次は、負けない
5日後、僕はもう一度、都アクエルの門をくぐった。
今度は、試験を受けに来たのではない。今日から、ここで暮らすのだ。
ハーヴを出るとき、母さんは僕の荷物に黒パンを山ほど詰めこんだ。エルマは東門まで見送りに来て、「約束どおり、罠1個減らしといたから」と胸を張った。どこの1個なのかは、最後まで教えてくれなかった。
たぶん、いちばんどうでもいいやつだ。それでも、1個減ったと聞いて、僕は笑ってしまった。こんな約束をちゃんと覚えているのが、エルマらしかった。
◇
王立機工院は、中に入ってみると、ひとつの町のようだった。
石の壁の内側に、大きな建物がいくつも並んでいる。刻機を何機も寝かせておける整備場。部品をしまう倉。
乗り手が練習する広場。職人や見習いが寝起きする寮。どこへ行っても、槌の音と油のにおいがした。
僕もミアも、同じ乗り手の組に入った。朝はまず走る。
刻機に乗る前に、自分の体からきたえろ、ということらしい。職人の仕事までやめるつもりはないので、僕は練習の合間に整備場へ通うことにした。
スイレンは、整備場のいちばん奥に寝かされていた。走る時間に遅れないように、毎朝、先に顔を見に行く。
「おはよう、スイレン」
周りの見習いたちが変な顔をしたけれど、気にしないことにした。まだ知っている顔が少ないここで、スイレンだけは窪地のときと同じ顔をしていた。
最初の朝ごはんの食堂で、ミアと向かい合わせになった。
「おはよう、ミア」
「おはよう」
ミアは、パンを1口ぶんずつ、きっちり同じ大きさにちぎっていた。
「刻機より先に、僕らが走るんだね」
「自分の体も動かせないで、機体を動かせると思う?」
ミアはパンの端まで同じ大きさにちぎり、顔を上げた。
「あなたも同じ組でしょう、遅れないでよ」
「ミアなら、すぐ一番になりそう」
「なるわよ」
即答だった。それから、ミアは少しだけ声を落とした。
「……あなたは、もう勝手に彫らないでよね」
「うん、次からは許しを取ってからにする」
「彫るのはやめないのね」
ミアは、あきれたようにため息をついた。
◇
入って3日目の昼だった。
スイレンのところへ向かう途中、整備場の真ん中で怒鳴り声が響いた。
「何度言ったら分かるんだ!」
職人頭のおじさんが、顔を真っ赤にしていた。その前で、ひょろりとした男の子がうつむいている。
僕より2つか3つ上だろうか。くしゃくしゃの茶色い髪に、油でまっ黒になった前掛け。
作業台の上には、刻機の膝の部品がのっていた。太い軸が半分だけ差しこまれたまま、斜めに止まっている。
「午後には乗り手が使うんだぞ、それまでに組み直しておけ!」
職人頭は、どすどすと足音を立てて出ていった。
男の子は、作業台の前で立ちつくしていた。軸の端をつかんで、押す。引く。
また押す。軸はびくともしない。
僕は、そっと近づいた。
「それ、どこで止まってるの?」
男の子が、びくっと肩をはねさせた。
「え、あ、あの、奥のほう……軸受けのところで、急に入らなくなって」
僕は、軸が止まっているあたりをのぞきこんだ。
軸受けの内側に、軸を受け止める輪がはめてある。よく見ると、その輪の片側だけ、ほんの少し角が丸く落としてあった。
角が丸いほうが、軸の入り口のはずだ。それが、奥を向いている。
「この輪、裏表が逆だと思う」
「え?」
「角が丸いほうから軸を入れるようにできてるんだ、逆だと、ここで引っかかる」
男の子は、軸受けの中をのぞきこんだ。それから、あっと小さな声をあげた。
「ほ、ほんとだ……」
2人で軸を抜いて、輪をはめ直す。軸の先に少しだけ脂をつけて、差しこむ。
軸は、すうっと奥まで入った。
男の子は、しばらくぽかんと軸を見つめていた。
「……ぼく、3回も組み直したのに」
