おまけエンド 担当編集
「わ、私?」
担当編集は、自分を指さした。
原稿を確認するときより、ずっと真剣な顔だった。
「はい」
「そりゃ君、おかしいよ」
「僕は本気ですけど」
彼女は一度、深く息を吐いた。
テーブルの上で両手を組み、こちらへ身を乗り出す。
「はあ。あのねえ。ドラクエ5で言うと、ビアンカ、フローラ、デボラの三択で、ルドマンを頑なに選ぶようなものなのよ、これ」
「本気で好きです」
「説明、聞いてた?」
「聞いてました」
「私、自分をルドマンにしてまで説明したんだけど」
それでも目を逸らさずにいると、彼女のほうが先に視線を落とした。
「……ちょっと、その目やめてよ」
初めて見る反応だった。
いつもなら、俺が何か言い返しても、楽しそうに笑っている。
今はカップの持ち手に触れたり、離したりしていた。
「君ね、今、いろいろあって混乱してるんじゃない?」
「考えました」
「相談に乗ってくれる相手だから、よく見えてるだけかもしれないよ」
「相談してないときも、会いたかったです」
彼女の指が止まった。
「原稿が通ったら、褒めてもらいたいとは思います。でも最近は、それだけじゃなくて。打ち合わせが終わっても、もう少し話したくて」
「……それは、担当としては嬉しいけど」
「担当じゃなくなっても、会いたいです」
彼女は黙った。
しばらくして、椅子の背にもたれる。
手で口元を隠し、窓のほうを向いた。
「困ったなあ」
「駄目ですか」
「そういう聞き方しないで」
「じゃあ、どう聞けば」
「そこを私に直させないの」
少しだけ、いつもの声だった。
俺が黙ると、彼女も黙った。
ファミレスの店員が空いた皿を下げに来た。
彼女は普段より丁寧に礼を言い、店員が去ってから、小さく息を吐く。
「……まず、仕事の話と分けましょう」
「はい」
「そのうえで。今度、打ち合わせのない日に、一度出かける」
顔を上げた。
「それって」
「一度ね」
「はい」
「原稿の相談は禁止」
「はい」
「あと、その嬉しそうな顔、少し抑えて」
「無理です」
彼女は額に手を当てた。
指の隙間から見えた耳が、赤かった。
*
一度出かけて、それだけでは終わらなかった。
仕事の話をしない彼女は、思ったよりよく笑った。
映画を見たあとには感想が長くなり、食事の店選びでは少し迷い、俺が払うと言うと、今日は経費じゃないから、と妙に照れた顔をした。
三度目に会った帰り、手を繋いでもいいかと聞いた。
「……いちいち確認すると、こっちも照れるんだけど」
そう言いながら、手は出してくれた。
付き合うことになった、と確かめたのは、俺のほうだった。
「そういうつもりで、今日も来たんですけど」
彼女は俺を見ずに言った。
「今、すごく恥ずかしいこと言わせたからね」
*
「聞いてないんだけど」
幼馴染が言った。
「私も、初めて伺いました」
文芸部の後輩が続けた。
「……相談、乗ったんですけどねー。私」
バイトの後輩は、ストローの袋を細く折っていた。
四人掛けの席に、椅子を一つ追加してもらっていた。
俺の隣には、担当編集。
向かいには、三人。
紹介したい人がいると伝えたときから、こうなる気はしていた。
「いや、だから、今話してるだろ」
「話してる内容がおかしいって言ってんの」
幼馴染がこちらを睨む。
後輩は眼鏡を直した。
「先輩、好きな人がいるか聞いたとき、何ておっしゃいました?」
「……あのときは、本当に」
「うん。先輩、だいたいいつも、そのときは本当なんですよね」
バイトの後輩が、折った袋を机へ置いた。
隣で編集さんが姿勢を正す。
「あの。皆さんが驚くのは、もっともだと思うし――」
「どういうところが好きなんですか」
後輩が聞いた。
編集さんが言葉を止める。
「え?」
「先輩の、どういうところが」
「それは、その」
いつもの打ち合わせなら、こんなところで詰まらない人だった。
三人の視線が集まる。
彼女は一度こちらを見た。
助けを求めているのが、珍しくわかった。
「俺から好きだって言ったんだよ」
「それは聞いた」
幼馴染が即答した。
「で、この人は?」
「ちょっと待って。私もちゃんと――」
バイトの後輩が、ゆっくり顔を上げた。
「先輩、帰り送ってもらったりしてたんですか」
「何回かは」
「ふーん」
その返事に、後輩の目が細くなった。
「金曜日、九時までって、おっしゃってましたよね」
「あれは本当に打ち合わせだから」
「ほら、先輩じゃなくて、そっちの方に聞いてるの」
幼馴染に言われ、口を閉じる。
隣から、小さな声がした。
「……ほらね」
編集さんがこちらを見ていた。
「言ったでしょう。大変なことになるって」
困った顔だった。
この人まで困らせているのかと思って、俺は少し姿勢を正した。
「ごめん」
三人がこちらを向く。
「でも、俺、この人のこと本気で好きだから」
隣が静かになった。
「結婚したいと思ってる」
テーブルの下で、膝を叩かれた。
編集さんを見る。
「君、それは今初めて聞いたんだけど」
「今言ったので」
「そういう問題じゃなくて」
声は落ち着いていた。
頬は、全然落ち着いていなかった。
幼馴染が目を閉じた。
「……あんたさあ」
「先輩」
後輩の声が、少し低い。
「そういうこと、私たちの前で言わなくてもよくないですか」
「ほんとそれ」
バイトの後輩が頷いた。
俺は口を閉じた。
隣では、編集さんも黙っている。
カップを持ち上げたが、飲まずに戻した。
結婚したい。
その一言が、まだ耳に残っていた。
この子、本気で私のことが好きなんだ。
さっきまで三人への説明でいっぱいだった頭に、今さらそれが入ってくる。
困る。
場所も、タイミングも、何もかもよくない。
嬉しい顔をしたら、向かいの三人に見られる。
そう思って口元を引き締めたところで、バイトの後輩と目が合った。
「……ちょっと嬉しそうなの、やめてもらっていいですか」
「してない」
「してますよ」
文芸部の後輩が静かに言った。
「すごく」
幼馴染が、長いため息をついた。
彼女はとうとうカップを持ち直し、今度は飲んだ。
その横で俺が手を伸ばす。
テーブルの下で指先が触れた瞬間、彼女は小さくこちらを睨んだ。
でも、その手は握り返してきた。




