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粉挽き小屋の丘の裏側で

アリヴィル老人が、まったく別の少年を指さしながら叫んだ。

「行け、ライレン! 父さん譲りの力を見せてみろ!」


見ると、レモンの木の丘を泥だらけで下ってくるライレンが、苦笑いを浮かべていた。


エリンの願いとあれば、村長であるポリニオロ──つまりエリンの父は、ただ許可を出すだけでなく、収穫祭の開幕行事にまで格上げしてしまったらしい。


この数日、正直ヘトヘトになるほど働かされたけれど、今だけは少し肩の力を抜ける気がした。


「見て見て! セリンが一番だよ!」


隣でリリヤが、妹がほかの子どもたちを抜かすたびに、まるで自分が走っているみたいに身を乗り出している。

その後ろにはカエール。背が高いせいでバランスが悪く、結んでいた髪は泥で頰に張りつき、何とも言えない姿になっている。

エリン、そして今まで存在すら知らなかった何人かの子どもたちも続く。

参加自由が条件だったらしく、どんな子でも飛び入り参加できたらしい。


昨日のことを思い返しながら、そっとリリヤに視線を向けた。彼女は昨日も今日も特に変わった様子はなく、こうして自然に隣にいる。


「ライレン、ビリだな。あとでケーキ持ってってやるか」


「子ども扱いされたって怒るよ、たぶん。ふふふ」


「だろうな、ははは」


頭の中の雑音が静かになる。


夜に考えていた。

おかしいのはリリヤだけじゃなくて、もしかして“みんな”なのではないか、と。


村のキャラで一番掘り下げていたのはリリヤ。

そのせいで、他の連中の性格が変わっていても違和感に気づけなかったのかもしれない。

タレン、エリン、セリン……もう、誰をどう書いたか曖昧だ。

自分で作ったはずのものを自分で覚えていない──えらく残酷な話だ。


とはいえ、確かめようがない。

ヴェラかリアムに会えたら、もう少し何か分かるかもしれない。


お、そろそろゴールだ。


「うわっ! あ、あああっ!」


ん?


