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帰る場所をなくした僕らは、新しい故郷を作る  作者: うみのもずく


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30. 山の向こうへ



夕食のあと。


僕たちは、今日作った二枚の布を机の上に並べていた。

どちらも薄く、滑らかで、触った時の感触もほとんど同じだ。

ミレアさんが布の端を指でなぞる。


「町に持っていくって言うのは、ミレアさんが糸を売ってた時みたいにってこと?」


リシアが聞く。


「そうですね。ただ、今度は糸ではなく布ですけど」


僕も二枚の布を見る。

エドガーさんと旅をしていた頃、布を扱う店はいくつも見てきた。


でも、僕は専門家じゃない。

自分たちで綺麗だと思っていても、本当に価値があるのかは、外の人に見てもらわないと分からない。


「どの町へ持っていくの?」


リシアが尋ねた。


少し考える。

海辺から近い場所に、ラウル人の町はない。

山脈のこちら側には、小さな集落はいくつかあるのかもしれないけれど、僕たちはまだ知らない。

行くなら、グランディア山脈を越える必要がある。


「山を越えて、一番近い町がいいと思う」


僕はそう答えた。


「前に通ったところですよね?」


ミレアさんが聞く。


「はい。王国側の山麓に、小さな町がありました」


エドガーさんと旅をしていた頃にも、一度立ち寄ったことがある。


大きな町ではない。

山から木材や薬草を運んでくる人や、周辺の村から品物を売りに来る人が集まる場所だった。

布を扱う店もあったはずだ。


「あそこなら、そんなに遠くないと思います」

「でも、山越えるんでしょ?」


リシアが少し心配そうに言う。


「前は大変だったじゃない」


ここへ来る時は馬と荷車があった。


食料。

道具。

種。

生活用品。

全部積んでいたから、狭い場所では何度も止まった。

荷車が通れる道を探して遠回りしたこともある。


「今回は歩くだけだから、前よりずっと早いと思うよ」


リシアがこちらを見る。


「全員で行く必要はないと思うけど、誰が行こうか」


僕はミレアさんを見る。


「製作者のミレアさんには来てもらった方がいいと思うけど…」



その時。


「俺は行かんぞ」


ガドさんが口を開く。

僕たちはガドさんを見る。


「ガドさんは残るつもりだったんですか?」

「ああ」

「…町が苦手なんですか?」


僕がそう聞くと、ガドさんの手が止まった。

少しだけ間が空く。


「……ラウル人が多い場所には、近づきたくない」


声はいつもと変わらない。

でも、何かある気がした。


リシアも何か感じたのか、さっきまでの表情が少し変わる。


「何かあったの?」


ガドさんはすぐには答えなかった。

机の上の布から目を離し、外を見る。


しばらくして。


「前に、ラウル人のところで働いてた」

「働いてた?」

「……働いてた、って言い方は違うな」


ガドさんが小さく息を吐く。


「働かされてた」


誰もすぐには言葉を返せなかった。

僕はガドさんを見る。


「…どんな仕事を?」

「石を切ったり、掘ったりだ」

「鉱山みたいなところですか?」

「ああ。そんなもんだ」


ガドさんは短く答えた。


「逃げてきたんですか?」


少し長い沈黙が続く。


「…そうだ」


ガドさんは頷いた。


「しばらく追われてた」

「だから、あんな森の奥にいたの?」


リシアが眉をひそめる。


「あそこまで来れば、そう簡単には追ってこないと思ったからな」

「……自分の集落には戻らなかったんですか?」

「戻れるわけないだろ」


ガドさんの表情が少しだけ硬くなる。


「…追ってきた奴らを連れて帰ることになるかもしれん」


その一言で、ようやく分かった。


ガドさんは帰れなかったんじゃない。

帰らなかったんだ。

自分の居場所を守るために。


「じゃあ、今もまだ……」

「分からん」


ガドさんは首を振った。


「もう追ってないかもしれんし、まだ探してるかもしれん」


少し間を置いてから続ける。


「だから俺は、今は山の向こうには行かん」

「…分かりました」


僕はそれだけ答える。

