「無理はしないでくださいね」
「もちろんです。でも、最近は調子がよくて糸の量を多めに出してもへっちゃらなんです」
質の向上だけでなく、量まで増えていたらしい。
やはり、ここへ来てからの生活が何か影響しているのだろうか。
ミレアさんは最近作った糸だけをまとめ、空いていた袋へ入れていく。
その様子を見ていたリシアが、自分の袖をもう一度つまんだ。
「新しい織機ができたら、最初は誰の服を作る?」
リシアがそう尋ねると、三人の視線が部屋の隅に置かれた小さな織機へ向いた。
「……この家も、道具も織機もガドさんが作ってくれたんだよね」
「そうですね……ガドさんには助けてもらってばかりですね」
ミレアさんも織機を見る。
言われてみれば、ガドさんにはずっと世話になっている。
僕たちがここで暮らし始めてから、必要になったものの多くを作ってくれた。
セナさんたちの家まで、ほとんど一人で建ててしまった。
そのガドさんに、帰ってきたらまた大きな織機を作ってほしいと頼むことになる。
「……だったらさ」
リシアが少し楽しそうに笑う。
「最初の一着、ガドさんに作ってあげない?」
ミレアさんが嬉しそうに笑う。
「いいですね。今までのお礼もしたいですし」
僕は少し驚いたけれど、すぐに悪くないと思った。
むしろ、自分たちより先に渡す相手としては、一番しっくりくる気がする。
「いいかもしれないですね」
僕が言うと、ミレアさんもゆっくり頷いた。
「じゃあ決まりだね」
リシアが嬉しそうに言う。
「ガドさんには内緒にしよう」
「でも、大きい織機はガドさんに作ってもらうんですよね?」
僕が言うと、リシアの動きが止まった。
「織機をお願いすることまでは普通に話して、そのあと何を作るかは秘密にしたらいいんじゃない?」
「それならいけそう」
「大きさを聞かれたらどうします?」
「そこはミレアさんにうまく誘導してもらいましょう」
「せ、責任重大ですね……がんばります」
三人で顔を見合わせて笑う。
なんだか、少し楽しくなってきた。
でも、問題はまだある。
ガドさんは僕よりずっと体が大きい。
ドゥルガ人特有の鉱物のような外皮もある。
僕たちと全く同じ形の服が着やすいとは限らない。
「ガドさん用なら、普通の服とは少し変えた方がいいかもしれませんね」
ミレアさんが考える。
「肩も広いですし、腕も太いですから」
「動きにくい服だったら着てくれなさそう」
リシアの言葉に、僕も頷く。
ガドさんなら、見た目より動きやすさを優先するだろう。
「その辺りも、帰ってくるまでに考えておきましょうか」
「そうですね」
ミレアさんは新しい糸を袋へ収めると、口をしっかりと閉じた。
「これは、しばらく保管しておきますね
「最初の一着用だね」
リシアが言う。
ミレアさんも笑った。
まだ、それを織るための織機すらない。
ガドさんがいつ帰ってくるのかも分からない。
それでも、さっきまで見ていた糸が、急に特別なものに見えてきた。




