乾杯と約束のあいだ
今朝は本当に慌ただしかった。
いろいろなことが起きたし、まだ何か起こりそうな予感もしている。
それでも、午前の残りの時間はできるだけ頭を空にして、リリヤとゆっくり歩くことにした。
小川のほとりからのんびり歩き続け、ようやく村に戻る。
あちこちで扉や窓の修理が行われていた。
原因は……まあ、言うまでもない。
幸い、直接俺たちを責める空気ではない。
むしろ皆、何が起きたのか分かっていない様子だった。
あの隊長は理解していたが、あれが常識というわけではないらしい。
それは助かった。
家の前でリリヤと別れる。
彼女は名残惜しそうだったが、もう昼前だ。
俺も彼女も、帰らなければ叱られる。
そういえば、セリンはさっきまで一緒だったのに、いつの間に消えたんだ?
本当に、あの子は現れたり消えたりするタイミングが読めない。
家へ戻りながら、頭の中で整理する。
リリヤ問題は……ひとまず形になった。
次は――家族問題だ。
歩いていると、叔父のエリクが壊れた扉を直しているのが見えた。
母と同じ髪色だが、体つきはずっとたくましく、
父の兄と言われたほうが納得できる。
手を振ると、彼も笑顔で振り返してくれた。
いい人だ。本当に世話になっている。
だが今は後回しだ。
家は静まり返っていた。
工房からも金槌の音が聞こえない。
台所へ入る。
「……母さん、ただいま」
「そう」
……見向きもしない。
本気で怒っている。
今は触れないほうがいい。
食卓で話せるといいが……最近、俺の予想はことごとく外れている。
部屋へ上がり、顔を洗い、ベッドに横になる。
「……なんて面倒な世界を作ったんだ、俺は」
しかも最悪なのは、魔法体系の基礎は完璧に理解していることだ。
あれは一番楽しかった部分だった。
だが――
エリアスは魔法不適性。
つまり俺は、ほぼ詰んでいる。
物語中盤の記憶はほとんどない。
濡れた紙に描いた絵が溶けていくみたいに、
断片しか残っていない。
例えば――
「夜の淑女の涙」。
黄昏の洞窟で手に入れた重要な神器。
……洞窟、どこだよ。
幸い、大きな転換点は覚えている。
天空城の陥落などは強烈だった。
そこまでは辿り着ける。
ただし――
自分が犠牲にならない道を選べればの話だ。
……そうだ。
これは世界を救うためだ。
決して、
自分の妄想の世界で冒険したいからじゃない。
やがて昼の呼び声が聞こえた。
食卓に行くと、三人分の皿が並んでいる。
珍しい。
父が昼食を共にすることは、ここへ来てから一度もなかった。
確認する前に、床が震えた。
一度。
二度。
三度。
徐々に強くなる。
裏口から現れたのは――
まるで巨大な両開き冷蔵庫。
いや、昔聞いた“北の巨人”の話に出てくるそれに近い。
テオ。俺の父。
その歩みは脅しではない。
単純に体格が規格外なだけだ。
筋肉は服からはみ出しそうで、
特注品でなければ破けるだろう。
長い作業台の端に座る。
母が料理を並べる。
野菜と獣肉の煮込み、山ほどのパン、金属製のジョッキにビール。
鍛冶屋の家で金属器が揃っていない、なんてことはないらしい。
母が下がると、父が言った。
「少し、話がある」
母は一瞬分からなかったが、
顔をしかめ、水を汲みに出ていった。
二人きり。
父は煮込みを一口。
俺も真似るが――熱い。
舌が死ぬかと思った。
「本気で行きたいなら、言えばよかった」
……?
「デリクも俺も、村長もエリクも、
お前たちをヴィレデンの件に巻き込まないよう手を回していた」
予想外だ。
「母さんの気持ちは分かる。
だが、お前はもう男だ。
自分の選択の結果を理解しているはずだ」
……
「一年か二年もすれば、バルトロメウの娘と結婚していた」
眉が動く。
「驚くことじゃない」
「……分かってる」
「母さんから聞いた時は驚いた。
村長の計画を捨てたと。
だが一番残念だったのは、
俺や母さんに何も言わなかったことだ」
父は一度もこちらを見ない。
ただ煮込みを見つめている。
疲れと、少しの寂しさが滲んでいる。
「もう少し若ければ、背中を叩き直していた。
だが今は、男として扱う。
お前がそういう男だと信じたい」
俺も、そうありたい。
「だから最後に聞く」
初めて視線が合う。
「正直に言え。何が心変わりの理由だ」
息を吸う。
「……昨日、祭りのあと、リリヤに婚約を申し込みました。
だから、将来を確実にしたかった」
父の目がわずかに開く。
「なるほど……」
再び視線を逸らす。
「なら、バルトロメウと話をつけよう。
デリクにも頼み、王都まで送らせる」
胸が軽くなる。
大きな風船が一気にしぼんだみたいだ。
「ありがとう、父さん。本当に」
その瞬間、母が戻る。
頭に水桶を載せ、無言で席につく。
怒りがパンを裂く音に表れている。
夜。
両親の会話が部屋まで聞こえる。
最終的に母は飲み込んだらしい。
しばらくは、うまくいくだろう。
だが、母にとって俺は一人息子だ。
一度、知らぬ間に失い、
今度は自覚した上で失う。
そしてその先、どうなるか分からない。
……母の頭の中は、きっと嵐だ。




