24. 糸
ガドさんが一緒に暮らすようになってから、数日が過ぎた。
最初は「もうしばらくだけ」と言っていたけれど、今では朝になると当たり前のように僕たちと一緒に動いている。
朝。
僕とリシアが畑へ向かうと、すでにガドさんが水を運んでいた。
「おはようございます」
「おう」
ガドさんは短く答え、そのまま桶の水を畑へ運ぶ。
「それ、僕がやりますよ」
「気にするな、俺が持っていく」
「じゃあ次の分を…」
「それももう持ってきてある」
見ると、畑の横には水の入った桶がいくつも並んでいた。
「……早いですね」
「お前が遅いんだ」
「まだ起きたばかりなんですけど……」
隣でリシアが笑う。
「エイル、ガドさんより早く起きないと仕事なくなるんじゃない?」
「それは困るよ」
「なら明日は早く起きろ」
「……頑張ります」
そんなやり取りも、いつの間にか当たり前になっていた。
ガドさんは建物を直すだけではなく、力仕事なら何でも手伝ってくれた。
薪を割る。
水を運ぶ。
畑の周りに転がっていた大きな石をどかす。
僕とリシアでは二人がかりだったものも、ガドさんなら一人で動かしてしまう。
その代わり。
「ガドさん、それ違います」
ミレアさんが言った。
「なんだ?」
「その草は抜いちゃ駄目です」
ガドさんの手には、畑の端に生えていた草が握られている。
「雑草じゃないのか」
「食べられますよ」
「…これが?」
ガドさんは草を見る。
それからミレアさんを見る。
「……草だぞ」
「草ですけどきちんと食べられます」
「そうなのか」
少し考えて、元の場所へ戻そうとする。
「あ、抜いたものは戻さなくていいですよ」
「……難しいな」
今度は僕たちが笑った。
ガドさんは家を建てることや石には詳しい。
けれど、森の植物や畑のことなら僕たちと大して変わらない。
何でもできるわけではないらしい。
それが少し意外で、同時になんだか親近感がわいた。
昼になると、僕たちは海へ向かった。
ナギさんに教えてもらった仕掛けを岩場へ置く。
最近では魚を捕ることにも少しずつ慣れてきた。
「ガドさん、そこ滑りますよ」
「大丈夫だ」
「この前もそう言って――」
その瞬間。
ずるっ。
「……」
ガドさんの身体が大きく傾いた。
なんとか踏みとどまる。
僕とリシアは顔を見合わせた。
「今、滑りましたよね?」
「滑ってない」
「絶対滑ったよ」
「滑ってない」
どこかで聞いたようなやり取りだった。
リシアが笑う。
「お腹が空いてないって言ってた時と同じ顔してる」
「……覚えてるのか」
「もちろん」
ガドさんは少し嫌そうな顔をする。
その時、岩場の向こうから声が聞こえた。
「お前ら、今日もいるのか」
ナギさんだった。
手に網を持ってこちらへ歩いてくる。
「こんにちは」
「おう」
ナギさんはガドさんを見る。
「ずいぶん馴染んだな」
「そう見えるか?」
「畑の横にあんたがいるの、もう何回か見てるからな」
ガドさんが少し黙る。
「……しばらく世話になるだけだ」
「そうなのか」
ナギさんは特に気にした様子もなく、海へ目を向けた。
「まあ、住むなら住むでよろしくな」
「まだ住むとは言ってない」
「じゃあ、いる間だけよろしく」
「……ああ」
それで話は終わった。
リシアが僕の横で小さく呟く。
「ナギさんって、やっぱり細かいこと気にしないよね」
「いいことなんじゃない?」
僕たちは話しながら夕食のための魚を捕り続けた。
夕方。
小屋へ戻る頃には、籠の中に何匹か魚が入っていた。
畑で採れた野菜と一緒に料理する。
ガドさんが加わってから、食事の量は少し増えた。
最初の頃は足りるか心配だったけれど、畑の作物も育っているし、魚も以前より捕れる。
四人でも、今のところ何とかやっていけそうだった。
「ガドさん、これ」
リシアが焼いた魚を渡す。
「俺はさっき食った」
「それ、小さいやつだったでしょ」
「十分だ」
「またそれ?」
「……」
リシアがじっと見る。
ガドさんは諦めたように魚を受け取った。
「……貰う」
「最初からそう言えばいいのに」
「お前は世話を焼きすぎだ」
「放っておくと何も食べない人が何言ってるのよ」
僕とミレアさんは顔を見合わせて笑った。
ガドさんも、もう強く言い返さなくなっていた。
その日の夜。
食事を終え、それぞれ眠る準備を始める。
ガドさんは明日使う道具の手入れをしている。
リシアは毛布を整えている。
僕は荷車に残っている道具を確認していた。
