その目を、大事にしろ
剣が振り下ろされる、その一瞬前。
コクウの右肩の溝を、青い光がひと筋、先に駆け抜けた。
肩から肘へ。
肘から手首へ。
リオは、機体を左へ倒した。
木の剣が、さっきまで頭があったところの石の壁を打った。
乾いた音とともに、石のかけらが飛び散る。
(今の、見えた)
光が先に走って、そのあとに腕が動く。
窪地でスイレンを動かしていたときと同じだ。
魔力が流れて、溝が光って、それから関節が動く。
どんなに速い刻機でも、その順番だけは変わらない。
コクウが向き直る。
今度は、左の腰の溝が光った。
(下から、左)
リオは右へ跳んだ。
剣が、機体の脚のすぐ横を払っていく。
中庭が、ざわっとした。
3撃目。
右の肩。
上から。
かわす。
4撃目。
左の肘。
横から。
かわす。
さっきまで壁ぎわで受けるだけだった機体が、紙一重で逃げつづけている。
コクウの打ちこみが、速く、鋭くなった。
光の走りも速くなる。
明るく太い光なら、受けずにかわす。
前の打ちこみで覚えた強さに、今度は向きまで重なった。
光は、必ず先に来る。
リオは、溝だけを見ていた。
剣も、腕も見ない。
光の流れだけを。
そして、気づいた。
コクウが大きく振りかぶると、光が右肩へどっと集まった。
胸の左側、肩の板と胴の板のつなぎ目だけ、青が薄くなる。
そこを流れる線が、板の境でわずかにずれていた。
昔、板を直した職人が紋を写すとき、線をつなぎ損ねたのだ。
形だけを写せば、小さなずれは見逃す。
だが、光はそこを滑らかに渡れない。
(写しの、ずれだ)
ほんの一瞬。
指が1本入るかどうかの、すき間。
(あそこだ)
けれど、ふつうに打ちこんだのでは届かない。
大きく振れば、魔力がどっと流れて、動きも大きくなる。
すき間が開いているあいだに、剣の先がそこへ着かない。
細く。
もっと細く。
窪地で、彫り直したばかりの溝に、初めて光を通したときのように。
リオは、取っ手を握る手から力を抜いた。
体の奥の流れを、針の先ほどにしぼっていく。
コクウの右肩が、光った。
振りかぶる。
胸の左側の光が、薄くなる。
今。
リオの機体の右腕が、まっすぐ前へ出た。
振るのではない。
突く。
肩から肘へ、肘から手首へ、手首から剣の先へ。
しぼりきった細い流れが、一筋の線になって走る。
木の剣の先が、すき間に吸いこまれた。
こん。
小さな音だった。
剣の先が、コクウの胸の板に当たっていた。
コクウの動きが、止まった。
振りかぶった剣が、宙に残る。
中庭から、音が消えた。
次の瞬間、コクウの剣が振り下ろされた。
リオの木の剣が、根元から折れて飛ぶ。
返す一撃で、機体は肩から地面に倒れた。
起き上がろうとして、リオは取っ手を握りなおした。
流れが、出てこなかった。
しぼりきった一撃に、残っていた魔力を全部使ってしまったらしい。
機体は地面に手をついたまま、ぴくりとも動かなかった。
「それまで」
試験官の声が響いた。
◇
胸の部屋から這い出すと、空がぐるぐる回って見えた。
負けた。
取っ手を握っていた手を、開いてみた。もう何も流れてこない。
あそこまで届いたのに、最後は起き上がる力さえ残せなかった。折れた木の剣が地面に転がっていた。
一度当てただけで、勝ったような気になった。あの小さな音を、もう少し聞いていたかった。そう思ってしまうのが、いちばん悔しかった。
けれど、中庭のあちこちから、ひそひそ声が聞こえてきた。
「当てたよな、今」
「コクウに、あんな子どもが」
「まぐれだろ」
「まぐれで、あんなすき間に通るかよ」
朝、僕を見てくすくす笑っていた人たちが、今は誰も笑っていなかった。
地面にへたりこんでいると、影が差した。
見上げると、あの男の人――ヴァルドが立っていた。コクウから降りてきたらしい。間近で見ると、思っていたよりずっと大きかった。
ヴァルドは何も言わずに、僕を見下ろしていた。周りの受験者も、試験官たちも、誰も口をきかない。
「名は」
低い声だった。
「リオです、ハーヴから来ました」
「父親の名は」
「トーマです、刻機を直す職人で」
その名前を聞いたとき、ヴァルドの顔が、ほんの少しだけ動いた気がした。
ヴァルドは、僕の顔をじっと見ていた。僕を見ているのに、僕の後ろにいる別の誰かを見ているような目だった。
「……そうか」
それだけ言って、背を向ける。
2、3歩行ったところで、ヴァルドは足を止めた。振り返らずに、ひと言だけ落とした。
「その目を、大事にしろ」
返事をする前に、ヴァルドはもう歩きだしていた。
(父さんの、知り合い?)
