27. 新しい糸
あれから数日が過ぎた。
僕たちは相変わらず、畑を見て、海へ行って、森から薪を集める毎日を続けている。
ナギさんたちとも何度か魚を捕りに行った。
その中で一つ変わったことがあるとすれば。
「今日は生で食える魚はないのか?」
ガドさんが、以前より海へ行きたがるようになったことだった。
「毎回あるわけじゃないぞ」
ナギさんが呆れたように答える。
「新鮮なのが捕れたら食わせてやる」
「そうか」
「ガドさん、完全に気に入ってますよね」
僕が言うと、ガドさんは少しだけ眉をひそめた。
「うまいものを食いたいと思うのは普通だろ」
「最初は食事すら遠慮してたのにね」
リシアが笑う。
「……それとこれは別だ」
最近は、こんなやり取りも増えた。
ガドさんが一緒にいることが、少しずつ当たり前になってきている。
本人はまだ、しばらくいるだけだと言っているけれど。
その日の夜。
夕食を終えたあと、僕は荷車の中を整理していた。
使っていない道具をまとめていると、ミレアさんが部屋から顔を出す。
「エイルさん」
「はい?」
「そろそろ、もう一度見てみませんか?」
そう言って、ミレアさんは自分の部屋に置いてある袋を指差した。
家を直してから、毎晩作った糸を入れているものだ。
最初に比べた時より、ずいぶん膨らんでいる。
「結構貯まりましたね」
「はい。これくらいあれば、前より分かりやすいかなと思って」
「そうですね、見てみましょうか」
僕たちは床へ座った。
その様子に気づいたリシアも近づいてくる。
「糸、比べるの?」
「うん」
「私も見たい」
少し離れたところで道具を手入れしていたガドさんも顔を上げた。
「前に言ってたやつか」
「そうです」
「なら俺も見せてもらう」
結局、四人で集まることになった。
ミレアさんが古い袋を持ってくる。
家を直す前に作った糸が入った袋。
その横に、新しい袋を置く。
「何本か出してみますね」
ミレアさんは古い袋から糸を取り出す。
同じように、新しい袋からも何本か取り出す。
床の上に並べてみる。
「……やっぱり違うね」
リシアが最初に言った。
前に見た時より分かりやすい。
古い糸は、一本ずつ見れば綺麗に見える。
けれど何本も並べると、ところどころ太さに差がある。
細くなっているところもあれば、少し太くなっているところもある。
新しい糸は、それが少ない。
一本一本の太さが揃っていて、表面も滑らかに見える。
「前よりはっきり分かりますね」
僕が言う。
ミレアさんも何本か手に取って見比べる。
「……そうですね」
少し嬉しそうにも見えた。
「自分で作っているのに、こんなに違うなんて」
「作る時の感覚は変わらないんですか?」
「そうですね…ほとんど変わりません」
ミレアさんが指先を見る。
ガドさんが古い糸を何本か手に取った。
「少しまとめてもいいか?」
「はい」
ガドさんは同じくらいの本数を揃え、軽く撚っていく。
それから新しい糸も同じようにまとめた。
二本の細い紐ができる。
「こうすると分かりやすいな」
並べてみる。
古い糸から作った方は、少し表面がでこぼこしている。
新しい方は、それより細くまとまっていた。
「同じ本数ですよね?」
僕が聞く。
「ああ」
ガドさんは両方を指に掛け、ゆっくり力を加える。
「……やっぱり新しい方が強い」
「そんなに違います?」
「前より分かりやすい」
ガドさんは今度は古い方を少し強く引いた。
細くなっていた部分が伸びる。
「こっちは力が偏る」
次に新しい方。
同じように力をかけても、形が崩れにくい。
「こっちは全体で受けてる感じだ」
「じゃあ……」
ミレアさんが二本の紐を見る。
「本当に、良くなってるんですね」
「たぶんな」
ガドさんが答えた。
「これだけ違えば、気のせいってことはないだろ」
僕もそう思う。
前に比べた時は、たまたま綺麗な糸が新しい袋に入っていただけかもしれなかった。
