和解
「領主様……!」
「……?」
彼は怪訝そうに顔を上げる。
「何だ、騒がしい」
「容態が、お悪いと聞きまして……」
息を切らせながら言うと、領主様は酒盃を傾けながらこちらを見た。
「見ての通りだが、わざわざ見舞いにでも来たのか?」
彼は、やれやれという風に言ってくれる。
眼帯をして、頭と胸元には包帯が巻かれている。確かに重傷ではあるのだろう。
だが、思っていたより遥かに元気そうだった。酒瓶が転がっているところを見ると、むしろ勝利の祝杯でも挙げていたのではないだろうか。
「だって、白練様が……」
そこまで言いかけて、ふと違和感を覚えた。
あの時の白練様の顔は、妙に深刻そうだった。今の状況を踏まえると、自ずと答えに辿り着く。
「お前も簡単に騙されるな」
「酷いです。心配して損しました」
張り詰めていた緊張が一気に解ける。安心した途端、全身の力が抜ける。どれだけ心配したと思っているのか。
「分かったなら、宿に帰ったらどうだ」
領主様は、興味なさそうに酒を口へ運ぶ。
「長居されても、鬱陶しいだけだからな」
「なっ……」
思わず、言葉に詰まる。
「酒が不味くなるだろ」
この鬼は、怪我を負っても相変わらずだ。心配した私が馬鹿みたい。
けれど、胸の奥に引っ掛かっているものだけは消えない。
あの時、自分が振るった刃の感触を思い出す。私は、そっと拳を握り締めた。
「ごめんなさい……」
声が震えた。本当はもっと色々言いたかった筈なのに、それだけで精一杯だった。
怪我を負わせてしまったこと。勝負のことや誓約書のことも。伝えたい言葉は山程あったはずなのに、口から出てきたのは、たった一言だけだった。
領主様はそんな私を見て、僅かに片目を細めた。
「何故、謝るんだ?」
「それは……」
言葉に詰まる。私が傷付けたから、迷惑をかけたから。理由は色々あるはずなのに、上手く纏まらない。
沈黙が落ちる間に、領主様は静かに盃を傾けた。酒が喉を通る音だけがやけに大きく聞こえる。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「お前は、いつも気負い過ぎるな」
責めるでもなく、呆れるでもなく、ただ事実を告げるような声音だった。
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛む。
「……ごめんなさい」
領主様は小さく息を吐く。
そして──────
「お前も飲め」
思わず顔を上げる。包帯の巻かれた手には、小さなお猪口が握られていた。
まさか、こんな流れになるとは露ほども思わず。
「私……、ですか?」
「他に誰がいる」
呆れたような声が返ってくる。促されるまま、おずおずとお猪口を受け取った。
すると、領主様は徳利を傾ける。とくとく、と静かな音を立てながら、日本酒が注がれていく。酒面が縁ぎりぎりまで満ちた。
「ちょっと、多くありません?」
「気のせいだろ」
絶対に気のせいではない。反論しようと口を開きかけたが、その前に領主様は自分の盃を口元へ運んでいた。
こくり、と喉が鳴る。まるで、これ以上の議論は無意味だと言わんばかりに。
私は、諦めて手の中のお猪口へ視線を落とす。傷を負わせた相手。左目を奪ったかもしれない相手。
そんな相手と肩を並べて酒を飲む日が来るなんて、数日前の私なら想像もしなかっただろう。
「いただきます……」
恐る恐るお猪口を傾ける。ふわり、と甘い香りが鼻を抜けた。思っていたよりも、ずっと優しい香り。
唇を濡らし、ほんの少しだけ口に含む。
「……」
美味しい。予想していたような、強い刺激は無かった。
まろやかな甘味がゆっくりと広がり、喉を通る頃には心地良い余韻へと変わっていた。
