行ってこい
しゃべった。
それも、次の日の朝には、もう町じゅうが知っていた。
母さんが水路の洗い場から帰ってきたとき、その顔を見ただけで分かった。かごを置いた手が、少しだけ止まっていた。
「リオ、森のはずれに魔物が出たんだってね」
「……うん」
「細い鉄人が出てきて、追っぱらったんだって、ルカちゃんが通りのまんなかで、身ぶり手ぶりで話してたわよ」
母さんは、ゆっくり僕のほうを向いた。
「中に乗ってたのは、リオ兄ちゃんだったって」
(ルカ、通りのまんなかって)
昨日の「ぜったい言わない」が、まだ耳に残っている。僕は母さんのかごを見つめたまま、うなずくしかなかった。
しかも、話は通りを1本渡るごとに大きくなっているらしい。パン屋の前では「魔物を投げ飛ばした」になり、水路の向こうでは「魔物が3匹いた」になり、東門のあたりでは「鉄人が空を飛んだ」ことになっていた。
(飛んでない、1歩も飛んでない)
「父さんが、工房で呼んでるわ」
◇
工房は、いつもと違って静かだった。
炉の火は落ちていない。作業台の上には、国から預かった刻機の指がのっている。
それなのに、槌の音がしない。父さんは作業台の前の丸椅子に座って、腕を組んでいた。
「座れ」
僕は、向かいの木箱に腰をおろした。
「町の外へは行くなと、言ったはずだ」
声は、いつもどおり穏やかだった。それがかえって怖かった。
すぐに怒鳴ってくれたほうが、まだ謝りやすい。何を言われるか待つ時間が、こんなに長いとは思わなかった。
「……ごめんなさい」
「魔物の前に出ていったそうだな、一歩まちがえたら、どうなってた」
僕は何も言えなかった。父さんの言うとおりだ。あのとき、スイレンの腕に爪が食いこんだ音を、まだ覚えている。
しばらく、炉の火がぱちぱちと鳴る音だけがしていた。
「で、その鉄人は、どこで拾った」
「戦の跡の、奥のほう、紋がほとんど削れて、動かなくなってたやつ」
「それを、どうやって動かした」
「直したんだ、エルマと2人で」
父さんの眉が、ぴくりと動いた。
「直した? お前がか」
「割れた指の節は、ほかの機体のと入れ替えたんだ」
「形が違うだろう」
「外は違うけど、中の軸は同じ太さだった、縄に結び目を作って測ったら、合うのがあって」
話しはじめたら、止まらなくなった。錆びた膝の軸に獣の脂をしみこませたこと。
折れた剣の柄を、てこにしたこと。剣の欠片で彫り刀を作ったこと。
父さんは、途中から腕をほどいていた。
「……軸の太さを、測ったのか」
父さんは僕の手元に目を落とした。工房で部品の噛み合わせを確かめるときと同じ声だ。僕は、縄の結び目の間隔を両手で示した。
父さんはしばらく黙って、作業台の上の指を見つめていた。それから、ゆっくり立ち上がった。
「案内しろ」
◇
東門を出てから、父さんはひと言もしゃべらなかった。
僕が前を歩き、父さんが少し後ろからついてくる。丘を越え、戦の跡のがらくたの間を抜けていく。エルマの罠がある場所に来るたびに「そこ、踏まないで」と言うと、父さんは黙って大きくまたいだ。
背中に、ずっと父さんの目を感じていた。叱られるのとは、また別の緊張だった。
直したところを見てほしい。けれど、職人の父さんに、こんなのは直したうちに入らないと言われたらどうしよう。
窪地に着くと、先に来ていたエルマが、父さんの顔を見て石の陰に隠れた。
「トーマさんまで来た……」
「ごめん、エルマ」
「いいよ、どうせルカがしゃべった時点で終わりだもん」
エルマはそう言いながら、僕の背中にぴったり隠れている。
父さんは、エルマのことも、窪地にたくさん倒れている機体のことも、ほとんど見なかった。まっすぐ、いちばん奥に座りこんだスイレンの前まで歩いていく。
