25. 群れ
翌朝。
昨日と同じように目を覚ますと、すでに外から薪を割る音が聞こえていた。
僕は急いで外へ出る。
案の定、ガドさんが薪を割っていた。
「……おはようございます」
「おう」
「今日こそは僕の方が早いと思ったんですけど」
「残念だったな」
空はまだ朝焼けが残っている。
これでもかなり早く起きたつもりだった。
「何時から起きてるんですか?」
「さあな」
「絶対教える気ないですよね」
ガドさんは答えず、そのまま次の薪へ斧を振り下ろした。
後ろから出てきたリシアが、その様子を見て笑う。
「明日はもっと早く起きないとね」
「これ以上早くしたら夜だよ」
「だったら諦めればいいじゃない」
「…それはなんか悔しい」
そんな話をしていると、ミレアさんも家から出てきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
ミレアさんは少し眠そうに目元を擦っている。
昨日の夜も、しばらく糸を作っていたらしい。
家の中に置かれた新しい袋には、毎晩少しずつ糸が増えている。
まだ前のものと比べ直したりはしていない。
もう少し貯まってから見てみようと話したからだ。
「今日はどうします?」
リシアが聞く。
畑への水やりはガドさんがほとんど終わらせてしまっている。
魚も昨日捕ったものが少し残っていた。
「薪も増やしておきたいですし、森を少し見て回りませんか?」
僕が言うと、ミレアさんが頷いた。
「いいと思います。食べられるものも探しておきたいですね」
そうして朝食を済ませたあと、僕たちは四人で森へ向かった。
海辺から少し離れるだけで、空気はずいぶん変わる。
潮の匂いが薄くなり、代わりに土と木の匂いが強くなる。
鳥の声も多い。
僕たちは使えそうな枝を拾いながら、いつもより少し奥へ進んでいった。
「これなら薪にできますね」
僕が枯れ枝を持ち上げる。
「細いな」
ガドさんが言う。
「火を起こす時には使えますよ」
「もっと太いのを持っていけばいいだろ」
「全部ガドさん基準にしないでください」
少し先では、ミレアさんとリシアが地面の草を見ていた。
「これは?」
リシアが尋ねる。
「それは食べられません」
「じゃあこっちは?」
「それも駄目です」
「……難しいね」
「私も全部分かるわけじゃないですよ」
ミレアさんは苦笑した。
アルネア人の集落も森の中にあったから、僕たちよりは植物に詳しい。
それでも、場所が変われば見慣れないものも多いらしい。
「これなら大丈夫だと思います」
ミレアさんが指差した先には、小さな赤い実がいくつか生っていた。
「以前住んでいた森にも、よく似たものがありました。ただ……」
ミレアさんは一つ摘み取って眺める。
「今日は持って帰るだけにしましょう」
「賛成」
よく分からないものを無理に食べる必要はない。
僕たちは実を少しだけ籠へ入れた。
さらに森を進んでいると、ガドさんが突然足を止めた。
「どうしました?」
「……静かにしろ」
僕たちも立ち止まる。
何かいるのだろうか。
耳を澄ませる。
木々の向こうから、かすかに枝が折れる音が聞こえた。
それと、地面を蹴るような低い音。
「動物でしょうか」
ミレアさんが小声で言った。
「たぶんな」
ガドさんが近くの木の間を見る。
僕たちはしばらくその場で待った。
すると。
少し離れた木々の隙間を、大きな影が横切った。
「……え?」
思わず声が漏れる。
一頭だけではない。
続いて二頭。
三頭。
さらにその後ろにもいる。
木々の向こうを、見たことのない生き物の群れがゆっくりと進んでいた。
二本の太い脚。
長い尾。
身体は大きく、背中には短い羽毛のようなものが密に生えている。
首はそれほど長くない。
背丈はガドさんよりずっと高い。
羽毛に覆われた前脚が、歩くたびにわずかに揺れていた。
「……何ですか、あれ」
僕が呟く。
ミレアさんが目を細める。
「あれ……カルウスだと思います」
「知ってるんですか?」
「見たことはあります。私たちの集落の近くにも、たまに群れが来ていました」
