37. 森での出会い
翌日。
昨日見つけた足跡が気になって、僕とリシア、それからロディの三人で、もう一度森へ向かうことにした。
出かける前にガドさんにも話してある。
「何かあったらすぐ戻れ」
そう言われた。
ロディもついてくると言い出した時には、少し嫌そうな顔をしていたけれど、昨日よりずっと元気そうなのを見て、最後は何も言わなかった。
「昨日の場所、この辺だったよね」
リシアが周囲を見回す。
「もう少し先だと思う」
森の中を進んでいく。
昨日見つけた低木はすぐに見つかった。
色づいた実だけが採られ、まだ青いものが残っている。
その近くには、薄くなってはいるものの足跡も残っていた。
「まだあるな」
ロディがしゃがみ込む。
「昨日よりは薄くなってますけど」
「雨が降らなきゃ、しばらく残るだろ」
僕たちは足跡の先を見る。
昨日は追わずに戻ったけれど、今日は少しだけ先を確かめるつもりだった。
とはいえ、どこまでも追いかけるつもりはない。
誰がいるのか分からない以上、慎重に進む。
足跡はところどころ途切れていた。
柔らかい土の上なら分かるけれど、落ち葉の多い場所に入ると、僕にはほとんど見分けられない。
「こっちじゃないか?」
ロディが少し先を指す。
枝が一本折れている。
その先へ進むと、また土の上に足跡が見つかった。
森は静かだった。
風が吹くたびに木々の葉が揺れ、その合間から鳥の声が聞こえる。
そのまま少し進んだ時。
「そこで止まれ」
突然、声がした。
僕たちはすぐに足を止める。
声のした方を見る。
しばらくして、右手の木の陰から一人の女性が姿を現した。
頭には獣のような耳があり、腰の後ろからは毛に覆われた尾が伸びている。
僕はすぐに気づいた。
「……フェル人?」
エドガーさんと旅をしていた頃、何度か見かけたことがある。
フェル人は森や草原に近い場所で暮らすことが多い。
他の亜人に比べるとラウル人の生活圏に近い場所にも住んでいて、町で働いている人を見たこともあった。
エドガーさんがフェル人と取引しているところを見たこともある。
ただ、僕自身がちゃんと話したことはほとんどない。
女性はこちらから距離を取ったまま、僕たちを見ていた。
その表情には、はっきりと警戒が浮かんでいる。
ようやく相手の顔が見えたことで、隣にいるリシアにも感情が分かったらしい。
「……かなり警戒してる」
僕にだけ聞こえるくらいの声で言う。
僕も女性を見る。
少なくとも、今のところ僕たちを襲おうとしているような害意は感じない。
ただ、安心できるわけではなかった。
「昨日、あの辺にいたのはお前たちか?」
女性が聞く。
僕は頷く。
「あなた方の足跡を見つけました」
「それで今日は追ってきたのか?」
「追うつもりというより、誰がいるのか気になって」
女性は僕たちを順番に見る。
最初にロディ。
それから僕とリシア。
「そいつはラウル人だな」
「ああ」
ロディが答える。
女性の視線が僕たちへ戻った。
「じゃあ、お前たちは?」
「僕たち?」
「どこの種族だ?」
僕は一瞬、リシアを見る。
「セリオン人です」
女性が首を傾げた。
「セリオン?」
「知らないですか?」
「聞いたことない」
その答えは、特に意外ではなかった。
「昔は、山脈の王国側に小さな集落がありました」
僕が答える。
「昔は?」
少しだけ言葉に詰まる。
「……今はもうありません」
女性は僕の顔を見る。
何か聞きたそうにも見えたけれど、それ以上は何も言わなかった。
その時、別の場所から葉の擦れる音がした。
僕たちがそちらを見ると、三人のフェル人が木々の間から姿を現した。
最初から近くにいたらしい。
大柄な男性と、少し小柄な女性、それから細身の若い男性だった。
全部で四人。
姿を見せた三人も、僕たちを警戒している。
特に大柄な男性は、ロディをじっと見ていた。
「ラウル人がこんなところで何をしているのだ」
低い声だった。
「食材を探してたんだ」
ロディは普通に答える。
「…こんな森で?」
「見たことのないものがあるかもしれないと思ってな」
小柄な女性が首を傾げる。
「昨日、森で遭難してたところを僕たちが見つけたんです」
僕が付け加える。
「……一人で山を越えてきたの?」
小柄な女性が聞く。
「ああ」
「食べ物を探すために?」
「そうだ」
今度は四人とも、ロディを不思議そうに見る。
ロディはそんな視線を気にした様子もなく、昨日見つけた低木の方を指した。
「あの実を採ったの、お前たちか?」
最初に姿を見せた女性が一瞬黙る。
