第七話 鎌倉編(源義経)・前編
第七話 鎌倉編(源義経)・前編
冷たい風が、頬を打った。
さっきまでの湿った空気とは違う。
乾いていて、鋭い。
「……寒いな」
トシノリは、思わず肩をすくめた。
視界の先には、山。
荒々しい地形が広がっている。
「東北地方」
ルルが静かに言う。
「平泉に近い」
「……平泉って」
「源義経が最期を迎えたとされる場所だ」
“とされる”。
その言葉が、妙に引っかかる。
「……またそれか」
トシノリは苦笑する。
「死んだ“はず”ってやつだろ」
「そうだ」
ルルは淡々と頷いた。
「だが今回は、本能寺よりも曖昧だ」
「どういうことだ」
「記録が少ない」
一拍。
「そして、生存説が多い」
トシノリは、ゆっくりと周囲を見る。
静かだ。
人の気配は、ほとんどない。
だが――
「……いるな」
遠くに、小さな動き。
数人の影。
「追手だ」
ルルが言う。
「義経を追っている」
「……ってことは」
「最期の直前だ」
トシノリの鼓動が、少し速くなる。
「……ここで死ぬのが、歴史なんだよな」
「一般的にはね」
ルルは少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「だが」
「だが?」
「“ここで死ななかった”という説もある」
トシノリは、小さく息を吐く。
「……来たな」
「何がだい」
「IFルート」
ルルはわずかに目を細めた。
「理解が早い」
「もう慣れてきたよ」
苦笑する。
だが、その目は真剣だった。
「で……その生き延びた後って」
「諸説ある」
ルルは続ける。
「北へ逃れた。大陸へ渡った」
「……」
「そして」
一拍。
「チンギス・ハーンになったという説もある」
「……マジかよ」
思わず声が出る。
「さすがに飛びすぎじゃないか?」
「そう思うのが普通だ」
ルルは淡々と答える。
「だが」
「……だが?」
「未観測である以上、否定はできない」
トシノリは、頭をかく。
「なんでもありだな……」
「そうでもない」
ルルは静かに言う。
「可能性には、濃淡がある」
「濃淡?」
「現実的なものと、そうでないもの」
「……チンギス・ハーン説は?」
「極めて薄い」
即答だった。
「だよな」
トシノリは笑う。
だが――
「ただし」
ルルの声が、少しだけ低くなる。
「ゼロではない」
「……」
「それが、“未観測”だ」
その言葉が、静かに響く。
トシノリは、少しだけ考える。
「……なあ、ルル」
「何だい」
「今回は、どうするのが正解なんだ?」
ルルは、すぐには答えなかった。
やがて――
「正解はない」
いつもの答え。
「だが、選択肢はある」
「聞かせてくれ」
「三つだ」
ルルは指を立てる。
「一つ」
「ここでの最期を観測する」
「つまり、死を確定させる」
「そうだ」
「二つ」
「逃亡後を観測する」
「……生き延びるルートか」
「そうなる」
「三つ」
ルルは、わずかに間を置いた。
「観測しない」
「……またそれか」
「だが、今回は意味が違う」
「どう違う」
「この件は、すでに多くの“説”が存在している」
ルルの視線が、遠くを見る。
「つまり」
「観測しないことで、“複数の可能性”を維持できる」
「……」
トシノリは、黙り込む。
選択肢は分かりやすい。
だが――
「……迷うな」
正直な言葉が出た。
「当然だ」
ルルは淡々と答える。
「今回は、“ロマン”と“史実”の衝突だからね」
「……ロマンか」
トシノリは、小さく笑う。
「チンギス・ハーン説、ちょっとワクワクするしな」
「否定はしない」
ルルもわずかに笑った気がした。
その時だった。
空気が、揺れる。
「……!」
トシノリが振り返る。
そこに――
“何か”がいる。
あの白い空間で見た存在。
だが、前よりもはっきりしている。
「……来てるな」
「そうだ」
ルルの声が低い。
「干渉が強くなっている」
「……やばいのか」
「確実にね」
その存在は、ゆっくりと近づいてくる。
音はない。
だが、空気が歪む。
「……時間がない」
トシノリは、前を向く。
遠くに――
人影。
追われる者。
「……あれが」
「義経だ」
ルルが言う。
その背中は、小さい。
だが――
どこか、強い。
「……どうする」
ルルが問う。
「トシノリ」
風が、強く吹く。
追手が、迫る。
存在が、近づく。
すべてが、同時に進んでいく。
「選べ」
その一言が、すべてだった。
トシノリは、ゆっくりと息を吸う。
そして――
前を見た。
つづく