ミレアさんはいつものように、小さな部屋で糸を作っている。
家を直してから、毎晩そこで過ごすようになった。
以前よりずっと落ち着いて作業できるらしい。
「……よし」
僕は荷物を戻そうとした。
その時だった。
「エイルさん、少し手伝ってもらってもいいですか?」
ミレアさんに呼ばれ、僕は作業部屋へ向かう。
ミレアさんの前には、二つの袋が置かれていた。
一つは、ここへ来てからずっと使っていたもの。
もう一つは、家を直した後から使い始めた新しい袋。
「どうしました?」
「少し糸をまとめようと思って」
ミレアさんが古い袋から糸を取り出す。
「何かに使うんですか?」
「まだ決めてませんが、この前みたいに紐にしておけば、また使えるかなと思って」
「なるほど」
僕も床へ座る。
ミレアさんが何本か糸を並べた。
古い袋から取り出したもの。
それから、新しい袋から取り出したもの。
僕は何となく眺めていた。
「……?」
違和感があった。
「ミレアさん」
「どうされました?」
「これ……」
僕は二つの糸を指差した。
「少し違いませんか?」
ミレアさんが首を傾げる。
古い袋から出した糸を手に取る。
次に、新しい袋の糸。
どちらも細い。
どちらも同じミレアさんが作ったものだ。
けれど。
「こっちの方が……なんとなく綺麗な気がします」
「綺麗?」
ミレアさんも二本を手に取り並べ、じっと見つめる。
「……本当だ」
古い方は、よく見ると太さに少しばらつきがある。
新しい方は、それより均一だった。
表面も滑らかに見える。
「作り方、変えたんですか?」
「いいえ、いつも通りにしか作っていません」
ミレアさんはすぐに首を横に振りながら、不思議そうな顔をする。
僕たちが話していると、リシアが近づいてきた。
「何してるの?」
「ミレアさんの糸を見てたんだけど」
僕は二本を渡す。
「違い分かる?」
リシアが両方を見る。
「……こっちの方が綺麗じゃない?」
「だよね」
ガドさんも道具を置いて近づいてきた。
「何の話だ」
僕は事情を説明する。
ガドさんは二本の糸を受け取った。
見たあと、両手で軽く引っ張る。
「……こっちの方が頑丈そうだな」
ガドさんは古い方を引っ張り、次に新しい方を試す。
ミレアさんが驚いたように糸を見る。
「そんな……」
「本当に作り方は同じなのか?」
「同じです」
「材料は?」
ガドさんが聞く。
「材料というか……私の身体から出しているので」
「…そうだったな」
ガドさんが腕を組む。
リシアも考えるように糸を見る。
「じゃあ、何が違うんだろう」
「……分からない」
ミレアさんも首を傾げた。
僕は二つの袋を見る。
古い袋。
ここへ来てから、家を直す前までに作った糸。
新しい袋。
家を直した後に作り始めた糸。
「何か変わったこと、あります?」
僕が尋ねる。
「変わったこと……」
ミレアさんが考える。
「家が綺麗になったくらいでしょうか」
「食事も前より安定してきたよね」
リシアが言う。
「そうですね」
「前より安心して眠れる家ができたとか?」
ミレアさんは少し考えたあと、新しく作ってもらった部屋を見る。
「それと……糸を作る時、前より落ち着くようになった気はします」
「落ち着く?」
ミレアさんは頷く。
「今までもみなさんの横で糸を作ることが別に嫌だったわけではないんです。でも、ここだと一人でゆっくりできますから」
それが関係しているのだろうか。
食事。
睡眠。
住む場所。
気持ち。
変わったものはいくつかある。
けれど、どれが原因なのかは分からない。
そもそも、本当にそれが原因なのかも分からない。
「もう少し様子を見てみませんか?」
僕が言った。
「今までと同じように糸を作って、新しい袋に貯めてみましょう」
僕は二つの袋を見る。
「もっと増えたら、本当に違うのか分かるかもしれません」
「なるほど」
ミレアさんが頷く。
「私も気になります」
「それなら古い方も残しておいた方がいいね」
リシアが言った。
ミレアさんは古い袋の口を閉じる。
それから、新しい袋を自分のそばへ置いた。
「じゃあ、しばらくこっちに貯めてみます」
ミレアさんがすこし楽しそうにそう呟く。
その夜も。
ミレアさんはいつものように糸を作った。
指先から伸びる、細い糸。
作り方は何も変わっていない。
本人もそう言っている。
それでも。
新しい袋の中には、少しだけ以前とは違う糸が増えていった。




