国でいちばん強い機体
「規則違反よ」
ミアは胸の部屋から身を乗り出して、僕の手元をにらんでいた。声は小さいのに、ひとつひとつの音がとがっている。
「分かってる、でも、あと少しだけ」
「分かってるなら、やめなさい」
「この角が鋭すぎるんだ、ミアの流れはまっすぐで勢いがあるから、ここで曲がりきれなくて、光があふれてる」
ミアの眉が、ぴくりと動いた。
「……光?」
返事をするかわりに、僕は彫り刀をもう一度当てた。角の内側を、少しずつ削っていく。鋭く折れていた線を、ゆるやかな弧にする。
模型の部品の角を、ヤスリでなでて丸めるときと同じだ。削りすぎたら、もう戻せない。
最後のひと彫りを終えて、僕は腕から飛び下りた。
「やってみて、腕を上げるだけでいいから」
ミアは何か言いかけて、やめた。中庭の反対側で、試験官たちの相談が終わりかけている。
ミアが取っ手を握り直す。決まり文句を、1行も飛ばさずに唱える。
青い光が、胸から肩へ走った。
肘の手前の角を、するりと抜ける。
機体の腕が、まっすぐ上へのびた。がくんとも止まらない。肩の高さを越えて、頭の上で、ぴたりと止まった。
ミアは上げた自分の手を、ゆっくり下ろした。機体の腕も、同じ高さまで滑らかに下りてくる。
もう一度上げ、それから僕を見る。さっきまで手元に向けていた鋭い目が、少しだけ丸くなっていた。
「……あとで、ちゃんと説明してもらうから」
「うん」
「それから、規則違反なのは変わらないわよ」
「うん、それも分かってる」
ミアはふいっと前を向いた。編んだ髪が、背中で揺れた。
怒られるのは、あとで考えよう。そう思ったけれど、ミアの声が耳から離れない。
動いたら喜んでくれるはずだと、勝手に決めていたのは僕だった。
◇
乗る試験が始まった。
課題は3つ。中庭の端に立てた旗まで歩いて、戻ってくる。
地面に置かれた丸太を両手で持ち上げて、台の上にのせる。最後に、刻機の背丈ほどもある木の剣で、太い杭を打つ。
名前を呼ばれた順に、受験者が1人ずつ機体を動かしていく。
うまくいく人ばかりではなかった。歩くだけで足をもつれさせる人。
丸太を持ち上げたまま台に届かず、どすんと落としてしまう人。木の剣を振りかぶったら、そのまま後ろへ尻もちをついた人もいた。
尻もちをついた機体を見て、僕はスイレンの4歩目を思い出した。僕だって最初はああだった。
窪地で毎日、何度失敗しても練習できた。それが、ここではちゃんと差になっている。
僕の番が来た。
借りた機体は、スイレンより重たかった。肩が張っているぶん、腕を振ると体ごと持っていかれそうになる。それでも、流れを細くしぼれば、思ったところで止まってくれる。
旗まで歩いて、戻る。丸太を持ち上げて、台の真ん中にそっと置く。木の剣で杭を打つと、こん、と乾いた音がした。
派手さはない。けれど、どこもふらつかなかった。試験官の1人が、手元の紙に何か書きつけていた。
そして、ミアの番になった。
ミアの機体が1歩目を踏み出したとき、中庭の空気が変わった。
足取りに、迷いがない。まっすぐ旗まで歩いて、くるりと向きを変える。
丸太の前で膝を曲げ、両手でつかむと、重さなんてないみたいに持ち上げた。台の上に下ろしても、丸太は少しも転がらなかった。
最後に、木の剣を構える。
溝を、青い光がまっすぐに走った。肩から肘へ、肘から手首へ。角であふれることなく、一気に剣の先まで届く。
振り下ろした。
ばきん、と大きな音がして、太い杭がまっぷたつに割れた。
中庭が、しんとした。それから、受験者たちのあいだに、ざわめきが波のように広がっていった。
「なんだ、今の」
「あの子、さっきまで腕も上がってなかったよな」
胸の部屋から出てきたミアは、割れた杭をじっと見つめていた。それから、自分の両手を見た。
僕と目が合う。ミアは何も言わず、割れた杭へ目を戻した。
僕は肘の溝を見上げた。削った角は小さい。
