負けたら、罠1個ふやすからね
日が沈むころ、僕は寮を出て、都の通りを川のほうへ歩いた。
アクエルの夕方は、どこもかしこも灯りがともって明るい。大会のあいだは、通りの店も遅くまで開いているらしい。闘技場の話をしている人の声が、あちこちから聞こえてきた。
「明日はコクウで決まりだろう」
「いや、あの細いのも分からんぞ、ミアって子に勝ったやつだ」
「子どもだろう、あれ」
僕は、なんとなく顔を伏せて、早足で通りを抜けた。
川べりの古い宿は、すぐに見つかった。1階の食堂から、ヨハンおじさんの笑い声が通りまでもれていたからだ。
「おう、リオ、上だ上、トーマは2階の奥だ!」
ヨハンおじさんは、手にした杯を階段のほうへ振ってみせた。それから、急に声を落とした。
「……あいつ、今日は口数が少ねえ、いつもよりな」
いつもからして、父さんは口数が少ない。さらに少ないと言われても見当がつかず、僕は階段の上を見た。
2階の奥の部屋には、寝台が1つと、小さな机が1つあった。机と寝台の間を通ると、父さんの座る窓まですぐだ。外には、暗い川がゆっくり流れていた。
父さんは、窓のそばに座っていた。
「来たか」
「うん」
父さんは、机の上の灯りを少しだけ明るくした。それから、上着の内側から、折りたたんだ紙を取り出した。
「先に、これだ、預かってきた」
紙の表には、大きくて、ちょっと斜めにかしいだ字で「リオへ」と書いてあった。
見ただけで、誰の字か分かった。
◇
開くと、同じ斜めの字が並んでいた。
「負けたら、罠1個ふやすからね」
最初の1行が、それだった。
(いきなりそれか)
「どこの1個かは、教えない」
僕は、思わず笑ってしまった。東門で「罠1個減らしといたから」と胸を張っていた顔が、そのまま目に浮かんだ。
続きは、少しだけ字が小さくなっていた。
「町のみんな、毎晩あんたの話してるよ、ルカなんか鉄人の真似して、両手ぶらぶらさせて通りを歩いてる」
「ヨハンおじさんが都に行くって言ったら、みんな手紙に名前書くって言いだして、紙が足りなくなったから、裏に書いてもらった」
裏返すと、紙いっぱいに、いろんな字が詰まっていた。
大きな字、小さな字、ふるえた字で、パン屋のおじさんや鍛冶屋の親方の名前が並んでいた。ルカの字は、紙からはみ出しそうなくらい大きかった。
すみのほうに、見なれた字があった。
「ちゃんと食べてる?」
母さんの字だった。
窪地に通っていたころ、僕は町では、トーマさんとこの子だったはずだ。今は、その人たちの名前が、小さな紙の裏で僕に向いている。
僕は紙のすみを持ち直した。母さんの字を読んで、またルカの大きな字へ目を戻す。
ちゃんと食べてるよ、と返事をしたかった。勝てるかどうかより、それを先に聞くんだ。
おかしくて、なのに笑ったら泣きそうで、しばらく、父さんの顔を見られなかった。
「エルマは、自分も来るって言って聞かなかった」
父さんが言った。
「でも、罠の見回りがあるからって、最後は自分で残った、それを書いてる途中で、3回書き直してた」
「3回も?」
「最初の2枚は、『負けたら』のあとが、もっとひどかったらしい」
僕は、もう一度笑った。紙をていねいにたたんで、胸の内側にしまった。
◇
父さんは、しばらく窓の外の川を見ていた。
それから、ゆっくり口を開いた。
「ヴァルドのことだ」
僕は、背すじをのばした。
「若いころ、俺も、乗り手だった」
「……父さんが?」
「機工院の、乗り手の組にいた、お前と同じだ」
父さんの手を見た。日に焼けて、指が太くて、槌だこだらけの手だ。刻機の取っ手を握っていたなんて、考えたこともなかった。
「父さんの機体は?」
「機工院の機体だ、肩の張った、ふつうの型だった、とっくに別の乗り手のものになってる」