「あ、ああ」
「熟したのだけ取ってたよな」
「そうだけど」
「いつが一番うまい?」
四人の表情が変わった。
警戒というより、今度は困惑だった。
小柄な女性が先に口を開く。
「……今聞くことなのか?」
「気になるだろ」
「…ラウル人って、みんなこうなの?」
「いや。この人だけだと思います」
リシアが答えた。
小柄な女性の口元が少し緩む。
最初に姿を見せた女性が僕たちを見る。
「私はセナ」
それから、後ろの三人を順番に示した。
「こっちはルダ、フィア、キア」
大柄な男性がルダ。
小柄な女性がフィア。
細身の男性がキアらしい。
僕たちも改めて名乗った。
「僕はエイルです。こっちはリシア」
「ロディだ」
ロディも続く。
フィアが僕とリシアを見比べる。
「セリオン人って、初めて見た」
「俺も」
キアも言う。
「僕たちも、フェル人とちゃんと話すのはほとんど初めてです」
僕が答える。
セナが少し意外そうな顔をした。
「フェル人に会ったことがあるの?」
「ええ。昔、ラウル人の町を旅していた時に何度か見かけたことがあります」
「そうだったのね、町で暮らしてたの?」
「はい、一時的にですが」
セナは少し不思議そうな顔をした。
セリオン人の僕とリシア。
ラウル人のロディ。
その三人が一緒に森を歩いている。
彼女たちからすれば、僕たちの方がよほど変な組み合わせなのかもしれない。
「それで」
ロディがさっきの低木を指す。
「あの実なんだが」
「まだ聞くの?」
フィアが笑った。
「町で見るものより小さいんだ。同じものなのか?」
フィアは少し考えてから低木へ歩いていった。
実を一つ取り、匂いを嗅いでから指先で軽く押す。
「同じものかは分からないけど、この実はまだすこし早いよ」
「早い?」
「今はまだ熟れてないみたい。もう少し待てば甘くなるよ」
「どれくらい?」
「十日くらいかな」
「…そこまで分かるのか」
ロディが驚く。
フィアが逆に首を傾げた。
「分からないの?匂いも変わるよ」
フィアは実をロディへ渡した。
「今はまだ青い匂いが強いね」
ロディが匂いを嗅ぐ。
少し黙る。
もう一度嗅ぐ。
「……分からん」
「鼻が悪いんじゃない?」
「ラウル人は普通こんなもんだ」
ロディが言うと、フィアが少し笑った。
その時、それまであまり話していなかったキアが周囲を見回した。
「……話すなら、少し場所を移さないか?」
セナがキアを見る。
「どうした?」
「この辺、カルウスが何度も通ってる」
僕も周囲を見る。
けれど、それらしい姿はどこにも見えない。
「カルウスが?」
「ああ」
キアは少し離れたところまで歩き、地面を指した。
「ここ」
僕とロディも近づいてみる。
地面がわずかに窪んでいた。
言われてみれば何かの足跡のようにも見えるけれど、僕にはそれ以上のことは分からない。
「これだけで分かるんですか?」
僕が聞く。
「足跡だけじゃない」
キアは近くの草を見る。
何本かが途中からなくなっている。
「こっちも食ってる。それに、少し向こうに糞もあった」
「何頭くらい?」
セナが聞く。
「はっきりとは分からない。でも、一頭じゃないと思う」
キアは森の奥へ視線を向けた。
「昨日だけじゃない。何度もここを通ってる。近くを餌場にしてるのかもしれない」
僕は少し前に見たカルウスを思い出す。
大人しい生き物ではあったけれど、身体は大きい。
「危ないんですか?」
リシアが聞く。
「向こうから襲ってくることはあまりない」
答えたのはキアだった。
「でも、群れが近くにいるかもしれない場所で長居する必要もない。子供がいたら警戒されるしな」
「じゃあ移ろう」
セナがすぐに決めた。
キアが森の一方向を指す。
「少し行けば開けたところがある」
僕たちはその後についていった。
しばらく歩くと、木々の間隔が少し広くなった場所へ出た。
キアは周囲を見回してから頷く。
「ここなら大丈夫だと思う」
ロディは来た方向を振り返った。
「よく分かるな」
「何が?」
「カルウスだよ。俺には足跡すらほとんど分からなかったぞ」
キアが少し考える。
「動物を見てるのが好きだからな」
「好き?」
「ああ」
キアはそれだけ答えた。
詳しく話すつもりはないらしい。
けれど、僕には少し印象に残った。
カルウスの姿を見てもいないのに、残された跡だけで群れが何度もここを通っていることまで分かる。
僕にはただの森にしか見えなくても、キアには違って見えているのかもしれない。
「それで」
セナが僕たちを見る。
「さっき、この辺に住んでるって言ってたよね」