聞いてみたかったけれど、とてもそんな空気ではなかった。
ヴァルドはまっすぐ、並んだ機体のほうへ歩いていった。そして、1機の前で立ち止まった。
ミアの機体だった。
肘の手前を見上げている。僕が丸く削った、あの角のあたりだ。
ヴァルドは、白いひげの試験官を呼んだ。2人が肘を指さして、何か話している。試験官の眉が、みるみる寄っていった。
(あ、まずい)
試験官が、こちらを向いた。
「この機体に乗った者と、この肘を彫った者、前へ出なさい」
ミアの顔から、さっと血の気が引いた。
僕はふらつく足で立ち上がって、ミアより先に前へ出た。
「彫ったのは、僕です、ミアは止めました」
「機工院の機体の紋に、勝手に刃を入れたな」
「はい」
「なぜだ」
僕は、慣らしの時間に見たことを話した。ミアの機体は、腕が肘のところで止まっていた。溝を流れる光が、肘の手前の鋭い角であふれて、散っていた。
ミアの流れはまっすぐで、勢いが強い。だから角を丸くすれば、曲がりきれると思った。
「機体が、ミアに合ってなかったんです、ミアの腕が足りないわけじゃなくて」
試験官は、ミアのほうを向いた。
「本当か」
「……本当です、彫ってもらう前は、腕が肩より上がりませんでした」
ミアは、まっすぐ試験官を見た。
「でも、止めきれなかったのは、わたしです」
ミア、そこは言わなくていいのに。自分が悪く見えても、言わずにはいられないんだ。僕は止められたときも、ミアのそんなところを見ていなかった。
試験官たちが集まって、長いこと話しこんでいた。ヴァルドは少し離れたところで、腕を組んで立っているだけだった。
◇
結果が告げられたのは、日が傾きはじめたころだった。
白いひげの試験官が、紙を手に名前を読み上げていく。
「ミア」
ミアの肩が、小さくはねた。
そして。
「リオ」
一瞬、自分の名前だと分からなかった。
読み上げが終わると、試験官は僕を手まねきした。
「お前の筆記は、決まりごとを問う後半が、ほとんど白紙だった、規則も破った」
「……はい」
「だが、合わない機体を、乗り手に合わせて直した、そんな真似ができる職人は、この機工院にもそうはおらん」
試験官は、白いひげをなでた。
「それが決め手だ、次からは、刃を入れる前に許しを取れ」
「はい!」
「それから、あの古い型は、お前の機体だ」
スイレン。
僕は中庭に寝かされた細い機体を見た。窪地に置いてきたままでも、知らない誰かに渡すのでもない。
これからも、あの取っ手を僕が握っていい。うなずこうとしたら、何度もうなずいてしまった。
中庭を出ようとしたところで、後ろから呼び止められた。
ミアだった。
「規則違反は、規則違反よ」
「うん」
「あなたが勝手にしたことで、わたしまで落ちるところだったのよ」
「うん、ごめん」
ミアは、しばらく僕をにらんでいた。それから、目をそらした。
「……でも、あの腕が上がったとき、うれしかった」
そう言うと、ミアは編んだ髪をひるがえして、走っていってしまった。
聞けてよかった。謝ったら許してほしかったのか、喜んでほしかったのか、自分でも分からない。
でも、腕が上がったあの瞬間を、ミアも大事にしてくれていた。それが分かって、やっと息がつけた。
門の外では、父さんが待っていた。
「受かったよ」
父さんは、何も言わなかった。ただ、大きな手を僕の頭にのせた。
あの人の目と、低い声がよみがえった。父さんの名前を聞いてから、ほんの少し動いた顔。
「父さん、ヴァルドって人、知ってる?」
頭にのっていた手が、止まった。
父さんは黙りこんだ。




