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潮待ちの駅、最後の夏  作者: ぴよ団長
第1章 帰郷と潮待駅発見

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五十年分の手紙

五十年。


その言葉が、胸の奥へ重く沈んだ。


紗江は、ずっと待っていた。


幼い頃の、たった一つの約束を。


僕は坂道の途中で立ち尽くした。


瀬戸内の朝は静かだった。


海は凪ぎ、港には白い光が満ちている。


こんな穏やかな景色の中で、誰かが五十年も待ち続けていたなんて、信じられなかった。


「……なんで」


掠れた声が出る。


「なんでそこまで」


澪は少し考えてから答えた。


「紗江、寂しがりじゃったけぇ」


風が吹く。


商店街の軒先で風鈴が鳴った。


「でも一回好きになった人のこと、ずっと大事にする子じゃった」


その言葉に、胸がざわつく。


“好き”。


子どもの頃の約束だ。


恋なんて呼べるようなものじゃない。


なのに。


紗江は待っていた。


僕は何も知らず、東京で擦り減っていた。


突然、強い自己嫌悪が押し寄せる。


「最低だな、僕」


澪が足を止める。


「なんで?」


「忘れてた」


喉が痛い。


「約束したのに。ずっと待ってたのに」


澪は静かに僕を見る。


「忘れたんじゃないよ」


「え?」


「忘れさせられたん」


僕は眉をひそめた。


澪は海を見たまま言う。


「潮待駅の記憶はね、そのまま持っとったら生きていけん人もおるんよ」


静かな声だった。


「だから少しずつ薄れる」


思い出せなくなる。


夢みたいに。


確かに、僕の中の潮待駅は、長い間“変な夢”として埋もれていた。


でも完全には消えなかった。


だから列車を見た瞬間、胸が騒いだのだ。


澪は小さく笑う。


「遼くん、子どもの頃ずっと紗江の話しとったんよ」


僕は驚いて顔を上げる。


「僕が?」


「うん」


澪は懐かしそうに目を細めた。


「『大きくなったら迎えに行く』って」


胸が痛む。


そんなことを、本当に言っていたのか。


言っていた。


思い出せる。


白いワンピースの少女が、ホームで手を振っていた。


幼い僕は泣きながら叫んでいた。


——また来るけぇ!


約束。


あれは、ただの子どもの言葉じゃなかった。


僕はゆっくり息を吐いた。


「……会わないと」


澪は少しだけ寂しそうに笑う。


「そう言うと思った」


二人は再び歩き出した。


坂の上に、小さな神社が見える。


海を見下ろす高台にある、古い神社だった。


僕はふと足を止める。


見覚えがある。


石段。


鳥居。


夏祭りの提灯。


ここにも来たことがある。


「潮見神社……」


澪が驚いた顔をする。


「覚えとるん?」


頭痛と一緒に、記憶が蘇る。


幼い僕。


紗江。


そして若い澪。


三人で石段を登っていた。


「ここで、花火見た」


澪が息を呑む。


「ほんまに思い出しとる……」


僕は石段を見上げた。


胸騒ぎがした。


「行こう」


境内には、古い楠が立っていた。


蝉が鳴いている。


朝の光が葉の隙間から差し込んでいた。


そして。


本殿の横に、小さな郵便受けのような木箱がある。


僕は近づいた。


箱には古い文字が刻まれている。


『潮待文庫』


澪が小さく呟く。


「まだ残っとったんじゃ……」


「何これ」


「紗江が作ったんよ」


澪は懐かしそうに木箱を撫でた。


「誰にも言えんことを書く場所」


僕はそっと蓋を開けた。


中には大量の封筒が入っていた。


古いもの。


新しいもの。


色褪せた便箋。


僕は一通を手に取る。


表にはこう書かれていた。


『遼くんへ』


心臓が止まりそうになった。


震える手で封を開く。


中の文字は丸っこく、少し幼い。


『こんどはラムネのみたい』


日付は、昭和四十年。


次の手紙。


『今日は来んかったね』


昭和四十一年。


次。


『東京ってどんなとこ?』


昭和四十五年。


次。


『遼くん、まだ覚えとる?』


昭和五十年。


次。


『うちは、まだ待っとるよ』


昭和五十八年。


次。


『もう、おじいちゃんになっとるかな』


平成十二年。


僕は息ができなくなった。


箱の中には、何十年分もの手紙が詰まっていた。


全部、僕宛てだった。


澪が静かに言う。


「紗江ね、毎年書いとったんよ」


声が震えていた。


「いつか遼くんが戻ってきた時のために」


僕は手紙を握りしめた。


涙が出そうになる。


五十年。


待ち続けた時間。


その重さが、一気に胸へ押し寄せる。


そのときだった。


一番下に、まだ新しい封筒が見えた。


令和の日付。


僕は凍りつく。


どうして。


紗江は昭和で死んだはずなのに。


震える手で最後の手紙を開く。


そこには、たった一行だけ書かれていた。


『次の満月で、うちは消えるよ』


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