でも、そこで散っていた光が、今は剣の先まで届いている。直したのは流れの道で、強い流れを出したのはミアだ。
そうだよ、それがミアの腕なんだ。
ミアに聞こえるように言うのは、どうも恥ずかしい。僕が胸を張ることでもないし、もう少し、割れた杭を見ていよう。
◇
全員の課題が終わると、白いひげの試験官が前に出た。
「これから手合わせに移る、名を呼ばれた者は、機体に戻れ」
呼ばれたのは、3人だった。
いちばん背の高い、16歳くらいの男の人。ミア。
そして、最後が僕だった。
周りが、またざわっとした。
中庭の奥の、大きな扉が開いた。
地面が、ずしんと鳴る。
出てきたのは、黒に近い、深い藍色の刻機だった。ほかの機体よりひとまわり大きい。
肩は張っているのに、どこか細く引きしまって見える。全身に、びっしりと紋が刻まれていた。
「コクウだ」
誰かが言った。
「ヴァルドさまの、コクウだ」
その足もとを、1人の男の人が歩いてきた。背が高く、黒い髪を短く刈っている。顔には表情らしいものがなく、受験者たちのほうをちらりと見ただけで、ひと言もしゃべらなかった。
その人がコクウの胸に乗りこむ。胸の板が閉じる。
全身の溝に、いっせいに青い光が灯った。
(光の量が、ぜんぜん違う)
ミアの機体の光が1本の川なら、コクウのそれは、網の目のように張りめぐらされた水路全部に、いっぺんに水が満ちたようだった。
最初の男の人は、3度打ち合ったところで、木の剣をはじき飛ばされた。
ミアは、もっと粘った。まっすぐで強い打ちこみを、5度、6度。
コクウはそれを全部、半歩も動かずに受け止めた。そして7度目、ミアの剣は手から離れて、地面に転がった。
それでも、中庭からは「おお」という声がもれた。
最後が、僕だ。
機体へ戻る途中で、降りてきたミアとすれ違った。肩で息をしていて、手がまだ少しふるえている。
「あの機体、どこに打っても、全部受け止められた」
ミアは、悔しそうに言った。
「うん、見てた」
「半歩も動かせなかったわ、わたしのいちばん強い打ちこみだったのに」
それから、僕のほうをちらりと見た。
「……気をつけて」
それだけ言うと、ミアは足早に試験官たちのほうへ歩いていった。
◇
リオの機体が、中庭の真ん中に立った。
向かい合うコクウは、構えらしい構えも取っていない。
木の剣を片手に下げたまま、ただそこにいる。
試験官の声が響いた。
「始め」
コクウが、消えた。
そう見えた。
次の瞬間には、もう目の前にいた。
リオは、とっさに木の剣を立てた。
がん、と重い衝撃が、取っ手を通して腕まで響く。
機体の足が、地面を削って後ろへすべった。
(速い、それに、重い)
2撃目が来る。
右から。
受ける。
腕がしびれる。
3撃目。
下から。
リオは機体を後ろへ跳ばせた。
剣の先が、胸の板をかすめていく。
相手は10歳の子どもだ。
そんなことは、コクウには少しも関係がないようだった。
子ども扱いされたくなかったはずなのに、リオは、少しくらい手加減してほしいと思った。
手加減のない打ちこみが、まっすぐリオだけを狙ってくる。
流れを細くしぼる。
かわす。
受ける。
また下がる。
4撃目。
溝の青が、ひときわ明るく、太くなった。
(受けるな)
リオは横へかわした。
剣が地面を打ち、土が跳ねる。
最初に受けた打ちこみも、光が強くなるほど衝撃が重かった。
光が細ければ剣でしのぐ。
明るく太いものは、受けずに逃げる。
5撃目。
選び分けても、下がる足は止められない。
こちらから打つすきは、どこにもなかった。
背中に、何かが当たった。
中庭の石の壁だった。
(もう、下がれない)
コクウが、ゆっくりと木の剣を振りかぶった。
全身の溝で、青い光がうねる。
そのときだった。
リオの目は、コクウの右肩に吸い寄せられた。
剣が動くより、ほんの少しだけ先に。
光が、走った。




