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潮待ちの駅、最後の夏  作者: ぴよ団長
第1章 帰郷と潮待駅発見

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夜のホーム

その列車は、音もなく海沿いを走っていた。


夜の町を切り裂くように、銀色の車体が月明かりを反射している。


僕は窓に手をついたまま、しばらく動けなかった。


ありえない。


汐浦線の終電は、とっくに終わっている。

そもそも、あんな古い車両は廃線になったはずだ。


なのに列車は確かに存在していた。


暗闇の中を走り、ゆっくりと汐浦駅へ近づいてくる。


警笛が鳴る。


低く長い音が、海風に溶けた。


その瞬間だった。


背後で襖が開く。


「遼?」


母だった。


僕は反射的に窓を指した。


「あれ……見える?」


「何が?」


「列車」


母は怪訝そうに外を見た。


だが、首を傾げるだけだった。


「何もおらんよ」


背筋が冷えた。


僕はもう一度窓の外を見る。


列車はまだ走っている。


ヘッドライトが夜の線路を照らし、確かにこちらへ向かっている。


見えているのは、僕だけなのか。


母は疲れた顔で言った。


「今日はもう寝なさい。明日早いんじゃけえ」


そう言って部屋を出ていく。


襖が閉まる。


静寂。


風鈴だけが鳴っていた。


チリン。


チリン。


僕はもう一度、手の中の切符を見る。


『潮待駅』


紙は古びているのに、不思議と湿気ていなかった。まるで昨日刷られたみたいに硬い。


裏には同じ文字。


——満月の夜、最終列車にて。


窓の外の月は、真円だった。


僕は唾を飲み込んだ。


行くのか?


こんなもの、まともに相手をする方がおかしい。


疲れているんだ。


葬式、帰郷、寝不足。

変な幻覚を見ているだけかもしれない。


けれど。


胸の奥で、何かが脈打っていた。


子どものころ、確かに見た記憶がある。


夜のホーム。


祖母の手。


知らない駅名。


そして、あの列車。


僕は気づけば立ち上がっていた。


玄関でサンダルを履き、そっと外へ出る。


夜気はぬるかった。


坂の下から、かすかに踏切の警報音が聞こえる。


カン、カン、カン——。


汐浦駅まで、徒歩十分。


昔は賑やかだった道も、今は街灯がまばらだ。閉まった商店街のシャッターに月光が白く落ちている。


潮の匂いが濃い。


海は見えないのに、すぐそばにあると分かる。


坂を下りながら、僕は思い出していた。


小学生の夏休み。


祖母はよく、夜の散歩に連れ出した。


「昼の海と、夜の海は別もんじゃけえ」


そう言って笑っていた。


僕は祖母が好きだった。


町のみんなに好かれていて、料理が上手くて、昔話をたくさん知っていた。


けれど一つだけ、不思議な癖があった。


満月の夜になると、決まって駅へ行っていたのだ。


理由を聞いても、教えてくれなかった。


——約束があるんよ。


いつもそう言っていた。


汐浦駅へ着く。


無人の改札は暗く沈んでいた。


自販機だけが青白く光っている。


ホームへ続く階段を上がると、夜風が吹き抜けた。


誰もいない。


当然だ。


終電は一時間以上前に終わっている。


ホームのベンチに座り、僕は苦笑した。


何をやってるんだろう。


二十四にもなって、幽霊列車を待つなんて。


帰ろうか。


そう思ったとき。


——カタン。


線路の向こうで音がした。


顔を上げる。


海側のトンネルの奥に、ぼんやり光が見えた。


それはゆっくり近づいてくる。


やがて、列車の輪郭が浮かび上がった。


銀色の旧型車両。


窓の明かりは暖かいオレンジ色だった。


ブレーキ音が響き、列車がホームへ滑り込む。


風が巻き起こる。


僕は立ち尽くした。


車体には見覚えのない紋章が描かれていた。


丸の中に、波と月。


そして行き先表示には、はっきりと文字が浮かんでいる。


『潮待駅』


ドアが開いた。


プシューッという空気音。


だが、降りてくる客はいない。


車内にも、人影はほとんど見えなかった。


ただ一人。


車掌らしき男が立っていた。


黒い制服。古い制帽。懐中時計。


年齢の分からない男だった。


三十代にも、六十代にも見える。


男は僕を見ると、静かに言った。


「切符を」


声は妙に澄んでいた。


僕は無意識に、ポケットの硬券を取り出していた。


男はそれを見る。


わずかに目を細めた。


「お待ちしておりました」


背筋に寒気が走る。


「……何なんですか、この列車」


男は答えなかった。


代わりに、海の方を見た。


「間もなく発車いたします」


その瞬間。


ホームの時計が、零時を指した。


カン、と音が鳴る。


風が止む。


世界から音が消えたみたいだった。


僕はホームを見渡した。


無人駅。


静かな海。


満月。


なのに。


なぜか分かった。


ここで乗らなければ、きっと一生後悔する。


僕はゆっくり列車へ足を踏み入れた。


車内は、古い木の匂いがした。


ボックス席。


白熱灯。


天井の扇風機。


昭和そのものの空気。


ドアが閉まる。


その瞬間。


窓の外の景色が、揺らいだ。


ホームの灯りが滲む。


夜の町が溶ける。


耳鳴りのような音が響き、列車がゆっくり動き始めた。


ガタン。


ゴトン。


ガタン。


ゴトン。


僕は窓の外を見た。


そこにあったはずのシャッター街が消えていた。


代わりに。


明るいネオンが並んでいた。


人が歩いている。


笑い声がする。


魚屋の看板。


映画館。


提灯。


走り回る子どもたち。


駅前には、見たこともないほど人がいた。


活気に満ちた、昔の汐浦の町。


列車はゆっくり停車する。


ホームの駅名標が見えた。


『汐浦』


ただし、その下には小さくこう書かれていた。


――昭和三十九年。


僕は息を呑んだ。


そのとき。


向かいの席から、声がした。


「やっぱり来た」


振り向く。


そこには、一人の少女が座っていた。


白いワンピース。


肩までの黒髪。


十五、六歳くらいだろうか。


彼女は僕を見て、懐かしそうに笑った。


「遅かったね、遼くん」


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