33. 帰宅
市場で必要なものを買い足してから、僕たちは町を出た。
食料は帰り道の分を中心に、塩や乾燥させた豆、それから日持ちしそうなパンを少し。
せっかく銀貨一枚で布が売れたとはいえ、全部使ってしまうつもりはない。
ミレアさんは布が売れた時にもらった銀貨を、小さな袋に入れて大事そうに持っていた。
町を出てしばらく歩いたところで、ミレアさんが袋に触れる。
少しして、また触れる。
「……まだありますよ」
僕が言うと、ミレアさんがこちらを見る。
「何がですか?」
「銀貨です」
「確認してませんよ」
「今、袋触ってましたよね」
「ちゃんと持ってるか気になっただけです」
「確認してるじゃないですか?」
ミレアさんは少し黙った。
「……あんなに高値で売れたのは初めてですから、仕方ないです」
そう言って、また袋の位置を確かめている。
僕は少し笑った。
その気持ちは分からなくもない。
僕も老人から銀貨を受け取った時、思っていた以上に嬉しかった。
金額そのものより、自分たちが作ったものにきちんと値段がついたことの方が大きい。
それも、ただ買ってもらえただけではない。
もっと欲しいと言われた。
今の織り方でも銀貨一枚。
織り方が良くなれば、さらに価値が上がるかもしれない。
町まで来た意味は十分にあったように思えた。
帰りは来た時と同じ道を使った。
山へ入ると道は次第に細くなり、荷車の跡も消えていく。
何度か野宿をしながら進み、グランディア山脈を越えた。
荷物は少し増えたものの、それでも以前のような荷車はない。
山越えそのものは大変だったが、前に比べればずっと楽だった。
やがて森の景色にも見慣れたものが増えてくる。
「もうすぐですね」
ミレアさんが呟く。
この辺りまで来ると、何度も歩いた道がある。
森を抜ければ、海がある。
その近くに、僕たちの家がある。
木々の間から家の屋根が見えた。
その少し向こうには、青い海も見える。
「帰ってきましたね」
ミレアさんが嬉しそうに言った。
僕も頷く。
町へ向かった時は、それほど長く離れるつもりではなかった。
実際、何か月も留守にしていたわけではない。
それでも家が見えると、少し安心した。
僕たちが森から出ると、家の近くにいたリシアがこちらに気づいた。
一度立ち止まり、それから駆け寄ってくる。
「エイル! ミレアさん!」
「ただいま」
「おかえり!」
リシアは僕たちの顔を順番に見る。
「怪我とかしてない?」
「してないよ」
「ミレアさんは?」
「私も大丈夫ですよ」
それを聞いて、ようやく安心したようだった。
少し遅れて、家の方からガドさんも出てくる。
「帰ったか」
「はい。ただいま戻りました」
ガドさんは僕たちの荷物を見る。
「布は?」
その一言で、ミレアさんの表情が明るくなった。
「売れました」
ガドさんが目を細める。
「本当か?」
「はい!」
リシアもすぐに食いつく。
「いくらだったの?」
ミレアさんは待ってましたと言わんばかりに袋を取り出した。
中から銀貨を一枚出す。
「これです」
「……銀貨?」
リシアが銀貨とミレアさんを交互に見る。
「布一枚で?」
「一枚でです」
ガドさんも銀貨を見る。
「俺が作ったあの小さい織機で作ったやつだろ?」
「そうですよ」
「布も小さかったよな」
「はい」
ガドさんが少し考える。
「……そんなにするのか」
「私も驚きました」
ミレアさんは嬉しそうに銀貨を握っている。
「しかも、織り方がもっと良くなれば、同じ大きさでも銀貨二枚くらいになるかもしれないって言われました」
「二枚?」
ガドさんの顔が変わる。
そして、少し考えたあと。
「なら、やっぱりもっと大きい織機を――」
「その前に糸です」
ミレアさんがすぐに止めた。
「……まだ何も言ってないぞ」
「大きい織機を作るって言おうとしたでしょう?」
「……まあな」
リシアが笑う。
「分かりやすいね」
「うるさい」
僕たちは家へ入り、荷物を下ろした。
町から持ち帰ったもう一枚の布も机に広げる。
それを囲みながら、店で聞いたことを順番に話した。
今の糸は、これまで老人が見てきたアルネア人のものよりも細さが揃っていること。
その割に強いこと。
反対に、織り方にはまだ改善できるところが多いこと。
それでも今の大きさなら、銀貨一枚の値段がついたこと。
