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第三話 近江屋事件・前編

第三話 近江屋事件・前編



 新幹線の窓の外で、夜の景色が流れていく。




 さっきまでいた京都の灯りは、もう遠い。




「……静かだね」




 ルルが、ぽつりと言った。




 昼間の賑わいが嘘のように、車内は落ち着いている。




「そうだな」




 トシノリは、窓に映る自分の顔を見た。




 どこか、さっきまでとは違って見える。




「なあ、ルル」




「何だい」




「本能寺のこと……まだ頭が整理できてない」




 ルルは何も言わない。




 ただ、続きを促すように視線を向ける。




「俺が見たから、信長は死んだ」




 ゆっくりと言葉にする。




「でも、見なければ生きてたかもしれない」




「可能性としてはね」




「……それってさ」




 トシノリは、小さく息を吐いた。




「歴史って、決まってないってことか?」




 短い沈黙。




 新幹線がトンネルに入る。




 一瞬、窓が暗くなる。




「半分は、そうだ」




 ルルが静かに答えた。




「半分?」




「多くの歴史は、すでに何度も観測されている」




「……ああ」




「だから、結果はほぼ固定されている」




 トンネルを抜け、再び光が戻る。




「だが」




 ルルは続ける。




「細部や過程には、“揺らぎ”が残る」




「揺らぎ……」




「誰が見たか。いつ見たか。どこを見たか」




 ルルの声は、淡々としていた。




「それによって、微妙に形を変える」




 トシノリは、窓の外を見つめる。




「……じゃあさ」




「何だい」




「完全に決まってない歴史もあるのか?」




 ルルは、一瞬だけ間を置いた。




「ある」




「……!」




「記録が曖昧なもの。証拠が少ないもの」




 そして――




「あるいは、“誰も観測していないもの”」




 トシノリの心臓が、わずかに跳ねる。




「……そんな場所、あるのか」




「あるとも」




 ルルは静かに言った。




「君たちが“空白”と呼んでいる領域だ」




「空白……」




 その言葉が、妙に引っかかる。




 だが、今はそこじゃない。




「……そういえば」




 トシノリは思い出す。




「今日、もう一つ行ったよな」




「近江屋だね」




 ルルはすぐに答えた。




「坂本龍馬が暗殺された場所」




「……そうだ」




 昼間の記憶が蘇る。




 観光客。静かな建物。説明板。




 だが――




「今なら分かる気がする」




 トシノリは小さく言った。




「あそこも、“観測の場”なんだな」




 ルルは、わずかに目を細めた。




「理解が早いね」




「龍馬も……同じなのか?」




「基本的には同じだ」




「……」




 トシノリは、少し迷う。




 そして、口を開いた。




「なあ、ルル」




「何だい」




「龍馬って、どんな人だったんだ?」




 ルルは少し考えるように視線を落とした。




「君の言葉で説明してみるといい」




「俺が?」




「その方が、理解は深まる」




 トシノリは、苦笑する。




「丸投げかよ」




「必要なことだ」




 淡々とした返答。




 だが、どこか意図を感じる。




「……分かったよ」




 トシノリは、ゆっくりと言葉を選ぶ。




「龍馬は……戦わずに、時代を変えようとした人だ」




「ほう」




「普通なら、どっちかが勝って終わるはずだった」




 窓の外に、街の灯りが流れる。




「でも龍馬は、敵同士を組ませた」




「薩摩と長州、だったね」




「そう。“薩長同盟”」




 ルルは静かに頷く。




「合理的だ」




「だろ?」




 トシノリは少しだけ笑う。




「勝つんじゃなくて、終わらせることを選んだ」




 少しの沈黙。




「……だから、狙われたのかもしれない」




 その言葉は、自然に出てきた。




「どういう意味だい」




「だってさ」




 トシノリは視線を落とす。




「どっちの側から見ても、都合が悪いだろ」




「……」




「幕府から見れば敵だし、新しい時代を急ぐ人間から見ても邪魔になるかもしれない」




 ルルは何も言わない。




 ただ、静かに聞いている。




「だから……」




 トシノリは言葉を続ける。




「誰が殺したかより、“なぜ殺されたか”の方が重要なんじゃないか」




 ルルは、わずかに目を細めた。




「興味深い視点だ」




「……そうか?」




「本質に近い」




 短い評価。




 だが、はっきりとした肯定だった。




「……なあ、ルル」




「何だい」




「もしさ」




 トシノリはゆっくり言う。




「龍馬の暗殺の瞬間を見たら――」




 言葉が、少しだけ重くなる。




「犯人、分かるのか?」




 ルルは、静かに答えた。




「可能性は高い」




「……」




「だが」




 一拍。




「それは同時に、“犯人を確定させる”ことでもある」




 トシノリの呼吸が、わずかに止まる。




「……つまり」




「君が見た結果が、“歴史になる”」




 車内に、アナウンスが流れる。




 次の停車駅を告げる声。




 現実の音。




 だが――




 話している内容は、もう日常ではない。




「……選ばないといけないんだな」




 トシノリは呟く。




「見るか、見ないか」




「そうだ」




 ルルは静かに頷いた。




 新幹線が、ゆっくりと減速していく。




「トシノリ」




「……何だい」




「近江屋は、すでに“近い”」




「……え?」




 その瞬間。




 窓に映っていた夜景が、歪んだ。




 光が、引き伸ばされる。




 音が、遠ざかる。




「……来る」




 ルルの声が、わずかに低くなる。




 次の瞬間――




 世界が、切り替わった。


つづく

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