この国では、刻機を作ってはいけない
知らないはずの母サラの顔を、なぜか知っている。
目を開けて最初に見えたのが、その顔だった。栗色の髪をひとつに結んだ女の人が、僕をのぞきこんでいる。
「リオ、いつまで寝てるの、朝ごはん冷めちゃうよ」
自分のものではない記憶が、頭の中に少し残っている。古いアルバムをめくるみたいに、ぽつぽつと浮かんできた。
ここはハーヴという町で、僕の名前はリオだ。
それから、もうひとつ。
この国では、刻機を作ってはいけない。
大人たちが何度も口にしていた言葉らしい。誰に言われたのかは思い出せないのに、その一文だけはくっきりと残っていた。
作ってはいけない。ものを作るのが仕事だった僕には、どうにも落ち着かない言葉だ。
カーン、カーン。
下の階から、金属を叩く音が聞こえてくる。父さん――トーマの工房だ。
一定のリズムで、少しも迷いがない。いい音だな、と耳を澄ませた。
「起きたなら、早く降りてきなさいね」
母さんが部屋を出ていく。返事をしようとして、僕は布団から手を出した。
小さい。
指を開いたり、握ったりしてみる。短い指に、やわらかい手のひら。長年の作業でできたヤスリだこも、細かい切り傷の跡も消えている。
「……ほんとに、子どもになってる」
つぶやいた声が、びっくりするほど高かった。
(声、高っ)
神様の言っていたとおりだ。10歳の男の子。分かってはいたけれど、実際に自分の手を見ると、さすがに笑うしかなかった。
◇
朝ごはんは、黒パンと豆のスープだった。
「今日はずいぶん静かね、まだ寝ぼけてるの?」
「うん、ちょっとだけ」
母さんは笑って、僕の皿にパンをもう1切れのせてくれた。あたたかい台所に、スープの湯気と、工房から流れてくる油のにおいが混じっている。
「ちゃんと食べてる?」
言われて、パンを握ったままなのに気づいた。こんなふうに気にしてもらうのが、くすぐったい。僕はあわててパンをかじった。
食べ終えると、僕はまっすぐ工房へ向かった。
家の1階の奥では、炉の火がぱちぱちと鳴っていた。壁には大小の工具がずらりと並ぶ。けれど、僕の目は作業台にくぎづけになった。
僕の背丈より大きな金属の塊が、横たわっている。
指だ。
人の指の形をした、巨大な部品。関節ごとに節が分かれていて、ひとつの節だけで、今の僕の腕よりずっと太い。
「刻機の指だ、国から預かってる大事なもんだから、触るなよ」
父さんが金槌を置いて言った。日に焼けた、腕の太い人だ。目つきは少し怖いけれど、声は穏やかだった。
刻機。人が乗って動かす、大きな人型の機械。町の人たちは鉄人とも呼んでいる。
これも、記憶のかけらが教えてくれた。
(指だけでこれって、本体どれだけでかいんだ)
触るなと言われたので、両手を引っこめたまま顔を近づける。関節の噛み合わせ、軸の太さ、削りの角度。見るだけならいいはずだ。
模型を作っていたころのくせで、目が勝手に仕組みを追う。
「父さん、刻機をまるごと見られるところってないの?」
「動くやつはみんな国のもんだ、俺たちが触れるのは、こうして直しに回ってくる部品だけさ」
僕が作業台から顔を上げると、父さんは少し考えてから言った。
「……まあ、壊れたやつなら、町の外に転がってるがな」
「町の外?」
「東の丘の向こうに昔の戦の跡があってな、動かなくなった刻機が置きっぱなしなんだ」
思わず身を乗り出した。父さんは僕の顔を見るなり、あわてて付け足す。
「行くなよ、足場は悪いし、何が埋まってるか分からん」
「うん、分かった」
できるだけ素直な顔でうなずいた。返事だけなら、とてもいい子だ。
動かない機械を見てくるだけなら、大丈夫だろう。足場の話は、もう頭から抜けていた。
(行くに決まってる)
◇
昼過ぎ、僕はこっそり家を抜け出した。
ハーヴは職人の町だ。石畳の通りに工房が並び、あちこちから槌の音や、木を削る音が聞こえてくる。町の真ん中には細い水路が流れていて、洗い物をするおばさんたちの笑い声が、水音に乗って届いた。
東門を出ると、景色は一気に開けた。なだらかな草の丘が続き、春の終わりの風が、背の低い草をさわさわと揺らしている。
丘をひとつ越えた、そのときだった。
足もとで、ぷつん、と何かが切れる音がした。
次の瞬間、世界がひっくり返った。
右の足首に縄が食いこみ、僕の体は木の枝から逆さまにぶら下がっていた。
(なんだこれ!?)
