話がある
本戦の3日目は、朝から空が高かった。
川から吹いてくる風が、闘技場の旗をばたばたと鳴らしている。石の段は、まだ朝のうちから半分ほど埋まっていた。予選の日より、ずっと人が多い。
闘技場の門の脇の紙には、名前が4つだけ残っていた。僕とヴァルドの線は、まだ反対の端にある。どちらからたどっても、行き着くのは、いちばん上の1本だった。
準決勝は2つ。先に僕の試合、そのあとにヴァルドの試合だ。
「き、今日勝ったら、明日は、もう決勝だよ」
ノアは紙を見上げたまま、前掛けのすそを握りしめていた。
「ノアのほうが、緊張してない?」
「し、してる、すごくしてる」
控えの小屋のスイレンは、昨日と同じように座りこんでいた。左の膝は、ノアが夜のうちに磨きなおしたらしい。昨日ミアの剣を受け止めた跡が、肩の板にうっすら残っているだけだった。
◇
準決勝の相手は、左腕に大きな丸い盾をつけた刻機だった。
盾の陰に胴を隠し、剣の先だけをのぞかせて、じりじりと前へ出てくる。
リオは、溝の光を見た。
盾の腕が、明るく太い。
剣の腕は、それより細い。
そして、腰の光がいちばん細かった。
(向きを変えるのが、遅い)
盾の機体が、剣で小さく突いてきた。
細い光。
軽い突きだ。
リオは剣で払った。
相手は深追いせず、すぐに盾の陰へ戻る。
(待ってる)
スイレンのほうから打ってくるのを、盾で受けて、押し返すつもりなのだ。
リオは、打たなかった。
砂の上を、ゆっくりと横へ回る。
盾の機体も、盾をこちらへ向けたまま、向きを変えてついてくる。
少し、遅れて。
しびれを切らしたのは、相手のほうだった。
盾の腕の光が、どっと明るくなる。
盾の機体が、盾ごと体当たりに来た。
スイレンは、ぶつかる寸前で右へ流れた。
腰が、思ったところでぴたりと回る。
相手は盾の向きを変えようとした。
けれど、細い光が腰を渡りきるまで、胴がついてこない。
リオは、もう相手の背中側に回っていた。
スイレンの肩を、相手の脇腹にあてる。
長い脚で、ひと息に押しこむ。
重い機体が、盾の重さに引っぱられるように傾いた。
そのまま、横倒しに砂の上へ倒れた。
「それまで」
角笛が鳴った。
◇
胸の部屋から出ると、石の段のあちこちで、誰かがスイレンの名前を口にしていた。昨日、ミアに勝ったあとで、ノアが聞かれるたびに答えていたらしい。
「細いのに、速いな」
「スイレンっていうんだと」
あの細いの、と呼ばれていた機体が、名前で呼ばれている。僕はスイレンを振り返ってから、声のした石の段を見た。口のはしが、勝手に上がってしまった。
僕の名前を呼ばれるより、うれしいかもしれない。窪地で2人だけが呼んでいた名前を、知らない人まで覚えてくれたのだ。
柵のそばへ戻ると、ノアの隣にミアが立っていた。
「次は、あの人ね」
ミアの目は、砂地の向こうの大きな扉に向いていた。
扉が開いて、地面がずしんと鳴った。
黒に近い、深い藍色の機体が出てくる。コクウだ。
全身の溝に、いっせいに青い光が灯った。網の目の水路全部に、いっぺんに水が満ちたような光だった。
◇
コクウの相手は、長い柄の斧を持った大きな機体だった。
前の年にも本戦まで残った乗り手らしい。
斧を構えた姿に、迷いがない。
角笛が鳴った。
斧の機体は、コクウの胸の左ばかりを狙った。
肩の板と胴の板の、つなぎ目のあたりだ。
「あの人も、胸の左を狙ってる」
リオがつぶやくと、隣でミアが言った。
「あなたが当てたところでしょう、噂になってるもの、機工院の子どもが、コクウの胸に当てたって」
コクウは、斧を2度、3度と剣で受け流した。
半歩も下がらない。
それから、大きく振りかぶった。
光が、右の肩へどっと集まる。
リオは、胸の左のつなぎ目を見た。
試験の日、そこだけ青が薄くなった場所を。
