エンド3 バイト先の同僚
「もうちょっと、ロマンチックに言ってほしいんですけど」
好きだと伝えたら、そんな返事が来た。
駅ビルを出たところだった。
約束していたパスタの店の帰り。
食事を終え、少し歩いてから、俺なりに覚悟を決めて言ったつもりだった。
「……今の、なかったことになんの?」
「ならないけど」
彼女は鞄の持ち手を肩へかけ直した。
「一応、こういうの、ちゃんと聞いときたいじゃん」
「何て言えばいいんだよ」
「そこは作家先生にお任せします」
口元が、もう笑っていた。
「注文多いな」
「期待してるんで」
駅前の広場には、まだ人がいた。
街路樹の下まで移動すると、彼女もついてくる。
俺は鞄をベンチへ置いた。
「何すんの」
「ロマンチックにすんだよ」
片膝をつく。
彼女の肩が跳ねた。
「ちょ、先輩」
手を差し出す。
「どうか、俺と――」
そこで止めた。
彼女は口元を手で覆っていた。
目が細くなって、肩が小刻みに震えている。
明らかに笑っていた。
「……やっぱやめるわ」
立ち上がろうとすると、袖を掴まれた。
「え! うそうそ、ごめんなさい」
「お前がやれって言ったんだろ」
「片膝つくとは思わないじゃん」
「そういう注文かと思うだろ」
「ごめんって。今度は笑わない」
まだ少し笑っていた。
立ち上がり、膝を払う。
彼女は袖を離さなかった。
「……先輩」
「何」
「続き」
その声だけ、少し小さかった。
俺は一度息を吐いた。
「ほんとに好きなんだよ」
彼女の口元から、笑みが消えた。
「困ったときだけ話聞いてほしいとか、そういうことじゃなくて。何もなくても会いたいし、お前が何してるか気になる」
袖を掴む指が、少し緩んだ。
「相談なしで、また出かけたい」
彼女はこちらを見たまま、黙っていた。
街路樹の葉が鳴る。
遠くで信号の音がした。
「……私も好きです」
今度は、はっきり聞こえた。
頬が赤かった。
言い終えると、目が合っていることに耐えられなくなったように、下を向く。
「こういうの、照れる」
「お前がロマンチックにしろって」
「今その話しなくていいから」
袖から手が離れた。
代わりに、指先が俺の手へ触れる。
「……あと」
「うん」
「別に、困ったときも話していいけど」
手を握ると、彼女も握り返した。
「彼女なんで」
言ってから、また顔を赤くした。
*
幼馴染が店へ来たのは、報告した二日後だった。
ちょうど客足が途切れた時間で、俺はレジにいた。
彼女は飲料の棚で補充をしていた。
自動ドアが開く。
「……おう」
「いた」
幼馴染は真っ直ぐこちらへ来た。
何も持っていない。
アイスのケースにも、飲み物の棚にも寄らなかった。
「今日、何時まで?」
「八時」
「終わったら、ちょっと時間作って」
返事をする前に、隣で足音がした。
「先輩、これ――」
納品書を持った彼女が、途中で言葉を切る。
幼馴染がそちらを見た。
二人とも、一度だけ会釈した。
数秒、何も聞こえなかった。
「この子と付き合うの?」
幼馴染が俺を見る。
「……うん」
彼女が納品書をカウンターへ置いた。
「もう付き合ってますけど」
「知ってる。聞いたから」
「じゃあ、確認いらなくないですか」
まずい、と思った。
「おい――」
「せんぱーい」
彼女がこちらを向く。
「この人、口悪いんだけど」
「お前もだろ」
「私には優しくしてよ」
言いながら、カウンターの内側へ入ってきた。
肘に、するりと腕が絡む。
幼馴染の顔が変わった。
ほんの一瞬だった。
眉が寄り、唇の端が強張った。
それから、俺の顔へ視線を戻す。
「……バイト中でしょ」
「そうだな」
そっと腕を外す。
彼女は抵抗しなかった。
ただ、隣からは離れなかった。
「何か、話あったんだろ」
幼馴染へ聞くと、頷いた。
「うん。だから、終わってから」
