16. アルネア人の集落
山を下り始めてから、しばらく歩いた。
グランディア山脈の中腹までは険しかった道も、少しずつ傾斜が緩くなっていく。
けれど、山を越えた先に広がっていた森は、想像していたよりもずっと深かった。
「……すごい」
荷台から顔を出したリシアが呟く。
木々がどこまでも続いている。
大きな木々の枝が空を覆い、昼間だというのに地面には薄暗い場所も多い。
「なんだか懐かしいな…」
僕も思わず周囲を見回した。
今まで旅をしてきた街道沿いの森とは全然違う。
人の手がほとんど入っていない。
道も細く、ところどころ木の根が地面から盛り上がっている。
僕は生まれ育った集落のことを思い出して、少しだけ懐かしいようで寂しいような感覚が胸を燻る。
「大丈夫ですか?」
ミレアが振り返った。
「はい。なんとか」
僕は手綱を握り直す。
「ミレアさんは、この辺りは詳しいんですよね?」
「はい。子供の頃から何度も通っていますから」
そう言って、ミレアは少し得意そうに笑った。
「この先を少し進めば、私たちの集落があります」
「そうなんですね。どのくらいで着きそうですか?」
「あと半日くらいだと思います」
「は、半日……」
思ったより遠い。
けれど、ミレアがいるなら迷う心配はなさそうだった。
「それなら、今日中に集落まで行けそうですね」
「そうですね、ただ…」
「?」
「…荷車は少し大変かもしれません」
「……やっぱり?」
僕たちは顔を見合わせた。
エドガーさんから譲ってもらった荷車は、五年間ずっと街道を走ってきた。
丈夫ではある。
けれど、こんな森の中を走るために作られたものではない。
「ゆっくり行きましょ。せっかくの旅なんだから焦っても仕方ないわよ」
リシアが言う。
「馬も疲れてるしね」
「そうですね」
僕は馬の様子を確認する。
幸い、まだ元気そうだった。
「じゃあ、無理せず進みましょうか」
僕たちは再び森の奥へ進んでいった。
しばらくすると、道の両脇に小さな印が見えるようになった。
木の幹に結ばれた紐。
積み重ねられた石。
枝を編んで作られた小さな目印。
「これは?」
僕が尋ねると、ミレアが答えた。
「森の道標です」
「誰が作ったんですか?」
「いろんな種族のものになりますね」
ミレアは木に結ばれた紐を指差す。
「自分たちの集落へ向かう道を示したり、危険な場所を知らせたりするんです」
「じゃあ、この森にはアルネア人以外にも住んでいるんですか?」
「もちろんです、森はとても広いですから。いろんな種族の集落があるんですよ」
僕は少し驚いた。
「いつか、他の種族の集落にも行ってみたいね」
リシアが楽しそうに前を向きながら言う。
「行けるといいですね」
ミレアもつられて笑いながら答えた。
昼を過ぎた頃。
森の中に、小さな川が現れた。
透き通った水が岩の間を流れている。
「ここで少し休みましょう」
ミレアがそう言うと荷台から降りて体を伸ばす。
僕たちは荷車を止めて、馬に水を飲ませる。
リシアが水に手を入れた。
「冷たい……!」
「山から流れてきている水ですから」
ミレアも手を水につける。
「…なんだから子供の頃を思い出すね」
「…そうだね」
僕とリシアは小さい頃に川で遊んでいたことを思い出す。
あの頃より川の水が冷たく感じるのは大人になったからだろうか。
「そういえば、お二人のご関係って…」
ミレアが少し気まづそうに聞いてくる。
そういえば、セリオン人であることは伝えたが、それ以外のことはほとんど話していなかった。
「私とエイルは幼なじみなんです。同じ日に生まれて育ったから、ほとんど兄妹みたいなものですけどね」
「まあ、そうだったんですね! 同じ誕生日なんて素敵ですね」
「村でも同じ日に二人産まれるなんて滅多にないことだからお祭り騒ぎだったらしいですよ」
僕たちはミレアさんに自分たちの話をした。
同じ日に産まれたこと。
セリオン人の集落も森の中にあったこと。
子供のときにどんな遊びをしていたか。
そして────
「…セリオン人は、人の感情が読めるのですか」
「セリオン人によっても読める感情は違いますし、細かいことまでは読めないですけどね。なんとなく判別がつくんです」
僕は軽くリシアに顔を見る。
「僕は、相手が嘘をついているか……なんとなく分かるんです」
「私は相手の感情がなんとなく分かるの」
初めて自分たちのことを人に話すので、少し緊張しながら僕たちは答える。
「でも、僕たちのこの力を恐れた王国によって…」
「…お二人の集落が襲われてしまったんですね」
短い沈黙のあと、リシアが口を開く
「もう五年も前の話ですよ。もちろんあんな事をした人たちを許しているわけじゃないけど、私達も前を向かないとですしね」
「そうなんですね…」
ミレアが何かを決心したように、僕とリシアと向かい合う。
「お二人がこれから幸せに暮らせるように、私にも全力でお手伝いさせてください!」
僕とリシアは驚いて顔を合わせる。二人とも自然と笑みがこぼれる。
僕たちの為に心から協力してくれるひとがいることがこんなにも嬉しいなんて。
「ふふ、ミレアさんがいればこの森を越えるのも楽勝ね!」
「もちろんです!お任せ下さい!」
僕たちは笑いながら、次に向かう道程について三人で話し合った。
手綱を引きながら、荷台に乗っているミレアさんに話しかける。
