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巫のまつりごと  作者: 一靑華巳
初夏
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58/61

酒肴

 あれから数日が経った夕刻。白練様が五光亭を訪れた。


「元気にしておったか?」


 聞き慣れた声に、私は元気よく答える。


「はい。おかげさまで」


 傷もすっかり良くなり、鉛のように重かった身体も元通り。経過観察の為、もう一日だけ休みをいただいたものの、今では仕事にも復帰している。


 余花さんと照葉さんには、決闘の一部始終を話した。流石に前夜譚は省いたが、それでも昼食時には質問攻めにされてしまった。


 結果として、領主様に対する「野蛮な鬼」という印象は少し和らいだようで、良しとする。


「実は、胡和に渡したい物があってな」


「渡したいもの……?」


 白練様はそう言うと、後ろ手に隠していた一冊の書物を掲げた。


「それって……」


 見えた表紙に息を呑む。それは、決闘前夜に彼が破いた私の漢詩集だった。気付けば文机の上から消えていて、ずっと探していた本。


 もう二度と戻らないかもしれないと、半ば諦めかけていたものだった。


「鬼神が、胡和に渡してくれとな」


 恐る恐る受け取る。指先で表紙をなぞり、そっと頁を開いた。


 破れた箇所は継ぎ合わせられ、細かな補修の跡こそ残っているものの、丁寧に直されている。


「つぎはぎはあるけれど、綺麗に直ってる……」


 私は、漢詩集をそっと胸に抱く。失われたと思っていた本が戻ってきた嬉しさに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 破いたのだから、直して当然である。けれど、それでも修復してくれたことへの感謝は、直接彼に伝えたい。