「かかった、かかった!」
草むらから、女の子が飛び出してきた。日に焼けた顔に、短く切った黒い髪。腰には小刀と、くるくる巻いた縄を下げている。
年は僕と同じくらいか、少し上に見えた。
「なーんだ、ウサギじゃなくて人か」
「なーんだ、じゃないよ! 下ろして!」
「あはは、ごめんごめん」
笑ったまま、女の子が縄をほどく。僕は草の上に、どさりと落ちた。
空が上で、地面が下。元に戻っただけなのに、ありがたい。
父さんの言ったことが、今さら腹に落ちた。それでも、目の前で笑っている子には、平気な顔をしておきたかった。
「あんた、トーマさんとこの子でしょ、こんなとこで何してんの」
向こうは僕を知っているらしい。記憶をたどると、猟師の家の子だということだけが、ぼんやり浮かんだ。名前までは出てこない。
「刻機を見に来たんだ、この先に昔の戦の跡があるって聞いて」
「ふうん」
女の子は僕をじろじろ見た。僕は足首をさすりながら、その返事を待つ。
「あたしはエルマ、この辺はあたしの庭みたいなもんでさ、罠もいっぱい仕掛けてあるから気をつけてね」
「先に言ってほしかった……」
戦の跡は、丘を下りたすぐ先に広がっていた。
草に埋もれるようにして、大きな金属の塊があちこちに転がっている。ちぎれた腕、半分に割れた胸の板、地面に突き刺さったままの剣。どれも長い雨風にさらされて、くすんだ色をしていた。
「すごい……」
工房の指とは、大きさの桁が違う。ばらばらでも、本物の刻機だ。
ところが、エルマはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「こんなの、ただのがらくただよ、使えそうな部品は大人がとっくに持ってっちゃったもん」
それからくるりと振り返り、いたずらっぽく目を細める。
「刻機なら、もっとすごいのがある」
「え?」
「ついてきなよ――あ、そこ踏まないでね、罠あるから」
僕はあわてて足を引っこめた。
エルマは茂みをかき分けて、細いけもの道を下りていく。両側の斜面がだんだん高くなり、やがて、すり鉢のような窪地に出た。
僕は、息をのんだ。
刻機が、いくつも倒れていた。さっきのような欠片ではない。腕も脚もそろった、まるごとの機体だ。
仰向けのもの、膝をついたもの、斜面にもたれかかったもの。見上げるほどの大きな体が、苔と蔦をまとって、静かに眠っている。
「ね、すごいでしょ、ここはあたししか知らないんだ」
エルマが得意げに胸を張る。僕はうなずくのも忘れて、倒れた刻機の間を歩いた。
「ねえ、聞いてる? すごいでしょって」
「うん、すごい」
返事をしても、目は機体から離れなかった。エルマは、自慢に付き合ってほしかったらしい。
がっしり張った肩に、太い胴、丸みのある頭。倒れ方は違っても、体の形はよく似ていた。
その中に、1機だけ。
見たことのない形のものがあった。
窪地のいちばん奥で、斜面に背をあずけ、座りこむようにしている。ほかの刻機よりひとまわり細く、腕も脚もすらりと長い。
肩の線はなめらかに流れ、頭は小さく、顔には細い切れこみがひとつあるだけだった。
模型の図面を見るときみたいに、目が離せない。
表面には、何かが彫られていた跡があった。けれど、ほとんどが削れてしまって、目をこらさないと分からないほど薄くなっている。
「これだけ変な形でしょ、なんか気になって、つい見に来ちゃうんだよね」
エルマが隣で言った。返事をしようとしたのに、言葉が出てこない。
足が、勝手に前へ出る。
苔を踏み、倒れた枝をまたいで、その機体の足もとまで歩いていく。
見上げると、細い切れこみの顔が、じっとこちらを向いているような気がした。
もっと近くで見たい。
どうなっているのか、この手で確かめたい。
僕は、そっと手をのばした。
ひんやりとした感触が、手のひらに伝わった。