光は、薄くならなかった。
つなぎ目の上を、青い線がまっすぐに渡っていく。
ほかの溝と同じ明るさのまま、途切れもしない。
斧の機体が、そこへ斧の先を突き入れた。
斧の先は、つなぎ目の上ですべって、そらされた。
コクウの剣が振り下ろされた。
斧が、相手の手から離れて、砂の上を転がった。
「それまで」
始まってから、ほんの少ししかたっていなかった。
◇
石の段がわいている。でも、僕の耳には、その声がひどく遠くに聞こえた。
(ずれが、ない)
試験の日、指が1本入るかどうかのすき間があったところが、きれいにふさがっていた。
「あ……」
隣で、ノアが小さな声を出した。
「試験の何日かあとだよ、ぼく、部品を運んでて見たんだ、職人頭たちが、夜までコクウの胸の板に灯りを当てて、何かしてた」
「彫り直したんだ」
僕は、コクウから目を離さずに言った。
試験の日、あの人は、コクウの胸へ届いた剣を見ていた。弱いところが分かれば、直す。僕がスイレンの腰を直したように、コクウも直されたのだ。
僕はつなぎ目をもう一度見た。試験の日の光を重ねようとしても、今の青い線は、同じ明るさのまま渡っていく。
試験と同じ手は、もう使えない。
直すのは当然だ。僕だって直した。
なのに、そこだけは残しておいてほしかった。自分に都合のいいことばかり考えている。そう分かっても、ほかの手が見えなかった。
コクウの胸の部屋から、ヴァルドが降りてきた。こちらを見たかどうかは、分からなかった。そのまま、大きな扉の奥へ歩いていった。
柵を握る指に、力が入った。光は今も読めるし、スイレンは、試験の日の借りた機体より速い。なのに、明日どこへ剣を出せばいいのか、思い浮かばなかった。
「そんな顔、しないで」
ミアだった。
「わたしに勝った人が、すき間ひとつなくなったくらいで、下を向かないで」
ミアは、組み合わせの紙のほうへ目をやった。いちばん上で、線が1本になるところだ。
「……明日、勝ちなさいよ、わたしに勝ったんだから」
ミアは編んだ髪をひるがえして、行ってしまった。昨日の、落ちた剣を抱えていた手を思い出す。柵を握っていた僕の指が、少しゆるんだ。
「ミ、ミア、かっこいいね」
「うん」
ノアは、しばらく黙ってコクウの消えた扉を見ていた。それから、ぽつりと言った。
「で、でも、スイレンだって、試験の日の機体じゃないよ」
「分かってる」
強く言いすぎた。僕よりノアのほうが、その部品を長く見ていたのに。
「腰も、膝も、指も、直したんだ、だから、その……」
ノアは続きを言えずに、前掛けのすそをいじった。2人で何度も確かめたところばかりだ。僕は控えの小屋のほうを見たけれど、それが明日の答えになるのかは、まだ分からなかった。
僕はもう一度、コクウの胸の左を思い出した。ふさがったすき間。光は、どこも同じ明るさで流れていた。
すき間がないなら、どうすればいいのだろう。
◇
闘技場の門を出たところで、聞きおぼえのある大きな声がした。
「おーい、リオ! おったおった!」
ヨハンおじさんだった。声も体も大きいから、人ごみの中でもすぐに分かる。
そして、その隣に、父さんが立っていた。
「父さん!」
「ヨハンの荷車に乗せてもらった、部品を納めるついでだ」
父さんは、いつもの穏やかな声で言った。
「準決勝、上から見てた」
「見てたの?」
「ああ」
父さんは、それ以上は言わなかった。いつもなら僕の顔を見てくれる目が、門の向こうへ向いている。さっきまでコクウが立っていた砂地を、じっと見ていた。
それから、僕のほうへ向き直った。
「宿は、川べりの古い宿だ、今夜、来られるか」
「うん、行く」
「話がある」
父さんの声は、穏やかなままだった。でも、試験の日の門の外で、黙りこんだときと同じ目をしていた。