「領主様は……」


 自然と、そのひとの事が口をついて出た。


「……あれから、いかがお過ごしでしょうか」


 白練様は、何かを察したように頷いた。


「傷なら、右手以外はほとんど治っておるぞ」


「そう、ですか……」


 刀を強く握り締めたせいだろう。胸が騒つくが、自業自得だ。


「公務にも出ておるし、心配は要らぬ。彼奴は働き者じゃからな」


 白練様は呆れたように肩を竦めた。


「そう……」


 知らず知らずのうちに、胸の奥に溜まっていた息が零れる。一時は騙されたけれど、白練様もこう言っていることだし、きっと大丈夫。


 けれど、今更お見舞いに行くのはおかしな話だ。何か他に会う口実があれば……。


「白練様なら、領主様のお好きなもの、何か分かりますか?」


 何気ない風を装って尋ねる。


「うーむ。好きな物か……」


 顎に手を当て、大袈裟に考え込む白練様。


「それなら、やはり酒かの」


「あぁ……」


 思わず納得してしまった。確かに領主様は、というか鬼は酒好きな印象がある。


 実際、彼が日本酒を飲んでいる姿を何度も見ているし。


「お好きな銘柄などは……」


 そう尋ねた瞬間、白練様がふんっと胸を張る。


「胡和よ。我を誰かと心得る!」


「えっと……、伏見稲荷のお狐様?」


「そうじゃ!」


 待ってましたと、言わんばかりの勢いで頷く白練様。


「伏見は日本でも名だたる酒処! 伏見の酒こそ天下一品、世界一!」


 拳を握り締めながら熱弁する姿が、あまりにも可愛らしい。故郷への誇りを忘れない彼女は素敵だと思う。


「ふふ……。では、伏見の美味しいお酒を見繕っていただけないでしょうか」


「任せておけ!」


 胸を叩く音が聞こえそうな勢いだった。


 これでお酒は決まった。となると──────


「お酒のアテは、何が良いでしょうか?」


「我なら、お稲荷さんが好きじゃが」


 白練様は当然のように言う。


「まぁ、適当で良いじゃろ」


「て、適当……」


 思わず顔が引き攣った。“適当”が一番難しいのだけれど。


 好き嫌いはあるだろうし、何より酒との相性もある。御礼をするなら失礼がないようにしなきゃ。


「うむ。頑張るのじゃぞ」


 白練様は面白そうに笑った。


 そんなこんなで、私は料理本や献立帳を読み漁り、とりあえず酒の肴になりそうな料理を探し始めたのだった。



 翌日の夜。白練様は一本の酒瓶を携えてやって来た。


 京都・伏見は、日本を代表する名水の地として知られている。


 豊かな地下水に恵まれ、まろやかで口当たりの良い日本酒を数多く生み出してきた。その柔らかな味わいから、「女酒」と呼ばれることもある。


 京都では『月桂冠(げっけいかん)』や『黄桜(きざくら)』が有名だけれど、白練様が持って来たお酒は……。


「蒼空(そうくう)……?」


 瓶のラベルを読み上げると、白練様が満足げに頷く。


「如何にも。青空のように爽やかで、優しい味わいの酒じゃ」


「なるほど……」


 栓を開ける前から、期待が膨らむ。これは、なかなか美味しそうだ。せっかくなら、この酒に合う肴を用意したい。


 私は、台所へ向かいながら振り返った。


「白練様も味見に協力していただけませんか?」


「もちろん」


 白練様の目が、楽しそうに細められる。


「味見なら、大歓迎じゃぞ!」


 その反応に、私もつられて笑みが零れた。


 それでは早速。先ずは、白練様の提案通りにお稲荷さんから作ることにした。


 関西風らしく、味付けは薄口醤油を使っている。濃口醤油を用いる関東のいなり寿司よりも色合いは淡く、味わいも幾分あっさりとして、出汁の風味が強い。


 傍らでは、先に炊いておいたご飯がふっくらと湯気を立てていた。炊飯器など無いので、小さなミルクパンで炊いたもの。


 ボウルへ移し、すし酢を回しかける。しゃもじを入れるたび、湯気と共に米の甘い香りがふわりと立ち昇った。


「白練様、お願いします」


「任せろ……!」


 白練様はうちわを手にぱたぱたと優しい風を送る。胡麻を振り、大葉と茗荷を細く刻んで散らすと、しゃもじで切るように混ぜ合わせる。


 爽やかな香りが加わり、酢飯も随分と華やかになった。


「綺麗じゃのう」


「あとは、詰めるだけですね」


 煮汁をたっぷり吸った油揚げをそっと開く。破れないよう慎重に指先を滑らせ、酢飯を詰めていく。


 欲張って、詰め込み過ぎてはいけない。ふっくらと余裕を持たせた方が口当たりも良くなる。


 形を整え、最後に三角形へと整えた。因みに、稲荷寿司が三角形なのは、お狐様の耳や稲荷山の形を模しているからだと云われている。


「おぉ……」


 白練様が感心したように声を漏らす。ずらりと並んだ稲荷寿司は圧巻だ。早速、食べてもらい、お味の感想を。


「美味い……! これは酒が進みそうじゃな」


「たくさん作って、管狐達にもお裾分けしましょうか」


「うむ、きっと喜ぶぞ」


 私は次の食材へと手を伸ばした。当日は五寸の二段重に詰めて持って行くつもりだ。もう二、三品作りたいところ。


 やはり、お弁当の定番である出汁巻き玉子は外せない。あとは、個人的におすすめしたい焼き鳥とつくねにしよう。


 それから……純米酒と合わせるなら、もっとコクのある料理を入れたい。


 角煮、味噌煮、照り焼きも良いな。


「あと一品、何が良いかな……」


「そうじゃ、忘れておった」


 白練様が何処からともなく、紫色の丸々とした物体を取り出す。


「それって、もしかして……」


「賀茂なすじゃ! つまみに持ってこいじゃと思ってな」


 そういえば、ちょうどこの時期に出回り始める京野菜。旬はもう少し先だけれど、悪くないかもしれない。


「では、最後の一品は賀茂なすの田楽にしましょうか」


 普通のナスよりも肉厚でジューシー、ずっしりとした重さがある。輪切りにした賀茂なすをフライパンに並べ、多めの油でじっくり焼いていく。


 じゅう、と音を立てて表面が色付いてきた。


「良い具合ですね」


 その間に、味噌、お酒、みりん、砂糖を小鍋で煮詰める。木杓子で混ぜる度、とろりと艶が増していった。


 甘く香ばしい香りが湯気と共に広がり、思わず頬が緩んでしまう。


「味噌の良い香りじゃ……」


 今回は普通のお味噌に加えて、赤味噌と白味噌も用意する。焼き上がった賀茂なすを皿へ移して、それぞれの田楽味噌をたっぷりと塗った。


 白練様が頬張り、次いで私も一口食べてみる。


「何とも、美味……!」


 表面は香ばしく、中は驚くほどとろりとしていた。噛む度に賀茂なすの甘みと味噌の旨味が口いっぱいに広がる。


 赤味噌は力強く濃厚で、普通の味噌は親しみやすい味わい。そして、白味噌は優しい甘さが際立っていた。


「味噌の種類によって、こんなに表情が変わるんですね……!」


「個人的には、白味噌が好きじゃな」


「確かに、甘くて美味しいです」


 どれも甲乙つけがたい。しばらく悩んだ末、当日は三種類とも作ることにした。食べ比べてもらうのも面白いだろう。


 気付けば台所には完成した料理がずらりと並んでいた。甘辛い香り、出汁の香り、煮詰めた味噌の香り。まるで宴の支度でもしているみたい。


「ほぼ、私達の独断と偏見で作ってしまいましたね……」


 思わず苦笑が漏れる。彼は、本当に喜んでくれるだろうか。お口に合わなかったら、とそんな不安が胸の奥で小さく揺れた。


「そんな顔をせずとも。彼奴なら喜んで食べてくれる」


 白練様はそう言って、笑った。


「……だと良いのですが」


 並んだ料理を見詰める。どれも、自分なりに一生懸命作ったものだ。だからこそ、少しだけ怖かった。


 けれど今更、引くに引けないまま、その日は床に就いた。

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