念のため、です
次の日の朝、闘技場の門の脇に、大きな紙が貼り出された。
本戦の組み合わせだ。名前と名前が線で結ばれて、上へ行くほど枝が集まっていく。いちばん上で、線は1本になっていた。
僕の名前は、左の端のほうにあった。そこから2つ勝ち上がった先に、ミアの名前がある。
右の端の、いちばん遠いところには、ヴァルドの名前があった。
「当たるとしたら、最後だね」
隣で、ノアが小さな声で言った。
「うん、最後だ」
ミアは紙の前で、自分の名前と僕の名前を、指で順番にたどっていた。
「2つ勝ったら、あなたね」
「ミアも、2つ勝ったらね」
「勝つわよ」
ミアはそれだけ言って、控えの場所へ歩いていった。昨日の予選のあとより、口数がずっと少なかった。
本戦からは、1対1だ。予選で背中を支えてくれたミアは、もう隣にいない。
光を見て声をかけても、僕の代わりに打ってくれる人はいない。組み合わせの線を見上げてから、僕は自分の右手を握った。読むのも打つのも、この手でやる。
ノアは今日も、控えの小屋の前に座りこんでいた。スイレンの膝に油をさした布を、ずっと握ったままだ。
「出番、ないかもしれないのに」
「う、うん、分かってる、念のため、だから」
何度もそう言わせて、悪い気がした。僕だって、ここにスイレンがいてくれて、ほっとしている。柵の向こうへ行く前に、小屋の扉を振り返った。
◇
僕の最初の相手は、赤茶けた板の、ずんぐりした刻機だった。
肩も胴も、僕の借りた機体よりさらに太い。両手で握っているのは、刃のない大きな槌だ。
乗り手の名前は、紙で見たはずなのに覚えていなかった。予選では見なかった顔だから、前の年に本戦まで残った人なのだろう。
槌を肩にかついで砂地に出てくるとき、その機体は一度だけ、僕の機体の脚のほうへ頭を向けた。値踏みするような向け方だった。
「始め」
角笛が鳴った。
◇
赤茶けた機体は、すぐには打ってこなかった。
槌を低く構えたまま、リオの機体のまわりを、ゆっくりと回る。
見ているのは、剣でも胸でもなかった。
足もとだ。
(膝を見てる)
槌の柄に、光が集まった。
腰から肩へ、肩から両腕へ。
低い。
リオは機体を後ろへ下げた。
槌の頭が、さっきまで膝のあった場所を横なぎに過ぎていく。
砂が、ざっと舞った。
2撃目も、低かった。
3撃目も。
相手は、剣も胸も狙わない。
膝だけを、しつこく追いかけてくる。
光は読める。
来る向きも、強さも分かる。
けれど、借りた機体は重かった。
読めても、足が追いつかない。
4撃目。
光が、両腕でひときわ明るく太くなった。
(受けるな、下がれ)
リオは下がった。
下がりきれなかった。
槌の頭が、左の膝の外側をかすめた。
がきん、と嫌な音がした。
取っ手を通して、何かが割れる感じが腕まで伝わってくる。
機体の左脚から、すっと力が抜けた。
機体が左へかしぐ。
取っ手の向こうで、砂地が斜めに見えた。
左の膝が、砂につきそうになる。
(倒れたら、終わりだ)
リオは右脚に流れを寄せた。
剣を砂に突き立てかけて、やめた。
剣を手放したら、それも負けだ。
リオは、右脚だけで踏んばった。
取っ手を握る手にも、機体の重さがかかる。
砂が右足の下で沈んだ。
機体は、傾いたまま止まった。
石の段から、どよめきが上がった。
赤茶けた機体が、槌を大きく振りかぶった。
とどめを刺すつもりだ。
光が、両肩へどっと集まる。
そのぶん、槌の柄を握る指の光が、すうっと薄くなった。
(今だ)
リオは、残った流れを針の先ほどにしぼった。
振らない。
突く。
剣の先が、相手の指のつけ根を打った。
槌が、指からすっぽ抜けた。
大きな槌は、くるりと宙で回って、砂の上に落ちた。
「それまで」
角笛が、長く鳴った。
◇
胸の部屋から這い出すと、借りた機体は左の膝をついて、もう動かなかった。
膝の継ぎ目から、割れた輪のかけらがこぼれている。軸が、外側へ曲がっていた。