「ミレアさんは久しぶりに帰るんですよね」
「そうですね…楽しみですが、少し緊張してます」
意外な言葉だった。
「どうしてですか?」
「…五年も離れていましたからね。私がいない間に、みんなの生活も変わっているかもしれません」
「……そうですね」
僕も自分の集落を思い出した。
もう、あの場所はない。
だからこそ、ミレアが帰れる場所を持っていることが少し羨ましかった。
「きっと大丈夫ですよ」
リシアが笑った。
「家族なら、帰ってきたら喜んでくれますよ」
「…そうですね、ありがとうございます」
ミレアは少し驚いた顔をしてから、静かに笑った。
森の中をさらに進む。
しばらくすると、木々の向こうに何かが見えた。
小さな建物がいくつか見える。
「…もしかして、あれが?」
僕が目を凝らす。
ミレアが足を止めた。
「……着きました」
ミレアは少し緊張したような顔をしていた。
「ここが、私たちアルネア人の集落です」
僕は思わず周囲を見渡した。
建物は木や植物を利用して作られている。
木の上に作られたものもあれば、地面に建てられたものもある。
建物と建物の間には細い糸が張られている。
洗濯物のように布が干されている場所もあった。
何人かのアルネア人がこちらを見ている。
中には子供もいる。
僕たちを見つめながら、何やら話している。
「……みんな、こっちを見てますね」
「珍しいんでしょうね」
ミレアが苦笑した。
僕は荷車をゆっくり進めた。
すると、一人の女性がこちらへ走ってきた。
「ミレア!?」
「……お母さん?」
女性はミレアの前まで来ると、ミレアのことを強く抱き締めた。
「もう……心配したんだから」
「ごめんなさい」
「手紙くらい寄越しなさいよ」
「……街まで行くと忙しくて」
「こら、言い訳しないの」
そう言いながらも、女性は嬉しそうだった。
僕とリシアは少し離れたところから、その様子を見ていた。
なんだか、胸が温かくなる。
その時、ミレアがこちらを振り返った。
「エイルさん、リシアさん、こっちにきてください」
ミレアが僕たちに手招きする。
「紹介します」
ミレアは母親の方を向いた。
「私が街で出会った友達の、エイルさんとリシアさんです」
「初めまして」
僕とリシアは頭を下げる。
「初めまして、ミレアの母です」
ミレアの母親も頭を下げた。
「ミレアがお世話になったみたいで、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそミレアさんには助けてもらっています」
「あら、そうなの?」
母親がミレアを見る。
「そんなことないよ、街からここまで道案内をしただけだから」
ミレアは恥ずかしそうに笑った。
「それに、私も二人に助けてもらってるから」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ嬉しくなった。
その日の夜。
僕たちはアルネア人の集落に泊めてもらうことになった。
食事の席には、ミレアの家族だけではなく、何人ものアルネア人が集まっていた。
僕たちを見る目には、まだ少し警戒がある。
それでも、敵意はなかった。
「山を越えてきたんですか…?荷車で…?」
「はい、ミレアさんが道案内をしてくれたのでなんとかこれました」
「よく壊れませんでしたね」
「僕もそう思います」
そんな会話をしていると、集落の人たちも少しずつ笑ってくれるようになった。
リシアも楽しそうに話している。
ミレアは家族に囲まれながら、久しぶりの故郷で笑っていた。
僕はその光景を見ながら思った。
ここにも、ちゃんと暮らしがある。
街とは違う。
人間の国とも違う。
それでも、ここにいる人たちは笑っている。
誰かと食事をして。
誰かと話をして。
明日のことを考えている。
当たり前の生活が、ここにもある。
僕はふと、エドガーさんの言葉を思い出した。
――自分たちの居場所を作るんだろ?
僕たちにも、いつか…
そんなことを考えながら、僕は静かに焚き火を見つめていた。
翌朝。
僕たちは荷車の準備をしていた。
ミレアの家族も見送りに来ている。
「本当に行くの?」
母親がミレアに尋ねる。
「うん、もう決めたことだから」
ミレアは強く頷く。
「そう…でも気をつけなさいよ。それに二人に迷惑かけないようにね」
「分かってるよ」
ミレアは笑う。
そして僕たちを見る。
「さあ、行きましょう」
僕は手綱を握り、馬を引き始める。
「……また帰ってきます」
「待ってるわ」
母親が手を振る。
ミレアも手を振り返す。
僕とリシアもお辞儀をして、ゆっくりと歩き始める。
やがて、集落の姿が木々の向こうへ消えていった。
集落をでてからもう一晩森の中で過ごし、次の日のお昼頃。
僕たちはさらに森の奥へ進んでいく。
すると――
風が変わった気がする。
僕は顔を上げる。
木々の間を抜けてくる風に、今まで嗅いだことのない匂いが混じっていた。
少しだけ、しょっぱい。
「……この匂い」
ミレアが荷台から立ち上がった。
「……もう近いの?」
リシアが尋ねると、ミレアは頷いた。
「はい、おそらく」
僕は前を見る。
森の向こう。
まだ姿は見えない。
けれど――
確かに聞こえた。
遠くから響く、低い音。
ザァァ……
僕たちは顔を見合わせた。
山を越え、森を進み。
そして今――
僕たちは初めて、海へ近づいていた。




