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潮待ちの駅、最後の夏  作者: ぴよ団長
第1章 帰郷と潮待駅発見

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9/18

戻れなかった者たち

黒い列車は、音もなくホームへ滑り込んできた。


銀色の潮待駅行きとは違う。


車体は煤けたように黒く、窓には灯りが一つもない。


なのに確かに、何かが乗っている気配がした。


冷気が広がる。


さっきまで穏やかだった海風が、急に冬みたいに冷たくなった。


ホームにいた半透明の人影たちが、ざわつき始める。


ざわ……ざわ……。


誰かが怯えたように後ずさった。


子どもの霊が母親らしき影へしがみつく。


僕は思わず車掌を見る。


「……何なんですか、あれ」


車掌は黒い列車を見つめたまま答えた。


「後悔に呑まれた者たちです」


低い声だった。


「潮待駅へ辿り着いても、前へ進めなかった者たち」


列車が止まる。


だがドアは開かない。


黒い窓の向こうに、人影だけがぼんやり見える。


顔は分からない。


けれど全員、こちらを見ていた。


ぞっとするほど強い視線だった。


澪が僕の袖を掴む。


「寒い……」


彼女の手は震えていた。


紗江が一歩前へ出る。


表情が硬い。


「まだ早いはずなのに」


車掌が小さく呟く。


「歴史が動いた影響でしょう」


「歴史?」


僕は聞き返した。


車掌は静かにこちらを見る。


「あなたが事故を変えた」


その瞬間、胸がざわついた。


「……助けたことが、まずかったのか」


「良い悪いではありません」


車掌は感情のない声で言う。


「過去が変われば、待つ者も変わる」


意味が分からない。


けれど次の瞬間、黒い列車の窓を見て、僕は凍りついた。


窓の内側に、自分がいた。


スーツ姿の僕。


疲れ切った顔。


東京で働いていた頃の、あの表情。


そいつは窓越しにこちらを見ていた。


目の下に濃い隈がある。


生気がない。


まるで、人生そのものを諦めた人間みたいな顔。


「……なんだよ、あれ」


澪が息を呑む。


「遼くん?」


黒い車内の“僕”が、ゆっくり口を動かした。


——帰れ。


声は聞こえない。


でも確かにそう言った。


背筋が冷える。


「違う」


思わず呟く。


「あれは僕じゃない」


けれど本当は分かっていた。


あれは、“ありえた未来”だ。


東京で何もかも失い、後悔だけ抱えて生き続けた僕。


祖母の死にも間に合わず、故郷にも戻らず、誰とも繋がれなかった僕。


黒い窓の中の僕が、笑った。


歪んだ笑みだった。


その瞬間。


ゴン、と音がした。


黒い列車の内側から、誰かが窓を叩いたのだ。


一人じゃない。


ゴン。


ゴン。


ゴン。


無数の音。


窓の向こうの人影たちが、一斉にガラスを叩き始める。


ざわめきが広がる。


ホームの半透明の人影たちが怯えて後退する。


澪が叫んだ。


「何なんこれ……!」


車掌が一歩前へ出た。


制帽の影で目が見えない。


「下がってください」


低い声。


その瞬間。


黒い列車のドアが、ゆっくり開いた。


ギィィ――。


中は真っ暗だった。


灯りがない。


底のない穴みたいな闇。


そして。


そこから、人影が降りてきた。


男だった。


いや、“男だったもの”。


海水で濡れた作業服。


青白い顔。


虚ろな目。


足元から黒い水が滴っている。


澪が息を呑む。


「……うそ」


男はこちらを見た。


その顔を見た瞬間、澪が震えた。


「お父さん……?」


僕は澪を見る。


父親?


だが澪は首を振っていた。


「違う……違う……」


声が掠れている。


男はゆっくり澪へ近づく。


海水がホームへ広がる。


腐った潮の匂いがした。


紗江が前へ出る。


「駄目!」


男の足が止まる。


その虚ろな目が、紗江へ向いた。


紗江は震えながらも、睨み返す。


「帰って」


男の口が、ぎこちなく動く。


——み、お。


掠れた音だった。


澪が顔を覆う。


「やめて……」


車掌が懐中時計を開く。


カチ、という音。


その瞬間。


ホームの灯りが強く明滅した。


白い光が駅を包む。


男が苦しそうに呻く。


黒い水が蒸発するように消えていく。


車掌が低く告げる。


「潮待駅は、生者の駅です」


声が響く。


「未練だけの者は、長く留まれない」


男が唸る。


黒い列車の中からも、無数の呻き声が漏れ始めた。


まるで“何か”が溢れ出そうとしているみたいだった。


紗江が振り返る。


「遼くん!」


「え?」


「澪ちゃん連れて、早く列車へ!」


その瞬間。


黒い列車の窓ガラスが、一斉に割れた。


バリンッ!!


暗闇の中から、無数の手が伸びる。


濡れた手。


痩せた手。


老人の手。


子どもの手。


それらがホームへ這い出してくる。


澪が悲鳴を上げた。


僕は咄嗟に彼女の手を掴む。


冷たい。


でも、生きている体温だった。


「走れ!」


銀色の列車へ駆け出す。


背後で、黒い何かがホームを這う音がする。


車掌の声が響いた。


「発車します!」


警笛。


ボォォォ――ッ!!


僕たちは飛び込むように車内へ乗り込んだ。


ドアが閉まる。


その瞬間。


黒い手が窓へ叩きつけられた。


ドン!!


ガラス越しに、無数の顔が見える。


泣いている。


叫んでいる。


助けを求めている。


列車が動き出す。


ガタン。


ゴトン。


黒い駅が遠ざかる。


その中で。


ホームに残った紗江が、静かに笑っていた。


そして唇が動く。


——今度こそ、思い出してね。


次の瞬間。


世界が白く弾けた。


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