そして、その足もとで止まった。
太い指が、僕の彫った溝に触れる。
足首から脛へ。膝の手前で、2つに分かれるところ。父さんは、僕が初めてここに来た日と同じように、指の腹でゆっくり溝をなぞっていった。
それから、隣に倒れている肩の張った機体の模様を見にいき、また戻ってきて、スイレンの溝を見る。何度も、何度も。
「ねえ、トーマさん、怒ってるの?」
エルマが小声で聞いてきた。僕にも分からなかった。
僕は首を振った。父さんは足もとの溝へ戻り、つなぎ直したところをゆっくりなぞる。水たまりの白い花が風に揺れていた。
「……これを、お前が全部彫ったのか」
「うん」
「俺たち職人はな、紋は昔のものを写して彫れと教わる、線を1本たりとも変えるなってな」
父さんは、溝から指を離さないまま言った。
「お前のは、写しじゃないな」
それきり、父さんは黙ってしまった。帰り道も、家に着いてからも、ひと言もしゃべらなかった。
怒っているのか、そうでないのか。僕には最後まで分からなかった。
◇
次の日、ヨハンおじさんが工房にやってきた。
父さんの古い職人仲間で、直し終わった部品を都アクエルの王立機工院へ納めに行く役目をしている人だ。声も体も大きくて、笑うと工房の壁がびりびりする。
「おう、聞いたぞトーマ、お前んとこの坊主、魔物を追っぱらったんだってな!」
「余計なことは言うなよ、ヨハン」
父さんは、直し終わった刻機の指を布で包みながら言った。
「言わねえよ、言わねえって」
ヨハンおじさんは指の包みを荷車に積むと、僕の頭をぐしゃぐしゃとなでて、都へ向かって出ていった。
◇
それから10日ほどたった朝。
家の前に、青い上着を着た男の人が馬で乗りつけた。胸に、歯車と波の形を組み合わせた紋章をつけている。
「王立機工院からの使いだ、職人トーマの家はここか」
町の人たちが、通りのあちこちから首をのばしていた。
(ヨハンおじさん、絶対しゃべったな)
あとで聞いたら、案の定だった。部品を納めに行った先で、機工院の職人たちにつかまって、ひと晩じゅう話していたらしい。
使いの人は、封をした手紙を父さんに渡すと、すぐに帰っていった。
◇
その晩、台所のテーブルの真ん中に、手紙が置かれていた。
書いてあることは、短かった。
動く刻機は、すべて国のものと定められている。だから、その機体は国が預かる。
ただし、リオが王立機工院の試験を受け、受かったなら、その機体をリオ自身の機体として持っていてよい。
試験は、筆記・整備・乗る、の3つ。整備の試験には、その機体を持ってくること。日取りは20日後。
「……試験って、リオはまだ10歳よ」
母さんが手紙に指を置いた。その指は日取りのところで止まり、僕の顔を見るまで、そこを押さえたままだった。
僕は、テーブルの下で手を握りしめていた。
受からなければ、スイレンは取り上げられる。あの窪地で目を覚まして、初めて歩いて、子どもたちを守ってくれたスイレンが、知らない誰かのものになる。
「僕、受けたい」
声が、思ったより大きく出た。
「……好きにしろ」
父さんは、もう一度だけ手紙に目を落とした。それから、ゆっくりとたたんで、テーブルに置いた。
だめとは言われなかった。僕はまだ、手紙に触ることもできずに父さんを見ていた。
「スイレン、だったか」
「うん」
「お前が起こしたんだろう、なら、最後まで面倒を見ろ」
父さんは、まっすぐ僕を見た。
「行ってこい」
母さんが、小さく息をついた。それから、仕方ないわね、というふうに笑った。
「じゃあ、20日ぶん、しっかり食べてもらわないとね」
僕の皿に、黒パンがもう1切れのせられた。