「はい。海の近くです」
「海?」
フィアの耳がぴくりと動いた。
「この森の先に?」
「はい。川もあります」
「畑もあるよ」
リシアが付け加える。
その瞬間、フィアの表情が変わった。
「畑?」
「ええ、まだ小さいですけど」
「何を育ててるの?」
「野菜が中心です。あとは町で手に入れた種を少し」
「水はどうしてるの?」
「川から運んでます」
急に質問が増えた。
「誰が畑をやってるの?」
「みんなで分担しながらですね」
フィアが少し考え込んだ。
「……見てみたい」
「畑を?」
「うん」
その反応を見て、今度は僕が聞いた。
「フィアさんは農業をしてるんですか?」
「うん、してるよ」
フィアは頷く。
「今いるところでも、畑は私が中心になって見てるの」
「そうなんですか」
それは少し興味があった。
僕たちも畑を作ってはいるけれど、誰かにきちんと教わったわけではない。
本当に今のやり方でいいのかも分からないまま、試しながら続けている。
セナが僕たちを見る。
「皆さんは、この辺に住んでるんですか?」
今度は僕から聞いた。
セナは少し考えてから首を振る。
「…住める場所を探してる」
セナは話を続ける。
「今いる場所は少し狭くなってきてな。畑を増やすにも、家畜を飼うにも、前よりやりにくくなってきたんだ」
「家畜もいるのか?」
ロディが聞く。
「ああ」
答えたのはルダだった。
それまでほとんど話していなかった大柄な男が、初めて自分から口を開いた。
「牛と山羊がいる。馬も少し」
「結構いるんですね」
僕が言う。
「ルダがお世話してるんだよ」
フィアが言った。
ルダは特に誇る様子もなく頷く。
「俺だけじゃない。何人かでやってる」
セナが話を戻す。
「畑を増やすにも、家畜を増やすにも、今の場所じゃ足りない。それで、何人かで新しく住めそうなところを探してたんだ」
だから食べられる植物を調べたり、周囲にいる動物を確認したりしていたらしい。
「川は近いって言ったよね」
セナが聞く。
「かなり近いです」
「森から海までは?」
「歩いてすぐですよ」
四人が顔を見合わせる。
フィアが興味深そうに聞いた。
「魚も食べられる?」
「食べられます。ナギさんたちが持ってきてくれるので」
「ナギ?」
「ネレイス人です。近くに住んでいるんです」
その言葉に、四人とも少し驚いた。
「ネレイス人もいるの?」
「ええ、近くに住んでますよ」
「他には?」
セナが聞く。
「アルネア人のミレアさんと、ドゥルガ人のガドさんが一緒に暮らしてます」
僕が答えると、四人がまた顔を見合わせた。
ルダが僕を見る。
「ラウル人は?」
「今いるのはロディさんだけです」
「俺は住んでないぞ」
ロディがすぐに言う。
フィアが小さく笑う。
セナは少し考えてから言った。
「変わった場所だね」
「そうですか?」
「違う種族同士で暮らしているなんて、あまり聞かないからな」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
僕たちにとっては、一人ずつ知り合っていった結果でしかない。
けれど、外から見れば珍しい場所になり始めているらしい。
セナが森の向こうを見る。
それから僕に聞いた。
「その場所、一度見せてもらってもいい?」
僕はリシアを見る。
リシアも僕を見る。
四人の表情を見る限り、最初に姿を現した時ほどの警戒は感じない。
もちろん、まだ会ったばかりだ。
それでも、四人がこの森で何をしていたのかは分かった。
住める土地を探している。
それなら、僕たちのところを見てもらうくらいなら問題ないと思った。
「いいですよ」
僕が答える。
「ただ、みんなにも話してからでいいですか?」
「ああ。それでいい」
セナが頷く。
フィアが少し嬉しそうに言う。
「畑も見ていい?」
「もちろんです」
「家畜を置けそうな場所も見たい」
今度はルダだった。
「それも大丈夫だと思います」
キアは少し考えてから森を見る。
「海の近くにも動物はいるのか?」
「ええ、この前はルメウスも見ました」
僕が答えると、キアがこちらを向いた。
「本当か?!」
さっきまでより明らかに食いつきが違う。
ロディが笑った。
「お前も人のこと言えないじゃないか」
「何が?」
「俺が食い物の話してる時と同じ顔してるぞ」
キアが眉を寄せる。
フィアが吹き出した。
セナまで少し笑っている。
最初に会った時より、ずっと空気が柔らかくなっていた。
僕たちは翌日、四人を海辺へ案内することにした。