僕は、そっと膝の板に手を当てた。試験の日から、ずっと乗せてもらってきた機体だ。重たくて、言うことを聞かせるのに骨が折れて、それでも最後まで倒れずにいてくれた。
「ごめん、ありがとう」
石の段からは、まだ声が降ってきていた。角笛は鳴ったのに、勝ったという感じがしない。僕は、膝の板から手を離せなかった。
(勝ったのに、次がない)
2回戦は、昼すぎだ。曲がった軸と、割れた輪を見比べた。今から直しはじめても、とても間に合わない。
機工院の職人たちが荷車を引いてきて、機体を砂地の外へ運んでいった。僕はそのあとを、ぼんやり追いかけた。
門の脇で、乗り手の組の教官が待っていた。
「膝か」
「はい……割れて、軸も曲がってます」
僕はうつむいた。
「棄権、ですよね」
教官は、すぐには答えなかった。上着の内側から、古い帳面を取り出す。表紙のすり切れた、規則の帳面だ。
教官は指で行をたどって、ある1行で止めた。
「新入りは、機工院の機体で出る」
それから、指を1行だけ下へずらした。
「ただし、試合で機体が壊れて戦えなくなったときは、自分の機体を使ってよい」
僕は、顔を上げた。
「……そんなの、書いてあったんですか」
「書いてある」
「どうして、前に教えてくれなかったんですか」
教官は、帳面を閉じた。
「前から言えば、わざと壊すやつが出る、自分の機体に乗りたい新入りはな」
僕は、何も言い返せなかった。言われていたら、ほんの少しでも考えなかったとは言えない。
「で、お前の機体は、どこにある」
答えるより先に、後ろから足音が走ってきた。
「こ、ここ、すぐそこ、です!」
ノアが前掛けのまま走ってきた。足を止めても肩は大きく上下していて、言葉が息に引っかかっていた。
「ひ、控えの小屋に、いるよ、膝も、指も、毎日磨いてた、から」
教官は、ノアと僕の顔を見くらべた。
「念のため、か」
「は、はい、念のため、です」
教官は、ほんの少しだけ鼻を鳴らした。笑ったのかどうかは、分からなかった。
「2回戦までに、乗り手の届けを書き直しておけ」
◇
控えの小屋の扉を開けると、スイレンが座っていた。
細い腕に、長い脚。膝の継ぎ目は、ノアの油でつやつやと光っている。
窪地で、斜面に背をあずけて座りこんでいたときと、同じ姿勢だった。
「ごめん、待たせた」
早く乗りたかったのに、借りた機体の曲がった膝が頭に浮かんだ。壊れてよかった、とは思いたくない。僕はスイレンの胸の板に手をかけたまま、ひと息ついた。
胸の板を開けて、座る場所に体をおさめる。取っ手は、ひんやりしていた。
最初の1行を唱える。
青い光が、胸の真ん中から全身へ走った。腰の後ろで細くならず、つま先まで、ひと息に届く。
帰ってきた。
流れの軽さに、思わず笑ってしまった。外にいるノアにも、今の感じを渡せたらいいのに。
昼すぎ、スイレンが砂地に出ていくと、石の段がざわついた。
「なんだ、あの細いの」
「古い型だ、あんなので戦えるのか」
◇
2回戦の相手は、長い槍の機体だった。
穂先へ、光が走る。
リオは、スイレンを半歩ずらした。
槍は、胸の板のすぐ横を突き抜けた。
借りた機体では、読めても足が追いつかなかった。
今は、読んだとおりに動く。
2度目も、半歩でかわした。
腰がぴたりと回り、左の膝は少しも揺れない。
3度目。
リオは紙一重でかわし、のびきった槍の柄を真上から叩いた。
人差し指が、剣の柄に最後まで巻きついている。
剣の先は、ぶれなかった。
槍が、砂に落ちた。
角笛が鳴ると、ざわめきが、わあっという声に変わった。
◇
胸の部屋から出ると、砂地のはしの柵に、ミアがもたれていた。
組み合わせの紙のとおりなら、次の相手はミアだ。
「やっと、その機体と戦えるのね」
ミアは、スイレンを見上げた。
「言っておくけど、わたしの機体のくせ、あなたが全部知ってることも、わたしは知ってるから」
それだけ言うと、編んだ髪をひるがえして行ってしまった。