ガドさんが少し意外そうにこちらを見る。


「それだけか?」

「無理に行く必要ないですから」

「そうだよ」


リシアも言う。


「それなら私はガドさんと残るよ。エイルとミレアさんが町に行けば問題ないだろうし」


ガドさんは何も言わない。

でも、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。


「じゃあ決まりですね」


ミレアさんが言う。


「私とエイルさんが町へ行って、リシアさんとガドさんは留守番をお願いします」

「ナギさんにも話しておこう」


僕も頷いた。


「何日くらいかかる?」


リシアが聞く。


「分からないけど、前よりはずっと早いと思う」

「ちゃんと帰ってきてね」

「何日か町に行くだけだよ」

「分かってるけど」


リシアは少しだけ口を尖らせる。

今思うと、リシアと離れるのは何年ぶりだろう。


「ミレアさん、エイルのことお願いしますね」

「私がですか?」

「お願いします」

「僕の方が旅には慣れてるんだけど……」

「それとこれとは別」


どこかで聞いたことのある言葉だった。




翌日。


町へ持っていくものを決めた。


出来上がった二枚の布。

それから、比較のために以前の糸を少し。

ミレアさんがこれから作る新しい糸も、少量だけ持っていくことにした。


全部売るつもりはない。

まずは、どれくらいのものなのか見てもらうだけだ。


食料は最低限。

水筒。

雨をしのぐ布。

簡単な道具。


荷車は持っていかない。

今回は二人で背負える分だけだ。


「少ないですね」


荷物を見ながらミレアさんが言った。


「前はこれの何倍もありましたからね」

「荷車もありましたし」


あの山を越えた時のことを思い出す。

荷車の車輪が石に引っかかって、何度もガドさんのような力持ちがいればと思った。


あの頃は、まだガドさんのことなんて知らなかったけれど。




準備が終わる頃、ナギさんも様子を見に来た。


「山を越えるんだって?」

「はい。何日か留守にします」

「そうか、気をつけろよ」

「ありがとうございます」


ナギさんがガドさんを見る。


「お前は行かないのか?」

「ああ」

「そうか」


それ以上は何も聞かなかった。

ナギさんらしい。


「魚は戻ってきたらまた食わせてやる」

「本当ですか、それは楽しみです」


そんなやり取りをしながら、荷物の確認を行う。


背負った荷物は軽い。

前にここへ来た時とは比べものにならない。


「それじゃあ、行ってきます」

「気をつけてね」


リシアが言う。


「無理しなくていいからね」

「分かってるよ」

「分かってない時もあるから言ってるの」

「……はい」


ガドさんは腕を組んでいる。


「山道で変な近道するなよ」

「しませんよ」

「前に通った道を使え」

「分かりました」

「あと――」

「ガドさん」


僕が笑う。


「大丈夫です」


ガドさんが少し黙る。


「……ならいい」


ミレアさんが頭を下げる。


「行ってきます」

「ああ」


僕たちはみんなに背を向けた。


森を進み、グランディア山脈へ向かう。

前に三人でここを通った時は、荷車があった。

狭い場所では何度も止まり、遠回りをしながら進んだ。


今回は違う。

荷物は背負える程度。

道も一度通っている。


「こんなに進めるんですね」


ミレアさんが少し驚いたように言う。


「前は荷車がありましたから」

「そう考えると、かなり大変だったんですね」

「今になって分かりますね」


山道は楽ではない。

急な坂もある。

足場の悪い場所もある。

それでも、以前よりずっと速く進めた。


森の中で休みながら歩き、夜は簡単に野宿する。


それを何度か繰り返した。


やがて、木々の向こうに山の反対側が見えてきた。


道が少しずつ広くなる。

人が歩いた跡が増える。

切られた木。

整えられた地面。

遠くには畑らしきものも見えた。


「……戻ってきましたね」


ミレアさんが小さく言う。


「はい」


僕も前を見る。


グランディア山脈の向こう。


ヴァルディア王国。


遠くに、小さな町の屋根が見えていた。


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