世界の穴
夕方がようやくやってきた。
村の広場の中心にある泉の縁に座り込み、俺は完全に力尽きていた。
今日の午前中は、ひたすら北の粉ひき小屋から家まで、小麦の束を一つずつ運ぶ作業。村を往復しまくった結果、体中が悲鳴を上げている。
この体、思っていたよりもずっと頑丈だ。エリアスは物心ついた頃から手伝いをしてきたらしく、体力はある。
……問題は、もうエリアスの中身が俺じゃないということだ。
しかもそのあと、祭りの準備の手伝いまでしたせいで、今はもう動く気力も残っていない。
さらに最悪なことに――結局、祭りが“いつ”なのかすら分からなかった。
「どのくらいで終わりそう?」と聞けば、
「祭りの日までには間に合うさ!」
で終わり。誰も肝心な日にちを教えてくれない。
そんなことを考えていると、二人の少年が俺の前に立った。
一人は短い濃茶髪に褐色の肌、細めの目つき。
もう一人は兵士みたいに短く刈り込んだ金髪の少年。
たぶん……タレンとライレン。
物語を書いた当時、彼らの設定はほぼなかったからうろ覚えだ。
実物を見ると、タレンはライレンより少し背が高く、獅子でも睨み返しそうな強気な目をしている。
ライレンは英雄譚をイメージしたはずなのに、全然そんな雰囲気はなく、むしろ近くで見ると少し気が弱そうだ。
「会議だ! 今すぐな!」
ああ、そういえば、こんなのあったな。
「今ちょっと疲れてるんだ。明日じゃダメ?」
「ダメだ!」
「無駄だよ、エリアス。」
「そうだ! もうすぐ祭りなんだぞ!!」
……だから“どのくらいすぐ”なんだよ!
あ、思い出した。もともとこのイベントは朝のシーンだったんだ。なんで変わってるんだ?
まあいい。今は情報を集めるチャンスだ。
彼らを適当に扱うわけにもいかない。この子たちは、これからエリアスがどうなるか知らない。でも、俺は知っている。
せめて後悔されないように振る舞いたい。
……できるだけ、当時の流れに沿う形で。
両手を上げて降参する。
「分かった。行こう。」
「よし! 行くぞ!」
目的地は“秘密基地”。
――いや、ジョリベルじいさんの納屋だ。
そこでは祭りのゲームを決める予定だった。
本来は、エリアスが朝食中に無理やり連れ出されるシーンだったはず。
二人と歩きながら、また“後悔”が頭をもたげてくる。
この場所、全然設定してなかった……。
ダメだ! ネガるな!
あの時の自分なりに全力で書いたんだ!
たとえ「こんな世界に送り込むなんて嫌がらせかよ」と思っても、負けるな!
ふと空を見る。
やっぱり太陽は出てこない。こんなんで作物育つのか? ……いや、俺、気候設定なんてほぼ考えてなかったな。
冷たくて湿った空気のせいで、みんな厚着だ。冬になったら地獄じゃないのか?
ごめん、ここの住民たち。本当に悪かった。
今朝、ミアが湿気のせいでパンが膨らまないって文句言ってたのも、完全に俺のせいだ。
……母さん、ごめん。
いや、俺が作ったキャラだから娘? いやいやいや! 危ねぇ危ねぇ!
よし、話を戻せ。
村の家々はどれも少し傾いている。木造も泥壁も、みんな湿気にやられているのが分かる。
ようやく納屋に到着。
中には、セリン、エリン、カエール、ハーレン、そしてリリヤが揃っていた。
……
不思議なくらい、名前がスッと出た。
本当は後で重要になる予定だった。でも展開を急ぎすぎて出番がなくなった。
名前も深く考えなかったな……本当ごめん。
もし書き直せるなら、絶対もっと良い形にしたのに。
――まさか自分がこの世界に来るとは思わなかったけど。
「よし! 全員そろったな! じゃあ始めるぞ! ライレン! お前の案から!」
「えっ? ぼ、僕? えっと……えーと……あの……袋レース……?」
「そうだ! 袋レース! どうだ皆!」
入って秒で元気に仕切り出すタレン。エネルギーがすごい。
俺は適当な場所に腰をおろして、様子を見る。
……そういえば、このシーン、エリアスはほぼ空気だったんだよな。
「賭け、しようぜ。」
カエールは長い黒髪の少年。何より背が高い。タレンより二歳年下なのに、俺よりでかい。
「お金ない……お菓子でいい?」
セリンは一番背が低く、赤いワンピースに白い飾り。茶色の髪をリボンで結んでいる。
年齢設定どうだっけ?
