第二百六十一話 憎たらしくもどこか愛らしく。この世界で最も頼り甲斐のある笑顔
全身全霊の一撃を見舞ったところでついにリースの纏っていた魔法が全て解除される。心身ともに限界はとっくの昔に超えていたのだ。まともな着地もできず無様に転がり、力なく四肢を投げ出し仰向けに倒れ込んで。
「はぁ……はぁ……はぁ……ど、どうなったんだ?」
薄らぼんやりとではあるが、九尾狐に渾身の一発を叩き込んだ事実だけは覚えているが、それ以前についての記憶がかなり曖昧であった。あの万能感は消え失せており、もはや万能感を抱いていたという事実すらも、リースは半ば忘れていた。
「あ……ぐぅ……んぁ……ふんぬぅ……ッ──」
頭痛はいつしかさっぱりと消え失せていたが、代わりに肉体の激痛が呼び覚まされていた。目尻に涙を浮かび上がらせ苦痛の呻き声を漏らしながら、どうにかこうにか上体を起こす。
「あぁぁぁ……そりゃそうだよなぁ」
リースが浮かべた苦笑いのその先では、彼に殴られ弾き飛ばされていた九尾狐が起き上がるところであった。
美しい金毛の至る所に泥や埃がこびりついており、優雅な九尾も毛並みが大きく乱れていた。
しかし、立ち上がる姿には力が籠っており、発せられる威はむしろ圧力を増していた。
顔を上げた九尾狐が浮かべているのは憤怒。
罪を犯した狼藉者に見せる王の怒りがそこにはあった。
どうやったか記憶は定かではないが、リースが最後に放った魔法は確かに幻獣へ届いた。だがしかし、その一撃はまさしくかの存在の『逆鱗』に触れるには十分すぎるものであったのだ。
「さすがにもうお手上げだぁ。──つって、素直に諦められるような修行もしてねぇけどな」
九尾狐が怒りを発しながら投影していく魔法を見据えながら、リースはほとんど力の入らない手を振るえながら持ち上げ、投影するのは防壁。
しかし、解き放たれた大火炎は前にしては明らかに無力であった。
──それでも、リースは諦めなかった。
この程度で降参していては、あの師匠の修行には到底耐えきれなかったからだ。
「黒渦」
まさしく灰を塵へと燃やし尽くす大火炎。それが、突如としてリースの目の前に現れた黒い点に余さず吸い込まれていった。まるで最初から炎など無かったかのように、その全てが失われていた。
「この魔法は──」
「実にいい根性じゃったぞ。さすがは我が弟子よの」
ポンっと、頭に手が置かれる感触に、ようやくリースはその存外に気がついた。
なぜここに──という疑問など、些細な問題だった。
憎たらしくもどこか愛らしく。この世界で最も頼り甲斐のあるその笑みがそこにある事実だけで、十分であった。
「あとは儂に任せておけ」
大賢者の会心の笑顔に、愛弟子は万感の想いを抱きながらも意識を失った。
頭を垂れて気絶するリースに、大賢者は息を漏らす。
「まったく……安心し切った顔をしよってからに」
弟子からの万感の信頼。けれども、悪い気はしなかった。
「さて、と」と、リースを一瞥してから、大賢者は幻獣へと向き直る。
己の魔法を無効化されてたことに僅かに動揺しつつも、すぐに持ち直した九尾狐は尾を広げると先端から数多の高熱線を発射する。一本が容易く鋼鉄をも溶解させる熱を秘めた高熱の閃光が、豪雨の如くに大賢者とその側にいるリースへと降り注ぐ。
「無駄じゃよ」
大賢者が無造作に杖を振るえば、更にいくつもの『黒点』が浮かび上がり、降り注ぐ熱線の全てが吸い込まれていった。
九尾狐は構わず、更に投影を重ねようと魔力を練り上げるが。
「そこまでにしてもらおう」
天から降り注ぐのは巨大岩石に業火球と、荒れ狂う水流。九尾狐は魔法の照準を三つの属性に変更し、迎撃しながら飛び退いた。魔法がぶつかり合い凄まじい衝撃が辺りに撒き散らされるも、相殺となった。
「そちらの縄張りを汚したのはこちら側であるのは百も承知。けれども、それを踏まえてなお、我が校の大切な生徒をこれ以上害するのであれば、見過ごすわけにはいかない」
リースの隣、大賢者の反対側に佇むのは、ジーニアス魔法学校の長ディスト・ユーベルグ。
次から次に来る闖入者に郷を煮やした九尾狐は、真紅の閃光を解き放つ。
「完全に頭に血が昇ってるのぉ──光波」
やれやれ、と肩をすくめるも大賢者が一瞬だけ鋭い目つきになると手をかざし魔法を投影。解放されるのは白い輝きの奔流。
白と赤の光が正面から衝突し、拮抗。やがては勢いを失い互いに消滅した。
「格下と思ってた小僧を舐め腐った挙句、油断して存外にいい一撃を貰って激昂する気持ちは分からんでもないが、そろそろ落ち着いたらどうじゃ」
大賢者は杖で自身の肩をトントンと叩き、側に佇む学校長を示しながら、大賢者は幻獣へと言葉を投げかける。
「腹の虫が治らんというのなら相手になってやらんでもないが、悪いがこちらは二人がかりだ。儂一人ならどうにかこうにかギリギリ相手になるかなどうかってところで、この辺りじゃ儂の次かその次くらいの上等な魔法使いが一緒じゃ。さすがに無理があるじゃろうて」
偉大なる大賢者にして最上級の評価に、場違いながら胸がジィンと震える学校長。対して九尾狐は謙遜しているのか馬鹿にしているか絶妙なラインを反復横跳びしている評価に口端を引き攣らせた。
「……ここは儂の顔を立てると思って、魔法を収めてくれんかのぅ」
ただ、そのおかげで九尾狐もある程度の冷静さを取り戻し始めていた。九本の尾から魔力は霧散し穏やかに揺れ始める。後ろ足を畳み、悠然とした姿を見せる。
そして──。
「よかろう。そちらの申し出を受け入れようではないか」
九尾狐の口から発せられたのは間違いなく、聞くだけで美しさと威厳を彷彿とさせずにはいられない、澱みのない流暢な人間の言葉であった。
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