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潮待ちの駅、最後の夏  作者: ぴよ団長
第1章 帰郷と潮待駅発見

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3/7

昭和三十九年の町

「……誰だ?」


声が掠れた。


少女は不思議そうに首を傾げた。


「覚えてないの?」


白いワンピースの裾が、列車の揺れに合わせて微かに揺れる。


近くで見ると、どこか古い時代の空気をまとった少女だった。髪を留める薄青色のリボンも、今では見かけない形をしている。


僕は慎重に距離を取った。


「いや、初対面だと思うけど」


少女は少しだけ困った顔をした。


「そっか。まだ、この時間なんだ」


意味が分からない。


「……ここ、どこなんだ」


「汐浦だよ」


「そうじゃなくて」


僕は窓を指した。


ホームには大勢の人がいた。


浴衣姿の家族連れ。酔っぱらった作業着の男たち。学生服の集団。今の汐浦では考えられないほど賑やかだ。


駅前の看板には、ネオンが灯っている。


『汐浦造船歓迎』


『航路開通記念』


『夏祭り開催中』


昭和の映画でしか見たことのない景色だった。


少女は窓の外を見て、静かに言った。


「昭和三十九年。東京オリンピックの年」


僕は笑いそうになった。


いや、笑えなかった。


車内の空気が妙に現実的だったからだ。


木の床の軋み。


鉄の匂い。


窓から流れ込む湿った潮風。


夢にしては、生々しすぎる。


「……ありえない」


「でも来ちゃった」


少女はそう言って立ち上がった。


「降りる?」


列車のドアは開いたままだ。


ホームからは祭囃子が聞こえてくる。


僕は迷った。


ここで降りたら、戻れなくなるんじゃないか。


そんな予感があった。


けれど同時に、胸の奥で別の感情が疼いていた。


見たい。


この町の昔を。


祖母が生きていた頃の汐浦を。


少女は先にホームへ降り、振り返った。


「早くしないと、列車行っちゃうよ」


僕は意を決して降りた。


足裏に、古いホームの感触が伝わる。


その瞬間だった。


遠くで花火が上がった。


ドン――ッ。


夜空に赤い光が咲く。


ホームの人々が歓声を上げる。


その光景を見た途端、胸が妙に締めつけられた。


同じ場所のはずなのに。


今の汐浦には、こんな熱気は存在しない。


列車が背後でドアを閉める。


プシューッという空気音。


僕は振り返った。


車掌の男が無表情にこちらを見ていた。


「発車まで、一時間です」


低い声だった。


「乗り遅れにはご注意を」


それだけ言うと、男はドアを閉めた。


列車はホームに停車したまま動かない。


少女が歩き出す。


「こっち」


僕は慌てて後を追った。


改札を出た瞬間、世界が一気に広がった。


夜店が並んでいる。


イカ焼きの匂い。ラムネ瓶の音。金魚すくい。子どもたちの笑い声。


町そのものが、生きていた。


「……すごい」


思わず呟く。


少女は少し誇らしげに笑った。


「昔の汐浦、好きなんだ」


「君は、この時代の人なのか?」


「そうだよ」


「じゃあ、どうして僕を知ってる」


その質問に、少女はすぐ答えなかった。


代わりに夜空を見上げる。


花火がまた一つ開く。


「ねえ、遼くん」


「……何」


「人ってね、忘れたつもりでも、本当に大事なことは消えないんだよ」


風が吹いた。


潮の匂いが混じる。


少女はどこか寂しそうだった。


僕はもう一度尋ねた。


「名前は?」


少女は少しだけ考えてから答えた。


「……紗江」


「紗江」


口にすると、不思議な感覚がした。


初めて聞く名前なのに、なぜか懐かしい。


紗江は商店街の方へ歩き出した。


そこには、今では潰れてしまった店が並んでいる。


魚屋。


乾物屋。


喫茶店。


レコード店。


どの店にも灯りがあり、人がいた。


「昔はね、造船がすごかったんだ」


紗江が言う。


「朝になると工場の汽笛が鳴って、みんな港へ行くの」


遠くから、本当に汽笛が聞こえた。


低く重い音。


夜の海を震わせるような響き。


「今は静かだろ?」


図星だった。


僕が知る汐浦は、静かな町だ。


悪く言えば、止まりかけている町。


若者は出ていき、残った高齢者も減っていく。


夏祭りでさえ規模が縮小され、商店街は半分以上閉じている。


けれど今目の前にあるのは、まるで別世界だった。


「信じられないな……」


「でも、本当にあった景色だよ」


紗江はそう言って笑った。


そのとき。


商店街の向こうから、一人の女性が走ってきた。


「紗江ー!」


明るい声。


紗江が振り返る。


「もう、どこ行っとったん!」


駆け寄ってきた女性を見た瞬間。


僕は凍りついた。


二十歳くらいの若い女性。


白いブラウスに紺のスカート。


髪を後ろで束ねている。


そしてその笑い方を、僕は知っていた。


祖母だった。


若い頃の祖母。


遺影の中より、ずっと若い姿。


彼女は紗江の肩を掴み、笑った。


「祭り始まるけぇ、探したんよ!」


その声。


その目元。


間違いない。


祖母だ。


僕は息を呑んだ。


若い祖母は、そのまま僕へ視線を向ける。


そして不思議そうに首を傾げた。


「……あれ?」


心臓が止まりそうになる。


祖母は、僕をまっすぐ見つめた。


「どこかで会った?」


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