前と、別の機体みたい
次の日の夕方、僕とノアは、スイレンの腰の後ろに並んでしゃがみこんでいた。
明るいところで見ると、ずれはもっとはっきりしていた。古い板から来た線が、新しい板へ渡るところで、爪の先ほど横へ寄っている。
「昔、この板を直した人は、すごく丁寧だったと思う」
僕は、新しい板の線を指でなぞった。溝の幅も深さも、古い板とほとんど変わらない。
「元の線を、そっくりそのまま写そうとしたんだ、でも、板と板の境目だけ、つなぎ損ねた」
「で、でも、紋は線を1本も変えるなって、ぼくら、ずっと……」
「うん、変えなかったから、ずれたんだと思う」
ノアが、きょとんとした。
「線の形だけ写すと、境目のほんの小さなずれには気づけない、でも光は、そこを渡るときに細くなる」
試験の日、コクウの胸で見たのと同じだ。あのときは、そのすき間に助けられた。今度は、自分の機体のすき間を埋める番だ。
直すのは、板の境目だけだ。線を丸ごと動かさず、段差のところをなだらかにつなぐ。僕は古い線と新しい線を、指で行き来して確かめた。
僕は白墨を手に取って、整備場の床に線を描いた。角度を変えては、また描く。窪地で小枝を使っていたときと同じで、まだ刃は入れない。
ノアは、僕が床に描いた線を、黙ってじっと見ていた。
「彫ったら、もう戻せないんだよね」
「うん、だから、描けるうちに何回でも描くんだ」
床が白い線だらけになったころ、ようやく、どの角度でつなげばいいかが決まった。
ノアが灯りを持ち上げた。つなぎ目に落ちた影が短くなり、線の底まで見える。僕はそこへ、彫り刀の刃を当てた。
窪地で作った即席の彫り刀は、とっくに機工院の本物に替わっている。刃がよく通るぶん、手に力を入れすぎないように気をつけた。
少し彫っては、刃を離す。指の腹でなぞると、まだ段差が引っかかった。僕は彫り刀を持ち直して、もう少しだけ削った。
古い線の底から新しい線の底へ、指が引っかからずに渡るようになった。爪の先ほどのずれを埋めるのに、灯りの油を1回足すくらいの時間がかかった。
「流してみる」
胸の部屋に入って、細く流す。
「ノア、どう?」
外から、少しのあいだ返事がなかった。
「……細く、ならない」
ノアの声が、ふるえていた。
「つなぎ目のところ、前は光がいっぺんしぼんでたのに、今は、そのまま渡っていく」
僕は胸の部屋の中で、取っ手を握ったまま息をついた。
外の顔は見えないけれど、ノアも同じ光を見ている。もう一度流して、もう一度大丈夫だと聞きたくなった。
(よし)
◇
ノアの仕事は、職人頭に頭を下げるところから始まった。
「あ、あの、夕方から、削り台を使わせてもらっても……」
職人頭は、ノアと僕の顔を順番に見た。それから、整備場の奥のスイレンへ目をやった。
「……勝手にしろ、ただし、道具は元の場所に戻しておけ」
それだけ言って、どすどすと出ていった。ノアはしばらく、その場で固まっていた。
(怒鳴られなかった)
ノアがまず手に取ったのは、細い金具を2本組み合わせた道具だった。挟み尺というらしい。部品をはさむだけで、太さが目盛りで読める。
「僕、窪地では縄に結び目を作って測ってたんだ」
「な、縄……それで合わせたの?」
ノアは目をまるくしたまま、挟み尺を部品に当てた。細い金具が開いて、ぴたりと止まる。その手には、縄の結び目を数えていた僕みたいな迷いがなかった。
人差し指の節は、スイレンの左手の同じ節を手本にすることにした。左手の節は、窪地にいたころから割れずに残っている。古い型の、本当の形だ。
ノアは左手の節を何十回も測った。それから、ふと手を止めた。
「部品は、写していいんだよね?」
「部品はね」
2人で、ちょっと笑った。
それから毎晩、整備場の隅で削り台の音がした。ノアは膝の軸を3本削って、2本を自分で捨てた。僕には、どこが悪いのか分からなかった。
「端のほう、ほんの少し太いんだ、これだと、輪の中で引っかかる」
