甘い予感
また今日も、トンカンと釘を打つ音で一日が始まった。
テオはいつも働き者だが、祭りが近いせいで、さらに気合が入っているようだ。
時々、失敗したときの小さな悪態まで聞こえてくる。
……正直、この日常に慣れたくはない。長く続くものじゃないと分かっているから。
まあ、それでもエリアスが送っていた朝の習慣くらいは続けよう。
ベッドから起き上がり、扉のそばの桶で顔を洗い、擦り切れたズボンに白いリネンのシャツ、そしてテオのお下がりの革のベストを着て階下へ。
これが、俺が書いた“エリアスの朝”だった。
台所に入ると、すでに食卓はいっぱい。
パン、ケーキ、タルト……どれも手をつけられた跡がある。どうやら俺が来る前に食べ始めていたらしい。
「座って、早く食べちゃいなさい。まだ温かいうちよ。」
「うん、いただきます。」
今日のミアは、少しだけ穏やかだ。
何から食べようか迷うほど色々ある。
そんな俺にミアが温かいお茶を注いでくれた。
またオレンジのケーキを一切れ手に取り、周りを見回す。
台所は大忙しだ。ミアと手伝いの子が、生地を仕込んだり、焼きあがったものを運んだり、食器を洗ったり……。
収穫祭は明日。村長が大量の注文を出したせいで、祭り中はずっと食卓を満たしておくつもりらしい。
いや、俺が書いた設定なんだけど。
村長の財布に同情する気はまったくない。金は腐るほど持っているし。
……でも、この世界の作物について書いた覚えはない。
収穫は豊かだったのか?
そもそも何を育ててるんだ?
粉挽き小屋があるんだから、穀物だろうけど……この気候で育つのか?
昨日は確かに麦の束を運んだ。あれだけあったし……。
……もっと調べて書けばよかったな。
「エリアス、聞いてる?」
「うわっ、ごめん! ちょっと考え事してて。」
「まったくもう……。これをボルジェ家に届けてくれる?」
ミアが布で覆われた籠を見せてくる。
……これ、知らない。書いた覚えがない。
というか、誰だボルジェ家って。
まあ歩きながら探せばいいか。
「わかった、すぐ行くよ。」
「助かるわ。でもあまり遅くならないでね。」
パンをもう一口食べ、家を出る。
ボルジェ家を探す方法が分からず立ち止まっていると、突然背後から声がした。
「よう、エリアス! おはよう! 何してんだ?」
タレンだ。
「おはよう。ボルジェ家にこれを届けるんだ。」
「へぇ? 何入ってんだ?」
彼は中を覗こうとする。
「タルトと……甘いパンだよ。」
「マジ? ならリリヤの注文だろ。あいつ甘いの好きだしな! ま、頑張れよ。俺はレースの準備してくる! エリンが村長の許可もらったってさ!」
「ほんと? 気をつけてね。」
「じゃあな! 場所は分かってんだろ?」
……分かってないけどね。
確かリリヤの家はウチの近く……だった気がするが、具体的には覚えていない。
死亡証明書を持った使者が家を間違えてリリヤの家を先に訪ねる、なんてシーンは書いたけど……あれじゃ位置情報として弱すぎる。
「もっと簡単な方法は……」
「カゴを届ける方法?」
ひっ。
いつの間にか横にセリンが立っていた。
「い、いつから?」
「タレンを手伝うために後ろを歩いてたら、届け物がうちって聞こえたから。」
「え……あ、そうか。君の家なんだよね、これ。」
ずっと見てたのかこの子……。
「じゃ、行こっか。どうせ食べ物でしょ? お姉ちゃんかママのだと思うし。」
……救われた、のか?
歩きながら、この“イベント”の意図を考える。
やけに気になる。俺が適当に考えて書いた部分なのに、この世界では全部“理由”があるように感じてしまう。
到着した家は大きくて綺麗で、村で一番と言っていいほど立派だった。
商人一家だから当然か。
むしろ、この村に留まっている理由が気になる。
ドアが開き、リリヤが顔を出した。
「今出かけるとこ……あれ? エリアス? セリン?」
「お姉ちゃん、また甘いの頼んだの? 私の分残しといてね!」
「え、甘いの? いや、今回は違うけど……エリアス、それ持ってきたの?」
「うん。うちの母さんが届けてって。」
「ママのね。中入って、話してくる。」
セリンはタレンの手伝いに戻って行った。
俺もそのまま帰ろうとしたが、リリヤに腕を引かれた。
「ちょっとだけ……お願いがあるの。」
「うん、何?」
「祭りの最後……粉挽き小屋の丘で、会いたいの。」
……これって、まさか。
「それだけ?」
「本当は今話したかったけど……忙しそうだから、ね。」
あ、これダメなやつだ。
肩、指先、視線……全部“その雰囲気”じゃないか。
「わかった。行くよ。」
「絶対だよ。遅れないで。」
……おかしい。
俺の書いたストーリーで、エリアスとリリヤが互いに好意を伝える展開なんてなかった。
なのに、どうしてこうなる?
残酷だ。作者の俺ですら、こんなこと思いつかなかったぞ。
昨日から思っていたが、リリヤは明らかに“ズレている”。
俺の書いた彼女より積極的で……いや、魅力的になっている。
根っこの部分は同じなのに、今の彼女は“改良版”みたいだ。
……これ、もしかして。
俺をここに連れてきた存在、リリヤのファンなのか?
ヴェラが知ったら絶対怒る。
はは……。