カルウス。
初めて聞く名前だった。
群れの中には大きな個体もいれば、それより少し小さなものもいる。
一番後ろの個体は、まだ幼いのだろうか。
他の個体の半分ほどの背丈しかないカルウスが、一生懸命ついて歩いていた。
「大きいね……」
リシアが小さく言う。
「襲ってきたりしませんよね?」
僕が尋ねると、ミレアさんは少し考えた。
「草や葉を食べる生き物だったはずです。でも、近づきすぎると危ないって聞いていました」
「そりゃそうだろ」
ガドさんが言う。
「あの脚で蹴られたら無事じゃ済まん」
確かに、遠くから見ているだけでも、かなり力が強そうだった。
僕たちはそのまま動かず、群れが通り過ぎるのを待った。
カルウスたちはこちらに気づいているようだった。
何頭かが時々顔をこちらへ向ける。
でも近づいてくることはない。
一定の距離を保ったまま、ゆっくり森の奥へ消えていった。
しばらくして、また鳥の声が戻ってくる。
「……すごかったね」
リシアが言う。
僕はカルウスたちが消えていった方向を見る。
「この森、あんな大きな生き物もいるんですね」
「この辺りは広いですから」
ミレアさんが答える。
「私も知らない生き物はたくさんいると思います」
海についても同じだった。
ナギさんたちは僕たちよりずっと詳しいけれど、それでも海のすべてを知っているわけではない。
森もそうなのだろう。
僕たちはまだ、この土地のほんの一部しか知らない。
「捕まえれば運搬に使えそうだな」
ガドさんが言った。
僕とリシアが同時に振り返る。
「え、捕まえるんですか?」
「言ってみただけだ」
「絶対無理ですよ」
「あれを捕まえる前に私たちが蹴り飛ばされるよ」
リシアがそう言うと、ガドさんは腕を組んだ。すこしだけ悔しそうな顔をしている。
僕たちは笑いながら散策を再開した。
森を歩いているうちに、籠の中には色々なものが集まった。
薪。
見覚えのある木の実。
それから、使えそうな蔓。
今日はそれだけでも十分だった。
帰り道。
僕たちはさっきカルウスを見た場所を避け、少し遠回りして海辺へ戻った。
「ナギさんもカルウスを知ってるかな?」
リシアが言う。
「聞いてみようか」
「海の人でも知ってるんでしょうか」
「森の近くにも来てるし、見たことくらいあるんじゃない?」
ミレアさんが籠を抱え直す。
「私は、こんなに近くで見たのは久しぶりでした」
「アルネア人は捕まえたりしなかったんですか?」
「するわけないじゃないですか」
ミレアさんは即答した。
「あんな大きいもの、どうやって捕まえるんですか」
「…ですよね」
前を歩いていたガドさんも、僕たちの話を聞いて少しだけ肩を落とす。
ガドさんが本気で捕まえたかったんだなと思うと、少しだけ面白くて笑ってしまった。
家へ戻ると、ガドさんは拾ってきた薪を分け始めた。
僕とリシアは籠の中身を確認する。
ミレアさんは持ち帰った植物を一つずつ見ながら、食べられるものと分からないものを分けていた。
日が傾く頃には、いつものように夕食の準備が始まった。
特別なことは何もない。
それでも、今日見たカルウスの姿はしばらく頭から離れなかった。
あんな生き物が、この森のどこかで普通に暮らしている。
僕たちが知らないだけで、この土地にはまだ色々なものがあるのだろう。
夕食のあと。
ミレアさんは自分の小さな部屋へ入り、いつものように糸を作り始めた。
僕は少しだけ新しい袋を覗く。
前よりも、糸が増えている。
「もう少しかかりそうですね」
「はい。でも、急ぐことでもありませんから」
ミレアさんはそう言って笑った。
「そのうち、また比べてみましょう」
「そうしましょう」
僕は部屋を出た。
外ではガドさんが、今日持ち帰った太い枝を明日の薪にするつもりなのか、すでに斧を手にしていた。
「ガドさん、もう夜ですよ」
「まだ少し明るい」
「明日でいいじゃないですか」
「明日やるなら今やっても同じだろ」
「…同じじゃないと思います」
家の中から、リシアの笑い声が聞こえた。