「バイト終わったらデートなんで」
隣から返事が来た。
幼馴染は彼女を見た。
「本人に聞いてるんだけど」
「私も本人です。約束した相手だから」
彼女の指が、カウンターの下で俺の袖に触れた。
さっき腕を組んできたときとは違って、見えないところだった。
「……今日は約束してる」
俺が言うと、幼馴染は少し黙った。
「そっか」
「でも、話は聞きたい。明日の帰りじゃ駄目か」
彼女の指が止まる。
幼馴染は俺を見た。
「二人で?」
「うん」
「わかった」
短く頷いた。
それから鞄を持ち直し、隣へ目を向ける。
「じゃあ、今日はどうぞ」
「はい。どうも」
どちらも笑っていなかった。
自動ドアが閉まったあとも、しばらく二人とも動かなかった。
「……腕、外された」
彼女が小さく言った。
「仕事中だからな」
「うん」
袖に触れていた指が離れる。
「明日、話してくるの」
「話さないわけにいかないだろ」
「……そうだね」
彼女は納品書を取った。
端が少し折れていたのを、指で伸ばす。
「今日のデートは、ちゃんと私といてね」
「いるよ」
「携帯ばっか見ないでね」
「見ないって」
ようやく、こちらを見た。
「なら、いいです」
店の奥から台車の音がした。
店長が顔を出して、俺たちを一度見た。
何も聞かず、空になった段ボールだけを持って戻っていった。
*
「先輩って、女たらしですね」
文芸部の後輩は、眼鏡を直してそう言った。
俺は返事に詰まった。
さっき、付き合うことになったと伝えたばかりだった。
彼女は少し驚いた顔をした。
それから、そうですか、と頷いた。
今はもう、本を開いている。
「……否定しないんですね」
「いや、そういうつもりじゃ」
「知ってます」
ページが一枚めくられた。
「そういうつもりじゃないことは、よく知ってます」
いつもの隣の席だった。
けれど、彼女は椅子をこちらへ寄せなかった。
机の上には自分の本だけがあって、付箋もノートも出ていない。
「ごめん」
「何についてですか」
顔が上がる。
怒鳴られるより、答えるのが難しかった。
「期待、させたこととか」
「……そうですね」
少し考えてから、頷いた。
「そこは、謝ってほしいです」
「ごめん」
彼女は俺を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「わかりました」
本へ視線を戻した。
でも、今度はページをめくらなかった。
廊下を誰かが通る。
足音が遠ざかるまで、二人とも黙っていた。
「先輩」
「うん」
「私も、同じところでバイトしてもいいですか?」
顔を上げた。
彼女は真面目な顔をしていた。
「……やめてくれ」
「どうしてですか」
「いや、その」
「募集、してますよね。入口に貼ってありました」
「見たの?」
「はい」
いつ見たのか、聞けなかった。
彼女は本の上で両手を重ねた。
「私、物覚えは悪くないと思います。時間も、部活のない日なら空いてますし」
「そういう問題じゃなくて」
「じゃあ、どういう問題ですか」
答えられずにいると、彼女の口元がほんの少し緩んだ。
けれど、すぐに戻った。
「……言ってみただけです」
視線が落ちる。
「そんなに困った顔、しなくてもいいじゃないですか」
「悪い」
「また謝る」
今度は、少しだけいつもの声だった。
彼女は本を持ち上げた。
その陰に、顔が半分隠れる。
「バイトしなくても、水曜日には会えるので」
俺は彼女を見た。
「……来ますよね」
「うん」
「そうですか」
眼鏡の奥の目が、ようやく本へ戻った。
少しして、ページがめくられる。
俺も鞄から本を出した。
隣の席は空いていなかった。
だからこそ、どう座っていればいいのか、前よりずっと難しかった。
11/1(日)17時ごろ、おまけエンド投稿予定です。