俺とリリヤが最年長。
次がタレンとハーレン。
そのあとがセリンとライレン。
最後がカエールとエリン。
……だった気がするけど、セリンとカエールを見ると自信なくなってきた。
ぼんやり考えていたら、隣に誰かが座った。
見なくても分かる。
「まだ体調悪そうじゃん。ミアおばさん、無理すんなって言ってたでしょ?」
「大丈夫だよ。今日は麦の束を運んだだけだし。」
「束? 何個?」
「七つ。」
「なな――!?」
悲鳴を飲み込んだせいか、セリンがこっちを睨んだ。
「もう! 手伝ってって言えばいいのに! 次は絶対言いなよ!」
「分かった。気をつけるよ。」
「おーい! 二人とも静かに! ハーレンが話すぞ!」
ハーレンは遠目からだと大人に見えるほど大柄。だが寡黙で、口を開けば皆が耳を傾ける。
「粉ひき小屋の近くの丘は石が多い。危ない。レモンの木のほうがいい。でも、汚れる。」
「それ、逆に良くない? 盛り上がるし。」
「ほんと、みんなバカ。」
エリンは不機嫌だった。地面に棒でルールを書かされていたからだ。
セリンより少し背が高く、緑のフリルがついたワンピースに、適当にまとめたお団子頭。
「で……どうなったんだ?」
「袋レース。」
「賭けは菓子類。場所はレモンの木の丘。棒くじで参加者決める。」
「棒……どこ?」
「ここにあるよ。」
リリヤはポケットから八本の棒を出した。
「印がついてるのを引いたら参加ね。」
「これ今作ったの?」
「春祭りのやつ。同じの取っておいた。」
「ああ……そうだったね。」
覚えてないけど、秋っぽいし……たぶん秋だろ。
絶対夏じゃない。たぶん。
「完璧だ! 貸せ!」
「いいってば。ここから選べばいいじゃん。」
リリヤが手を差し出す。
「参加者だけが引くんだよ。貸して。」
リリヤの表情が曇る。
「え? 私、参加しないの?」
「去年決めただろ。十五過ぎたらもうダメって。」
「そうそう。お前もう年だしな。」
“年”
その一言で、リリヤの肩がビクッと揺れた。
……ごめん、リリヤ。
そのルール、書いたの俺だ。
会議はその後すぐ終わった。
参加するのは、カエール、ライレン、エリン、セリン。
あとで気づいたが、エリンは村長の娘らしい。
なるほど、だから字が読めるのか。
さらに驚いたのは――
リリヤとセリンが姉妹だったということ。
商人の家らしく、あの“黙ってて”の目線も納得だ。
そして気づけば、村で字が読める子どもはこの三人だけ。
……そういや設定にはあったけど、本文に書いてなかったな。
危ない、また落ち込みかけた。
でも耐えた。えらい俺。
さて――俺もこの世界じゃ読み書きできない。
村の看板で分かった。
エリアスも読めないから、学ぶまでの言い訳には困らない。
今日一日村を見て回って、俺は決めた。
――この物語を、書き直す。
昔の自分ができなかった“最善の道”を歩む。
全部を後悔のまま終わらせない。
胸を張って「好きだ」と言える物語にする。
忘れ去られるような作品じゃなくて、ちゃんと向き合えるものにする。
……まあ、できる範囲で、だけど。
そういえば、祭りまであと何日――
「二日。」
え?
「え?」
「祭りまであと何日か知りたかったんでしょ? 二日だよ。」
「……」
「恥ずかしがらなくていいってば。皆に聞こうとしてたけど、聞き方分からなくて困ってたんでしょ?」
「あ――うん。バレたか。そんなに変だった?」
「全然。でもね、言ったでしょ? 困ったら言っていいんだから。特に、私にね。」
そう言って、リリヤはにっこり笑いながら先を歩いていった。
曇り空のはずなのに、さっきより明るく見えた。
……なんだ今の。