老人は、次も同じものがあれば買うと言っていた。
話を聞き終えると、リシアが布を見る。
「すごいじゃん」
ミレアさんも頷く。
「前に町で糸を売っていた時とは全然違いました」
「じゃあ、これからいっぱい作れば――」
リシアが言いかけて、止まった。
「……いっぱいは作れないんだよね」
「そうなんです」
ミレアさんが自分の指先を見る。
「糸そのものは毎日作れますけど、急に量を増やすのは難しいです」
それに、今の糸がどうして良くなったのかも、まだはっきりしていない。
無理に量を増やして質が落ちる可能性もあるし、何よりミレアさんの身体への負担もある。
「店の人にも同じことを聞かれました」
僕が言う。
「次はどれくらい持ってこられるのかって」
「なんて答えたの?」
「分からないって」
リシアが頷く。
「それしか言えないよね」
「他のアルネア人でも同じものが作れるか、とは聞かれました」
その言葉に、ガドさんがミレアさんを見る。
「作れないのか?」
「分かりません」
「同じアルネア人なんだろ?」
「糸を出すこと自体はできます。でも、前の私の糸と今の糸でも全然違いますから」
ミレアさんは机の上の布を撫でた。
「今の暮らしになってから、私の糸が変わったんです。同じことが他の人にも起きるかは、試してみないと分かりません」
リシアが少し考える。
「やっばり食べ物なのかな」
「それもあるかもしれません」
「よく寝るようになったからとか?」
「それもあるかもしれないです」
「前より安心して暮らせてるから?」
「……それも、たぶん」
結局、何が一番大きいのかは分からない。
「全部かもしれないですね」
僕が言うと、ミレアさんが頷いた。
「私もそう思います」
ガドさんは腕を組みながら布を見る。
「じゃあ、今すぐ他のアルネア人を連れてくればいいって話でもないのか」
「そうですね」
ミレアさんは少し考えてから続ける。
「それに、まずは私自身がもう少し続けてみたいです。同じ質の糸を作り続けられるのかも分かってませんから」
「それもそうだな」
ガドさんが頷く。
「じゃあ織機は?」
「直せるところがあるならお願いしたいです」
「大きくしていいのか?」
「大きくする前に、今のを良くしてください」
「……わかった」
リシアが笑う。
ガドさんは何も言い返さなかった。
しばらく話していると、外から声が聞こえた。
「おーい」
ナギさんだった。
片手に魚を何匹か持っている。
僕たちが帰ってきたことに気づいたらしい。
「帰ったのか」
「はい。さっき戻りました」
「町はどうだった?」
「布、売れましたよ」
ミレアさんが答える。
「へえ。よかったじゃないか」
ナギさんは詳しい値段を聞くより先に、持っていた魚をガドさんへ見せた。
「それより、今日はいいのが捕れたぞ」
ガドさんの目が魚へ向く。
「生で食えるやつか?」
「おうよ」
「ガドさん、布の話終わった途端それ?」
リシアが呆れたように言う。
ナギさんが笑った。
せっかくなので、町で買ってきた食料も少し出すことにした。
パンと豆、それから塩と少しの香辛料。
魚は一部を焼き、ナギさんが大丈夫だと言ったものは薄く切って生でも食べる。
「町にはもっといろんな料理があるんですよね」
ミレアさんがパンをちぎりながら言う。
「ありますよ」
僕が答える。
「町へ売りに行った時には食べなかったの?」
リシアが聞く。
「食べましたけど、基本は節約してましたから…」
エドガーさんと一緒にいた頃も、毎日豪華な料理を食べていたわけではない。
焼いた肉や煮込み料理に、パンや豆。たまには、少し変わった味付けの料理を食べることもあった。
思い返してみれば、それでも今より種類は多かった。
「ここの料理って、焼くか煮るかが多いですよね」
ミレアさんが言う。
「魚なら生でも食うぞ」
ナギさんが言った。
そんな話をしながら食事を続ける。
町へ行ったことで、布の価値は分かった。
けれど、戻ってきてみれば、ここでの暮らしはいつもと変わらない。
家のそばには畑があり、その向こうには海が広がっている。
ガドさんが魚を食べ、リシアがそれを見て笑い、ミレアさんは銀貨を大事そうにしまっている。
僕はそんな様子を眺めながら、ようやく家に帰ってきたんだと実感した。