けれど、次の瞬間。身体の奥から、じわりと熱が込み上げてくる。
「……あれ?」
頬が熱い。視界がほんの少し揺らぐ。
どうやら、かなり度数が高いお酒らしい。身体がふわふわと浮き上がるような、不思議な高揚感に包まれる。
先程まで胸を押し潰していた罪悪感も、張り詰めていた緊張も、ほんの少しだけ遠のいた。
「……」
隣を見ると、領主様は相変わらず無愛想な顔で酒を飲んでいた。
そんな私の様子を横目で見て、小さく鼻を鳴らす。
「全く」
呆れたような声。
「そんな顔をするくらいなら、最初から謝るな」
素っ気ない言葉だった。けれど、不思議と冷たくは聞こえない。むしろ、これ以上気にするな、とそう言われたような気がした。
「だって……」
熱い。酒のせいなのか、それとも別の理由なのか、自分でもよく分からなかった。お猪口を握る指先に、じんわりと熱が籠もる。
「本当に心配したんですから」
思わず零れた言葉に、領主様は酒を飲みながら答える。
「そうか」
「左目が駄目になったかもしれないとか、死にかけてるみたいな話まで聞いて」
「そうか」
「ちゃんと、聞いてます?」
淡々とした返事に、思わず頬を膨らませる。絶対に反省していない。
いや、そもそも騙したのは白練様なのだが、それでも何だか腹が立つ。
「私、どうしても勝ちたかったんです」
「知っている」
短い返事。けれど、それだけでは足りなかった。
私は首を横に振る。
「違うんです……」
言葉を探す。胸の中にある想いは確かに存在するのに、上手く形にならない。
「領主様だから……」
声が小さくなる。
「私の気持ちをぶつけても、きっと受け止めてくれるって」
視線が落ちる。酒の揺れる水面が、ぼやけて見えた。
「甘いですよね、私」
努力が足りない。結果を出せ。もっと頑張れ。出来ないなら価値がない。
そんな言葉をずっと投げかけられていた私は、自分自身を固く閉ざしてしまった。
「負けたくなかったのは、」
気付けば、拳を握り締めていた。
「私のことを認めて欲しかったから──。私の想いを分かって欲しかった」
本音が零れる。静寂の中、私はお猪口に注がれた酒の透き通る色を見詰めていた。
少しして、彼は宣う。
「……馬鹿だな、お前は」
「なっ……」
反射的に顔を上げる。領主様は酒盃を傾けながら、こちらを見ていた。
呆れているようにも見える。けれど、その口元はほんの僅かに緩んでいるようにも見えた。
「俺は最初から、お前を認めている」
その言葉に、胸の奥が大きく揺れる。
「……え?」
思考が止まる。今、彼は何と言ったのだろう。
認めている? 私を?
「勝敗など関係ない」
励まそうとしている訳でもなく、慰めようとしている訳でもない。淡々とした声音。
「お前は十分戦った」
どくん、と心臓が鳴る。胸の奥に積み重なっていた何かが音を立てて崩れていく。
気付けば、視界が滲んでいた。
私は、勝たなければならないと思っていた。結果を出さなければ、認められないと思っていた。けれど、彼は違ったのか。
「だが、あくまで勝負は勝負だからな。悪いが、当分の間はこの五都に居てもらう」
「それは……」
思わず苦笑する。確かに、認められたからといって、誓約が消える訳ではない。
「まぁ、二言はありません」
涙を拭って、深く頷く。あの誓約書は覆せなかった。それでも、不思議と嫌な気分ではない。
「……ありがとうございます」
勝負には負けたけれど、何も得られなかった訳ではない。むしろ、私が本当に欲しかったものは、最初から此処にあったのかもしれない。
領主様は相変わらず、不愛想な顔で酒を飲んでいる。
けれど、私はほんの少しだけこのひとに近付けたのかもしれない。もっと知りたい。もっともっと、彼のことを知れたら。そんな淡い期待が、胸の奥で静かに灯るのだった。