父さんは、なんでもないことのように言った。動く刻機は、みんな国のものだ。父さんが握っていた取っ手を、今は知らない誰かが握っている。
「同じ年に入ったのが、ヴァルドだ」
父さんの声は、いつもと同じように穏やかだった。
「あいつは、魔力が多かった、俺は、少なかった、だから俺は、力でぶつかるのをやめて、細い突きばかり磨いた」
細い突き。
試験の日、ヴァルドは僕を見ていたのに、僕の後ろの誰かを見ているような目をしていた。
(あれは、父さんを見てたんだ)
「あいつの打ちこみは、あのころから重かった、受ければ腕がしびれて、かわせば、かわした先に剣がある」
今日の準決勝の、半歩も下がらないコクウが浮かんだ。父さんの話を聞いているのに、明日の砂地のことが頭から離れない。
「大会の決勝で、あいつと当たった、今のお前と、同じだ」
父さんは、自分の右の手のひらを開いて、じっと見た。
「最後に、すき間が見えた、ここだと思った、でも、突きを出す前に、流れが切れた」
「……魔力が、尽きたの?」
「ああ、届かなかった」
僕は、自分の手のひらを見た。試験の日、取っ手を握りなおしても、何も出てこなかった。父さんは、突く前に、それが来たのだ。
「あいつは、何も言わなかった、それで終わりだ」
父さんは、手のひらを閉じた。
「それからは、取っ手を握るたびに、あのとき流れが切れた感じが、手に戻ってくるようになった、だから、ハーヴへ帰って、槌を握った」
「それで、職人に……」
「直すほうが、性に合ってた、と思うことにした」
毎朝、金属を叩く音で目が覚めた。工房で槌をふるう父さんの背中が、僕の知っている父さんだった。
工房の音より前のことを、僕は何も知らなかった。母さんは、たぶん知っているのだと思った。
父さんなら何でも直せるような気がしていた。あの太い手にも、もう握りたくないものがあったんだ。初めて、話を聞くのが少し怖くなった。
父さんは、少しだけ口のはしを上げた。笑ったのかどうかは、分からなかった。
僕は、ずっと聞きたかったことを聞いた。
「試験の日、門の中に入らなかったのは」
「あいつと、顔を合わせたくなかった」
父さんは、あっさり言った。
「父さんは、いやじゃないの? 僕が、ヴァルドと戦うの」
父さんは、すぐには答えなかった。灯りの火が、小さく揺れた。
「今日の準決勝、上から見てた」
「うん」
「お前の機体の光は、最初から最後まで細いままだった、どこでも詰まらず、切れずに、つま先まで流れてた」
ノアと2人で、灯りの油を足しながらつないだ線だ。爪の先ほどのずれを直したことが、上の段にいた父さんにも伝わっていた。
「あの流れなら、途中で切れん」
父さんは、僕の目をまっすぐに見た。
「行け、リオ」
大きな手が、僕の頭にのった。試験の日の門の外と、同じ重さだった。
「俺が届かなかったところまで、お前の突きを届かせてこい」
僕はうなずいた。頭の上の手は、すぐには離れなかった。
父さんの分まで、と言いたくなった。でも、僕は僕で勝ちたいし、怖くないわけでもない。立派な返事が浮かばなくて、頭の上の手の重さを感じていた。
言いたいことがあるのに、声が出ない。僕は息を吸って、もう一度うなずいてから、ようやく口を開いた。
「腰の後ろの板、ノアって子と2人で直したんだ、機工院の見習いで、部品を作るのがすごくうまくて」
「そうか」
父さんは、僕の頭から手を下ろした。
「その子に、礼を言っておけ、いい職人の仕事だ」
職人の父さんが、そう言った。明日、ノアに伝えようと思った。
◇
宿を出ると、川の上に星が出ていた。
ふり返ると、2階の奥の窓に、灯りが1つついていた。父さんが、窓のそばからこちらを見ていた。
「明日は、門の中で見る」
父さんの声が、上から降ってきた。
僕は、大きく手を振った。胸の内側で、エルマの手紙が、かさりと鳴った。