でも、今回は何本出しても同じような違いがある。
偶然とは考えにくい。
「でも、どうしてだろう」
リシアが言った。
全員で少し考える。
「やっぱり食べ物じゃない?」
「食事ですか?」
ミレアさんが聞く。
「前よりちゃんと食べるようになったでしょ」
確かにそうだ。
最初にここへ来た頃より、今は食事が安定している。
魚もある。
野菜も少しずつ採れる。
ナギさんたちから貝や海藻を分けてもらうこともある。
「家を直してから変わったんだろ」
ガドさんが言った。
「なら、寝る場所かもしれん」
「でも、食事が良くなったのも同じ頃ですよね」
僕が言う。
「そうなんだよね」
リシアも頷く。
「部屋ができて、前より落ち着いて作れるようにもなったって言ってたし」
三人の視線がミレアさんへ向く。
ミレアさんは少し困ったように笑う。
答えは出ない。
食事。
睡眠。
家。
気持ち。
変わったものはいくつもある。
僕は少し考えてから言った。
「一度に色々変わってしまったから、何が理由なのか分からないんですよね」
「そうだな、理由が一つだけとも限らん」
ガドさんが頷く。
ミレアさんも頷いた。
無理に答えを出す必要はない。
今分かっているのは、ミレアさんの糸が以前より良くなっている。
それだけが分かれば充分だった。
「しかし…」
ガドさんが二本の紐を見ながら言った。
「これ、紐にするだけじゃもったいないんじゃないか?」
「私もそう思う、綺麗な糸だし」
リシアがすぐに答えた。
ミレアさんが新しい糸を持ち上げる。
「アルネアでも、こういう糸は布にしますよ」
「布にできるんですか?」
ミレアさんは頷く。
「糸を何本も張って、そこに別の糸を通しながら織っていきます」
「へぇ…何を作っていたんですか?」
「そうですね… 服にしたり、袋にしたり。家の中で使う布にもします」
「じゃあ、この糸でも?」
「ええ、できると思いますよ」
ミレアさんは少し考える。
「ただ……」
「何か問題が?」
「道具がありません」
そういえばそうだ。
糸があれば、そのまま布になるわけではない。
「集落には織るための道具があったんですけど…」
ミレアさんが両手で大きさを示す。
「木でできていて、糸を張って、その間を別の糸で通していくんです」
「大きいんですか?」
「本格的なものは、それなりに」
少しだけ沈黙する。
その時。
「小さいものでいいなら作れるかもしれないぞ」
ガドさんが言った。
「本当ですか?」
ミレアさんが振り返る。
「現物を知らんから、そのまま作れと言われても無理だがな」
ガドさんはそう前置きしてから続けた。
「でも、形が分かれば似たようなものくらいなら作れるかもしれん」
「小さなものなら、私も使ったことがあります」
「なら描けるか?」
「はい、おそらく」
ミレアさんは少し考えたあと、炉のそばにあった細い木炭を取った。
それから板の裏側へ、簡単な形を描いていく。
四角い枠。
その中に並ぶ糸。
横から通す部分。
簡単なものだけれど、なんとなく形は分かる。
ガドさんは黙ってそれを見る。
「こんな感じだったと思います」
「もう少しここを広くできるか?」
「はい」
「この部分は動くのか?」
「動きます」
「なるほど」
ガドさんが何度か頷く。
僕とリシアは横から覗き込む。
僕には、それで本当に布が作れるのかよく分からない。
しばらくして。
ガドさんが板を持ち上げた。
「……これなら作れそうだ」
「本当ですか?」
「小さいやつならな」
ミレアさんの表情が少し明るくなる。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
ガドさんが立ち上がる。
「明日、使えそうな木を探してみる」
「ありがとうございます」
「俺も気になるからな」
ガドさんはそう言って、もう一度描かれた形を見る。
僕も新しい糸へ目を向けた。
どんな物が作れるのか、今から楽しみだった。