「輪以外は、ちゃんと合ってたよ、軸も輪の手前までは入ってたし、ここだけ直せばよかったんだ」
「で、でも、職人頭には、いつも、のろまだって言われてて」
男の子は、前掛けで手をごしごし拭いた。それから、ちらっと僕を見た。
「ぼく、ノア、ここの見習い」
「リオ、3日前に入った」
「し、知ってる」
ノアは、なぜかあわてて目をそらした。
◇
その日の夕方、スイレンの前で溝の具合を見ていると、後ろで足音がした。
振り返ると、ノアが手ぶらで立っていた。僕が彫り刀を置くと、半歩近づき、また足を止めた。
「どうしたの?」
「あ、あの……昼は、ありがとう」
「うん」
ノアは、前掛けのすそをぎゅっと握った。
「ぼく、試験の日、中庭にいたんだ、機体を運ぶ手伝いで」
「そうだったんだ」
「あの子の機体の、肘の紋……君が彫り直したやつ」
ノアの声が、少しだけ大きくなった。
「彫り直したら、腕が上がった、あんなの、見たことなかった、紋は昔のとおりに写すものだって、ずっと教わってきたのに」
それから、消え入りそうな声で言った。
「……どうやったの」
僕は、ちょっと考えた。どこから話せばいいだろう。
「溝を流れる光が、角であふれてたんだ、だから、あふれないように角を丸くした」
「光が、あふれる?」
「うん、見てれば分かるよ、流れる水みたいなんだ」
僕はスイレンの胸によじのぼって、取っ手に手を当てた。最初の1行を小さく唱えて、ほんの少しだけ流してみせる。
スイレンの右腕の溝を、淡い青の光がすうっと下りていった。肩から肘へ。肘の手前の曲がり角も、あふれずに、なめらかに曲がっていく。
「ほら、こういうふうに曲がってほしいんだ、角が鋭すぎると、ここで光が散っちゃう」
ノアは口をあけたまま、スイレンの溝と僕の顔を何度も見比べた。
「……もっと、聞いてもいい?」
僕はすぐ答えたくて、少し待った。見せびらかしたいだけだと、思われたくない。ノアが何を知りたいのか、今度はちゃんと聞きたかった。
「いいよ、明日も、ここにいるから」
ノアは、初めて少しだけ笑った。
◇
次の朝、整備場の入り口にある知らせの板の前に、人だかりができていた。
見習いも職人も、乗り手の組の人たちも、みんな首をのばしている。
「なんだろ」
ノアと2人で、人の間からのぞきこんだ。
大きな紙が1枚、貼り出されていた。
年に一度の、国の大会を開く。
その下に、出場する乗り手の名前が並んでいた。知らない名前ばかりだった。けれど、ひとつだけ、知っている名前があった。
ヴァルド。
「ヴァルドさまも出るのか」
誰かが言った。人だかりが、またざわざわと揺れた。
僕は、その名前から目が離せなかった。
◇
知らせの板の前を離れて、整備場へ続く廊下を歩いていたときだった。
向こうから、背の高い人影が歩いてきた。
ヴァルドだった。
ノアが、あわてて壁ぎわに寄って頭を下げる。僕も、横へよけた。
ヴァルドは、まっすぐ前を見たまま歩いてくる。足音は静かで、急いでも、ゆっくりでもない。
すれ違う、その一瞬。
ヴァルドの目が、ほんの少しだけ、こちらへ動いた気がした。
何も言わなかった。足も止めなかった。そのまま、廊下の向こうへ歩いていった。
僕は、その背中を見送っていた。
あの日、コクウの胸に当てた一撃の手ごたえが、まだ右の手のひらに残っている。こん、という小さな音。でも、そのあと僕の機体は、一度も立ち上がれなかった。
当てただけだ。勝ってはいない。
今の僕では届かない。でも、整備場の奥にはスイレンがいる。線を確かめて彫り、動かして、また直す。
窪地でやってきたことを、ここでも続ければいい。僕もスイレンも、歩きはじめたばかりなのだから。
右の手のひらを、ぎゅっと握る。
次は、負けない。