削り台から手を離したノアの指は、豆だらけになっていた。それでも、選びなおした軸を握る手は、すぐにまた台へ戻った。
先にできあがったのは、人差し指の節だった。
古い節を外して、ノアの節をはめる。僕が胸の部屋で指を握りこむと、スイレンの人差し指は、ほかの指とぴったり並んで、最後まで曲がった。
ノアは床から鋲を1本拾って、スイレンの手のひらの前に置いた。僕は指先だけで、そっとつまみ上げた。
親指と人差し指のあいだで、小さな鋲がぴたりと止まる。窪地では、石ころをつまむのがやっとだったのに。
「つ、つまめた……」
「ノアの節が、つまんだんだよ」
ノアはまた、前掛けのすそを握りしめていた。
大きな手の中で、鋲は本当に小さかった。これを見せたかったんだと思った。勝つために直していたのに、今はもう、つまめただけで十分うれしい。
◇
大会まで、あと8日になった夕方。
ノアの削った膝の軸を、左の膝に差しこむ。軸の先に少しだけ脂をつける。
軸は、すうっと奥まで入った。
人差し指の新しい節も、もう入っている。腰の後ろの段差も、僕が彫ってつないだ。
乗り手の組の練習が終わった広場は、がらんとしていた。スイレンを広場の真ん中まで歩かせるために、僕は胸の部屋へ入った。
取っ手を握る。
最初の1行を唱える。
青い光が、胸の真ん中から全身へ走った。
腰の後ろで、細くならない。
そのまま脚へ、つま先まで、ひと息に届く。
(流れが、軽い)
1歩、広場へ踏み出した。
足音が、ちがった。前は、左足をつくたびに、膝の奥でかたりと小さく鳴っていた。今は、ずしん、ずしんと、左右の足音がきれいにそろっている。
腰をひねる。体が、思ったところでぴたりと向きを変える。前は、腰のあたりで一瞬だけ遅れていたのだと、今になって分かった。
木の剣を握る。人差し指が、最後まで柄に巻きついた。
振る。
止める。
剣の先は、ぶれずに宙で止まった。
左足に体重をのせて、思いきり踏んばる。膝は、少しも揺れなかった。
広場のはしで、練習帰りの乗り手たちが足を止めていた。
「あれ、試験のときの古い型か?」
「動きが、ぜんぜん違うな」
胸の部屋から出ると、ノアが広場のまんなかで立ちつくしていた。
「ぼ、ぼくの、軸で……」
「ノアの軸と、ノアの見つけたずれだよ」
ノアは前掛けで顔をごしごし拭いた。拭いたあとも、目が赤かった。
ノアの後ろには、いつのまにかミアが立っていた。腕を組んで、スイレンを見上げている。
「……前と、別の機体みたい」
「でしょ?」
「あなたが言うと、なんだか腹が立つわね」
そう言いながら、ミアの口のはしは少しだけ上がっていた。
◇
次の朝、走りこみのあとで、乗り手の組の教官が申しこみの紙を配った。
名前と、乗る機体を書く欄がある。僕は迷わず書いた。
乗る機体、スイレン。
紙を受け取った教官は、そこで手を止めた。
「新入りは、機工院の機体で出る、それが機工院の決まりだ」
「え、でも、スイレンは僕の機体で」
「決まりは決まりだ」
教官は、紙を僕に突き返した。
「書き直せ、試験のときに乗った機体でいい」
突き返された紙には、スイレンの名前が残っていた。腰の線をつないで、膝も指も、ノアが一から削り出した。昨日の広場で、あんなに軽く動いたのに。
スイレンは、大会に出られない。
僕はその名前を見つめたまま、しばらく手を動かせなかった。それから、申しこみの紙を書き直した。
その日の夕方、整備場の奥へ行くと、ノアがスイレンの膝に油をさしていた。決まりのことを話すと、その手が止まった。
ノアは油さしを持ったまま、返事をしなかった。新しい軸の入った膝を見て、それから、僕を見た。
僕が先に決まりを聞いていれば、こんな顔をさせずに済んだのに。ノアの削った指は、あんなにきれいに動いた。無駄じゃないと言いたかったけれど、今言ったら慰めにしか聞こえなさそうだった。
「……じゃあ、ぼく、毎日ここを磨いておくね」
僕はうなずいて、それから、心の中でだけスイレンに言った。
いつでも出られるようにしておくから。




