13. 商人の旅
あの日から、いくつもの季節が過ぎていった。
春が来て。
夏が過ぎ。
秋になり。
そして、また冬が来る。
僕とリシアは、エドガーと共に旅を続けていた。
最初は、何も分からなかった。
商品の名前も。
街の名前も。
お金の価値も。
どの商品をどこで売ればいいのかも。
ただ、エドガーに言われたことを覚えるだけだった。
「これは湿気に弱い。雨の日は布をかけろ」
「この箱は下に置くな。中身が壊れる」
「売る前に、数を確認しろ。間違えたら自分が損をするぞ」
そんな言葉を、少しずつ覚えていった。
最初は失敗も多かった。
荷物の積み方を間違えたこともある。
商品の数を数え間違えたこともある。
街の名前を間違えて、エドガーに苦笑されたこともあった。
それでも、エドガーは怒鳴らなかった。
「失敗したなら覚えろ」
いつも、それだけだった。
「次に同じことをしなければ、それでいい」
その言葉を聞くたびに、僕たちは少しずつ成長していった。
ある街でのことだった。
店先に並べられた布を見ながら、僕はエドガーに尋ねた。
「エドガーさん、この街では布がよく売れるんですね」
「ああ」
エドガーは店の様子を眺める。
「この辺りは布を作る職人が少ないからな」
「じゃあ、別の街では売れないんですか?」
「売れないわけじゃない。ただ、値段は下がるだろうな」
僕は少し考えた。
同じ商品なのに、街が変わるだけで価値が変わる。
「……不思議ですね」
「商売なんて、そんなもんだ」
エドガーは笑った。
「物そのものに価値があるだけじゃない。欲しい奴がいる場所に持っていけば、価値が生まれる」
その言葉は、僕の中に残った。
旅を続けるうちに、僕は少しずつ周りを見るようになった。
街に入ったら、人の流れを見る。
店を見れば、何が売れているのかを見る。
市場では、何が余っているのかを見る。
最初は、エドガーに教えられたことを真似していただけだった。
けれど、いつからか自分で考えるようになっていた。
ある日のこと。
市場を歩いていた僕は、店先に並んだ鉄製品を見ていた。
鍬。
包丁。
釘。
簡単な農具。
どれも、以前訪れた街で見たものより高い。
「エドガーさん」
「なんだ?」
「この街、鉄製品が高いですね」
エドガーは店先の商品を眺めた。
「ああ。ここは鉄が採れない地域だからな」
「鉄が採れない……」
僕は商品を見つめる。
「じゃあ、鉄が採れる街から仕入れて持ってくれば……」
「高く売れるかもしれないな」
「だったら、たくさん持ってきた方がいいんじゃないですか?」
エドガーは少し笑った。
「そう簡単にはいかないぞ」
「……どうしてですか?」
「鉄は重い」
「あ……」
「大量に運べば、それだけ荷車も重くなる。運ぶための費用も増える」
僕は荷車を見る。
「商人は、仕入れ値だけを見て商売するわけじゃない。運ぶための費用、売れる量、売る場所……全部考える必要がある」
「……難しいですね」
「だから面白いんだ」
エドガーは笑った。
「同じ鉄でも、場所が変われば価値が変わる。それを見つけるのが商人の仕事だ」
僕はもう一度、店先の鉄製品を見る。
昔なら、ただ「高い」と思って終わっていただろう。
でも今は違う。
なぜ高いのか。
どこから持ってくればいいのか。
運ぶにはいくらかかるのか。
そんなことを考えるようになっていた。
リシアも変わっていった。
人の顔を見ること。
声を聞くこと。
その場の空気を感じること。
それは、彼女にとって昔から当たり前のことだった。
けれど、旅を続けるうちに、その力を商売にも使うようになった。
ある商談の途中。
リシアが小さくエドガーに声をかけた。
「エドガーさん」
「ん?」
「あの人、まだ少しなら値段を下げてもいいと思います」
エドガーは相手の商人を見る。
「そうか?」
「はい」
「……じゃあ、もう一度だけ聞いてみるか」
結果、最初に提示された金額より、少しだけ安く仕入れることができた。
宿へ戻る途中、エドガーが笑いながら言った。
「リシア、俺より商人に向いてるんじゃないか?」
「そんな……」
リシアは困ったように笑う。
エドガーさんはなんだか上機嫌だった。
旅をしていると、嫌なものもたくさん見た。
街の隅で、人間とは違う姿をした者たちが暮らしていること。
店の前で、亜人というだけで追い払われる者たち。
街道の端を歩くことを強いられている者たち。
そして、時には奴隷として売られている者たち。
僕は何度も思った。
どうして。
同じように生きているのに。
こんなにも扱いが違うのか。
ある日、僕はエドガーに聞いた。
「エドガーさん」
「ん?」
「どうして、人間は亜人を嫌うんですか?」
エドガーはすぐには答えなかった。
しばらく歩いてから、口を開く。
「昔からのことだから、だろうな」
「昔から?」
「ああ。戦争や争いがあって、互いに憎しみが残る。それが何世代も続けば、いつの間にか『あいつらは嫌いだ』が当たり前になる」
「……でも」
僕は俯いた。
「それって、おかしくないですか?」
エドガーは僕を見る。
「おかしいと思うなら、覚えておけ」
「……何をですか?」
「自分がされて困ることを、他人にするな」
その言葉は、ずっと僕の中に残った。
旅を続ける中で、僕たちは文字も覚えた。
最初は自分の名前を書くことさえできなかった。
けれど、エドガーが商売に必要な帳簿を見せてくれた。
「数字は商人にとって命だぞ」
「はい」
「一枚でも間違えれば、損をする」
「分かりました」
読み書き。
計算。
契約。
税。
街ごとの決まり。
僕たちは、村にいた頃には知らなかったことを一つずつ学んでいった。
世界は広かった。
僕たちが暮らしていた集落は、その中のほんの小さな場所にすぎなかった。
そして――
気がつけば、5年もの時間が流れていた。
十歳だった僕たちは、いつの間にか大人へ近づいていた。
僕は荷車の横を歩きながら、積まれた商品を確認する。
「エドガーさん」
「なんだ?」
「この箱、こっちですよね?」
「……ああ」
「昨日の雨で少し湿っています。布を外側にしておきますね」
エドガーは少しだけ笑った。
「もう俺が言う必要もなくなったな」
「え?」
「いや、何でもない」
僕は首を傾げた。
隣では、リシアが笑っている。
「エイル、昔はよく逆にしてたもんね」
「……言わないでよ」
「懐かしいなぁ」
リシアが笑いながら作業している。
そんな僕たちを、エドガーは前から見ていた。
その表情は、いつもより少しだけ寂しそうだった。
僕は、その意味に気づかなかった。
この旅が、もうすぐ終わることを。




