第八話 鎌倉編(源義経)・後編
風が、強く吹いた。
冷たい空気が、頬を刺す。
遠くで、足音が迫っている。
追手。
そして――
その前を走る、一人の男。
「……あれが」
「そうだ」
ルルが静かに答える。
「源義経」
トシノリは、目を細めた。
小柄な背中。
だが、その動きには無駄がない。
どこか――
“終わり”を受け入れているようにも見えた。
「……逃げ切れないな」
「可能性は低い」
ルルは淡々と言う。
「だが、ゼロではない」
「……」
トシノリは、一瞬だけ迷う。
生き延びる可能性。
大陸へ渡る未来。
そして――
チンギス・ハーンという、ありえたかもしれない歴史。
だが。
「……俺は」
ゆっくりと、言葉にする。
「見る」
ルルは、何も言わない。
ただ、その選択を受け入れる。
「最後まで」
一歩、前に出る。
「結末を、ちゃんと見る」
その瞬間。
空気が、変わった。
景色が、収束する。
可能性が、一つに絞られていく。
「……確定が始まる」
ルルの声が、低くなる。
追手が、迫る。
距離が、縮まる。
やがて――
場面が切り替わる。
建物の中。
静かな空間。
外の騒がしさとは対照的に、異様なほど落ち着いている。
「……ここが」
「最期の場所だ」
ルルが答える。
トシノリの鼓動が、速くなる。
奥に、一人。
座っている。
先ほどの男――義経。
その表情は、静かだった。
恐れも、焦りもない。
ただ――
覚悟だけがあった。
「……来るな」
トシノリが呟く。
外の気配が、近づく。
扉の向こう。
終わりが、迫っている。
「……これが」
トシノリは、拳を握る。
「本当に、最後なんだな」
「そうだ」
ルルの声は、変わらない。
だが、その響きはどこか重かった。
義経が、ゆっくりと顔を上げる。
誰もいないはずの空間。
だが――
その視線は、まっすぐこちらを向いていた。
「……!」
トシノリの息が止まる。
「見えている……?」
「いや」
ルルが小さく首を振る。
「感じているだけだ」
義経の目は、静かだった。
まるで――
すべてを理解しているかのように。
そして。
ゆっくりと、目を閉じた。
外で、音がする。
扉が破られる気配。
時間が、わずかしかない。
「……トシノリ」
ルルが静かに言う。
「これが、観測の最終段階だ」
「……ああ」
「今、君は“確定させている”」
その言葉と同時に。
世界が、完全に収束した。
音が、遠ざかる。
景色が、溶ける。
そして――
再び、白。
未観測の空間。
「……終わった」
トシノリは、静かに言った。
「源義経は、ここで死んだ」
「そうだ」
ルルが頷く。
「君が観測したことで、それは確定した」
トシノリは、しばらく何も言わなかった。
やがて――
「……なんかさ」
ぽつりと呟く。
「悲しいな」
「……」
「生きてたかもしれないのに」
ルルは、静かに答える。
「可能性は、常に存在する」
「……でも」
「君は、それを選ばなかった」
トシノリは、小さく頷く。
「……ああ」
しばらくの沈黙。
やがて――
「でも、見てよかった」
その言葉は、はっきりしていた。
「なぜだい」
「ちゃんと、終わったって思えるから」
ルルは、わずかに目を細めた。
「なるほど」
短い言葉。
だが、どこか納得しているようだった。
その時。
空間が、大きく揺れた。
「……っ!」
トシノリが顔を上げる。
あの存在。
今までで一番、はっきりしている。
形が、ほぼ完成している。
「……近い」
ルルの声が、低くなる。
「かなりまずい状況だ」
「何なんだよ、あれ」
「……まだ分からない」
だが、その視線は鋭い。
「ただ一つ言える」
一拍。
「あれは、“観測される側ではない”」
「……!」
「つまり――」
存在が、一歩踏み出す。
「こちらを観測している可能性がある」
その言葉に、背筋が凍る。
「……は?」
「君が“見る側”だと思っていた世界は」
ルルが静かに言う。
「すでに、“見られている側”かもしれない」
沈黙。
理解が、追いつかない。
だが――
確実に、何かが変わった。
「トシノリ」
ルルが言う。
「次で、核心に入る」
「……次?」
「空白の四世紀」
その言葉が、重く響く。
「記録がほとんど存在しない時代」
「……」
「つまり――」
一拍。
「最も“危険な未観測領域”だ」
白い空間が、大きく歪む。
世界が、崩れる。
次の舞台へと、引きずり込まれる。
トシノリは、無意識に拳を握った。