「えっ!?」


「こけたぞー!」


ライレンが袋につまずき、丘を転がり落ち始めた。


「危ない!」


「くそっ、つかまえられねぇ!」


カエールが手を伸ばすが届かず、ライレンは他の子どもたちの横を高速で転がり抜け、泥の中に尻もちをついたエリンまで巻き込んだ。


「な、何があったの!?」


ゴール目前だったセリンは悲鳴につられて振り返り、その直後、弾丸のように転がってきたライレンが大人たちの即席壁に受け止められるのを呆然と見つめた。


数秒固まったあと、セリンは「一位はわたしのものーっ!」と叫びながら再び全力疾走していった。


……なるほど。これが“袋レースが行われた”という一文の行間か。


「何してるの? 行くよ!」


気づけばリリヤに手を引っ張られ、ゴール地点へと走らされていた。


セリンは二位でむくれ、カエールは全力で慰め、泥まみれのライレンは涙目で、それでも泣いてはいなかった。

エリンが泥を払ってあげている。


「大丈夫だったか!?」


「タレン? どこ行ってたの?」


「レース始まった直後に親父に呼ばれてさ! 一体何が!?」


「ちょっとした事故よ。でももう平気」


リリヤがタレンの頭を軽く撫で、落ち着かせる。


しばらくすると、子どもたちの親も駆けつけてきた。忙しい収穫期だけに、見に来られたのは数名と年寄りのアリヴィルくらいだろう。


その混乱で、とんでもない事実が判明した。

ライレンはライレンネ。

カエールはカエリノ。

エリンはエリニヴェラ。

セリンに至っては、本名ミカエラ。


必死の母親たちが本名で叫んでいたおかげで、全部バレた。


……神よ。いい感じに誤魔化してくれてありがとう。俺の手抜きネーミング、危うく崩壊するところだった。


他に誰が本名違うんだろう。

さすがに聞き回る勇気はない。

リリヤあたりが「実はね!」とか言い始めたら、その瞬間にこの身体を返上して別の転生者に譲りたくなる。


今日はもう深く考えないと決めた。

少なくとも今日だけは“自然体”。

カウントダウンが迫っている。俺がいなくなったあと、みんなに変な思いをさせたくない。


エリアスの思い出くらい、きれいなまま残したい。


そう決めたら、今日は本当に楽しかった。

仲間と食べて、舞台の音楽をリリヤと聞いて、母さんと散歩して、父さんと叔父さんと“男の話”をして。

屋台を回り、また食べて、また遊んで……気付けばもう夕暮れ。

祭りの最後の出し物をみんなで眺めていた。


最後の演目は、子どもたちの創作舞。

演出は、芸術表現に取りつかれた若き笛吹き・タヴィク。村から一歩も出たことがないくせに、やたらこだわりが強い。


「大地の物語を、身体で語ろう!」


熱のこもった宣言のあと、


「種になり、木になり、雨になり、太陽になる! すべてが巡る! 一つの踊り! 一つの祈り! 一つの収穫だ!」


と、さらに意味不明な説明が続く。


踊りが始まる。

タヴィクのロジックに従った謎の振り付けで、子どもたちは種になり植物になり、ぐるぐる動く。

カエールは“肥沃な土くれ”役らしく、地面に倒れて微動だにしない。

本気すぎて、後ろの奥さんが「気絶してるの?」とひそひそ話していた。


「思ったより可愛かったじゃない」


リリヤが微笑む。


「危なかったぞ。さっきライレン、三つは“種”を踏みそうだった。カエール踏んでたら泣く」


「確かに。あとでタヴィクに言っとこ」


笑いながら言う。


幸い、演目は無事終了。

広場は、誇らしげな親たちでごった返した。


「……終わった、か」


ぽつりと呟く。


「まだだよ」


振り向くと、リリヤが体を少し傾け、後ろで手を組んでこちらを見つめていた。


「約束、覚えてるでしょ?」


柔らかい笑みと共に言われ、胸が跳ねた。


忘れるわけない。

忘れたいけど。


「も、もちろん。祭りのことを言ったんだ」


「よかったぁ! 本当に忘れたかと思った! あはは!」


「はは……」


……しん、とする。


「じゃあ、行こっか」


「う、うん。行こう」


村を抜け、粉雪の前触れのような冷え込みの中、風車の丘へ向かう。

石が多いというハーレンの話は本当で、腰掛けられる岩がいくつもあった。

俺たちは並んで腰を下ろし、夕焼けの景色を眺める。


長い沈黙のあと──


「ねえ、エリアス……」


短かった。


「父の言ってた“あの提案”、覚えてる?」


振り向くと、真剣すぎる表情。

心臓が跳ねた。


「も、もちろん覚えてるけど……どうして?」


全然覚えていないけど!


「ゆっくり考えてくれた? どう思ったの?」


また始まった。

俺の中の“選択肢システム”が立ち上がる。


A)逃げろ。シンドラに行け。ワインが美味いらしい。

B)正直に忘れたと言え。

C)誤魔化しながら情報を引き出す。

D)気絶したふり。前にも倒れたんだしバレない。


そして俺は──


「考えたよ。すごくいい話だと思った。返事が遅くなってごめん」


もっとも予想外の選択肢を選んだ。


……まあ、商人の家の話なら大したことない。

どうせこの村には残れないし、喜ばせておけば丸く収まる──そう思ったのだが。


リリヤの顔が弾けた。

驚きと歓喜が同時に溢れたような顔。


肩を掴まれた。


「本気? 本気なんだよね? また誤魔化してないよね!?」


また?


「本気だってば!」


涙を浮かべて喜び、次の瞬間、ぎゅううっと抱きしめられた。


「やっと……やっとだよ……」


泣いてる……!?

これは、まずい。


夜の冷気なんてもう感じなかった。

彼女の体温ばかりが伝わる。


まずい。

まずいぞ。


ほどなく腕が離れた。

涙を拭い、呼吸を整えたリリヤに声をかける。


「もう大丈夫?」


「うん……ごめんね。ちょっと張り切りすぎちゃった」


「謝らなくていいよ」


謝りたいのはこっちだ。


「本当に嬉しかったの」


「そう、なんだ……」


ここまで来て、ようやく悟る。

これ、どう考えても──


結婚の話だ。


間違いない。

絶対そうだ。

俺のクリエイターの勘が叫んでる。


「だったらさ……ちゃんとしないと」


「……え?」


周りを見渡し、草むらから細い草をちぎる。

指先で編むように丸め、小さな輪を作り、彼女の前で跪く。


「リリヤ。俺と……結婚してくれますか?」


沈黙。


……返事はない。

ただ、真っ赤になっていくリリヤ。

湯気でも出てるんじゃないかってくらい。


と思ったら──


ばたん!


気絶した。


頭を打つ前に抱き留めたが、問題はここからだ。


どうすればいいんだ!?

足を上げる?

いや、それ危ない気がする!


何で応急処置の勉強してなかったんだ俺は!?


……とにかく家へ連れて帰ろう。

それが一番安全だ。


そう判断したものの──村に戻る途中、全員に見つかった。

全員が心配して質問攻め。

俺は即興で言い訳を積み上げたが、誰も納得していない顔だった。


そして家に着いて、すべてが分かった。


あの“提案”とは、

──リリヤ一家が王都へ移住する際、俺に店で働かないかというお誘いであった。


恋愛でも告白でも求婚でもなかった。


完全に俺の早とちり。


頼む、衛兵たち。

誰でもいいから俺を連行してくれ。

リリヤが目を覚ます前に……!

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