第二百六十二話 経歴不明の見た目ょぅじょ
「見れば、いつぞやの魔法使いか。久方ぶりだな。何年振りだ?」
「さぁの。お互いに出不精じゃしな」
大賢者と九尾狐の気さくなやりとりに、学校長は驚かずにはいられなかった
魔法を操る幻獣が、並の魔獣を遥かに凌駕する高度な知能を有しているのは確かだ。であれば、その知能が人間の知能に匹敵する個体も存在して然るべき。
であるならば、人の操る言語を理解し操ることもまた、あって然るべきなのだ。
肉体構造ゆえに獣の体を持つ幻獣がそのまま人語を発することはできないが、魔力を介し空気の振動を操って言葉を発する程度の芸当は容易い。
学校長とてそれは知っていた。
驚いたのは、幻獣と大賢者が面識があった事実である。
「老師……あの幻獣とお知り合いで?」
「以前にちょいとな。もっとも、儂も、今の今まであやつのことはすっかり忘れておったがなぁ」
長命種である学校長にして、付き合いがそれなりに長いはずの大賢者の経歴は非常に謎が多い。少なくとも、二百年前に初めて出会った時から、大賢者は『大賢者』であった。おそらく、九尾狐との面識はそれより以前からのものなのであろう。
「なるほど。珍しい魔法にも関わらず妙に懐かしい感覚を覚えたと思っていたが、まさかそこの小僧は其方の弟子であったか。あの世捨て人が、よもや童に物を教える立場になるとは」
「百年前の儂も、おそらくは似た様な感想を抱きそうじゃ。が、これが案外に面白くてなぁ。お陰様で、出不精ってのも最近は返上中じゃ」
特に、弟子に取ったリースが魔法学校に入学してからというもの、足繁く王都を訪れては様々な甘味や料理に舌鼓を打っている。これもやはり、リースと出会う以前の大賢者には想像もできなかった未来である。
「どうじゃった、儂の愛弟子は。意外とやりおるじゃろ」
「……面白い小童には違いなかった。まだまだ未熟もいいところではあるがな」
「そうじゃろそうじゃろ。他ならぬこの儂が教えてるんじゃから、あのくらいはやってもらわんと困るんじゃがなぁ。わははははは」
実際に、良い一撃を喰らわされたのは事実であり、それが九尾狐の想像を上回ったのも確か。渋々とではあるが認めてやれば、大賢者は腕を組んで心底愉快げに笑う。教育方針は超スパルタではあるが、それはそれとして弟子が可愛くて仕方がない大賢者なのである。
「矛を収めていただき、誠に感謝いたします、森の主よ。そして、そちらの縄張りを荒らしてしまったことを、深くお詫びいたします」
学校長が胸元に手を当てて深く頭を下げると、九尾狐は面倒臭げに嘆息した。
「寝床の周囲が少し騒がしかったから、足を運んだだけだ。それに、我も先ほどは些か大人気なかった気がしなくもない。それ以上の謝罪は結構だ、長命種の男よ」
「別にこやつの縄張りというわけでもないしな。居心地がいいから森の奥に勝手に住み着いて、惰眠を貪ってる引き篭もりの狐じゃぞ」
「人のことを言えた口か、魔法使い」
「残念じゃったな。さっき言った通り、引きこもりは卒業したのでなぁ」
意地悪くケタケタ笑う大賢者に、九尾狐は人間で言うところの口を『へ』の字に曲げて唸る。
余談ではあるが、この森の主は実質的には九尾狐ではあるものの、大半の魔獣にとっての主は、九尾狐と遭遇する前にリースが倒した虎の魔獣であった。その魔獣にしても、九尾狐が住み着いてより以降に現れた個体であり、森の深淵にて寝息を立てる幻獣の存在には気が付いていなかったようだ。
大賢者を一頻りに睨みつけてから、改めて九尾狐は学校長へと鼻先を向けた。
「言った通り、騒ぎは済んだ。そこの小僧と遊んで溜飲もそれなりに下がった。我の健やかな眠りを妨げない限りで、これからもこの森で好きにしろ。ただし──」
「もちろん、二度とそちらに迷惑が掛からぬよう、原因を徹底究明した後に周知を徹底いたします」
「よかろう。であれば我としては貴様らに、これ以上とやかく言うつもりはない」
話はこれで終わりだ、と幻獣は森の奥へと踵を返す。と、僅かに振り返った目線の先にいるのは、穏やかな顔で意識を失っている少年。
「小僧が起きたら伝えておけ。久方ぶりに楽しませてもらった。もし再戦を臨むのであればまた来るがいい。我の気が向けば相手をしてやろう──とな」
最後に言い残してから、九尾狐は優雅な足取りで森の奥へと歩き去っていった。
その姿が完全に見えなくなり、魔力の気配が完全に薄れると大賢者は弟子を一瞥する。
「なんだか気に入られちまった様じゃな」
「怪我の功名……と言っていいのか。ともあれ、老師にお越しいただけて助かりました。私一人で九尾狐の相手をするのは些か荷が重かったので」
「弟子の面倒を任せている手前、このくらいは付き合うわい」
学校長──そして大賢者がこの場に居合わせたのはある種の偶然であった。
課外授業が行われた当日、大賢者はたまたまジーニアスに足を運んでおり、学校長とお茶をしていたのである。大賢者が持ち込んだ高級菓子と、学校長が用意した高級茶葉で緩やかなティータイムと洒落込んでいた時である。
課外授業に随伴していた教師の一人が、念の為にと魔法で学校に向けて急報を送ったのである。非常に超距離であっため具体的な内容は送れず、ただ『異常事態発生』とだけ分かる信号であったが、在校していた教師に届きそれが学校長に報されたのである。
学校長はお茶会の中断を詫び、急ぎ現場に向かう準備を始めたところで大賢者が待ったを掛けた。課外授業が行われている地域の話を聞いて、その奥に眠る幻獣の存在を思い出したのだ。これが、学校長と大賢者が現れた経緯である。




