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巫のまつりごと  作者: 一靑華巳
皐月
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決戦

 決戦当日。昨夜の激情など嘘だったかのように、雲一つない青空。澄み切った空が、どこまでも高く広がっていた。


 けれど、胸の内だけは違う。


「悔いが残らないように、全力を尽くす」


 独(ひと)り言(ご)ちて、胸に手を当てる。結局、昨夜はほとんど眠れなかった。瞼を閉じる度に脳裏へ浮かぶのは、領主様の冷え切った瞳。そして、肉を断った瞬間の、あの生々しい感触。


 真っ向から斬り合って、果たして私に勝ち目はあるのだろうか。


 胸の底から這い上がる不安を振り払うように、私は袴へ着替える。長い髪を後ろで一つに結わえ、鍔芽様と心を一つにした。


 五光亭前に着けられた網代車に乗り込み、私たちは奈良の地を目指す。



 しばらくして、目的地へ到着。車を降りた瞬間、ひやりとした風が頬を撫でた。


 視線を上げると其処には既に、領主様の姿が。悠然と立つその姿は、まるで自分の勝利を確信しているかのようだった。


「遅かったな。怖気付いて、逃げ出したのかと思ったが。どうやら杞憂だったようだ」


 口元には愉悦を滲ませた笑み。まるで、獲物を前にした鬼そのものだ。


 彼の挑発するような物言いには動じない。


「怪我の具合はいかがでしょうか。思いの外、深く斬り込んでしまったので」


「お前には言ってなかったが、俺の肉体は再生する。昨夜の傷も、とうに治った」


 不死身の肉体か……、こちらとしては分が悪い。まともに斬り合えば、私の方が先に力尽きてしまうだろう。


 けれど、


『怯むな』


 頭の奥で、鍔芽様の声が響いた。


『妖刀の傷は、ただのそれとは違う』


 静かな声だった。その一言で、不思議と心が落ち着いていく。


「それでは、始めましょうか」


 領主様の口元が、獰猛につり上がる。


「何処からでも、かかって来い」


 低く響く声と同時に、空気が重く沈む。私は静かに抜刀した。鞘走る鋼の音が、異様なほど大きく耳に響く。


 対する領主様もまた、ゆらりと十束剣を構えた。


 一縷の望みに賭けて、私は作戦通りに瞳を狙って斬撃を繰り出す。地を蹴った瞬間、身体が羽のように軽くなった。鍔芽様と完全に一体となった今、私は風そのもの。


 露骨に顔を狙っても避けられるだけ。それなら、間合いを詰めて、隙を狙った方が賢明だ。


「はっ――!!」


 踏み込みと同時に、斜め下から一気に斬り上げる。鋭い一閃(いっせん)。


 だが、


「甘いな」


 甲高い金属音が鳴り響いた。領主様は最小限の動きだけで刀を受け流す。まるで、子供の戯れをいなすような軽さ。


 しまったと、そう思った時にはもう、鈍い衝撃が脇腹へめり込んでいた。


「っ……!」


 刀の頭(かしら)で突かれ、肺から空気が押し出される。視界が大きく揺れ、喉の奥から血の味が込み上げた。


 昨夜、腕を斬った時とはまるで違う。これが、領主様の本気。


「どうした? その程度か」


 追撃。十束剣が唸りを上げながら横薙ぎに迫る。私は咄嗟に身体を沈め、その刃を紙一重で回避した。


 髪が数本、宙を舞う。


「……っ」


 まともに受ければ、ひとたまりもない。けれど、不思議と恐怖は無かった。むしろ、頭の奥が冴え渡っていく。


 領主様の呼吸の音、肩の動きと視線の流れ。全てが鮮明だった。


 相手の力に呑まれるな。直ぐに切り替えて、反撃を。


「……!」


 私は地を蹴る。今度は、右へ、左へ、不規則に駆けながら距離を詰める。領主様の視線が私を追う。


 けれど、その瞳がほんの僅かに揺れた。その瞬間を、私は見逃さない。


 地面を強く踏み込み、一気に加速する。風を裂き、距離が消えた今、私は彼の懐へと飛び込んだ。


「そこだ!!」


 刀を左逆袈裟(ひだりぎゃくけさ)に振り抜く。領主様は僅かに刃を傾けただけで、私の斬撃を受け流した。


 あっさりと逸(そ)らされたが、予想通り。最初から、この一太刀で斬れるとは思っていない。


 狙いはその先。私はさらに半歩、強引に踏み込む。


 領主様の目が見開かれたと同時に、直ぐさま日本刀を水平に突き出した。


「……っ」


 切っ先が真っ直ぐ、領主様の左眼へ奔(はし)る。刃が入った瞬間、鮮血が散り、彼は大きく後退した。


 あの余裕に満ちた表情が、僅かに歪む。


「……面白い」


 低く濁った声。領主様は片目を押さえたまま、口元をゆっくりとつり上げた。頬を伝った血が、ぽたり、ぽたりと地を染める。


 肌を刺すような殺気が、一気に膨れ上がった。息をするだけで喉が焼けそうだ。


「どうした?」


 一歩、領主様が踏み込む。たったそれだけで、地面が軋むような錯覚を覚えた。


 次の瞬間、姿が消えた。


「っ!?」


 咄嗟に刀を構える。直後、凄まじい衝撃が腕を貫いた。


「ぐっ……!!」


 受け止めたはずなのに、身体ごと後方へ吹き飛ばされる。どうにか体勢を立て直すが、速い。先程までとは比べ物にならない程、重い一撃。


「お前は、その程度か」


 領主様は愉快そうに嘲笑(あざわら)う。見えているはずなのに、反応が追いつかない。


『右だ!!』


 頭の奥で、鍔芽様の声が響く。反射的に身体を捻ると、耳元を轟音と共に刃が通り抜けた。


「ほう……」


 領主様の片目が、僅かに細められる。


 あと指一本。ほんの僅かでも反応が遅れていたら、首が飛んでいた。冷たい汗が頬を伝う。


 けれど、彼の傷はまだ癒えていない。片目だけでは、太刀筋を正確に読むことは出来ないはず。


 なら、確実に勝機はある。


「鍔芽様……!」


『奴の左だ。死角へ潜り込め!!』


 声と同時に、私は地面を蹴った。正面からでは勝てない。ならば、視界を奪われた側へ回り込むしかない。


 領主様の刃が唸りを上げる。けれど、私はその刃を流すように受け、横へ滑り込んだ。


 彼の視線が、一瞬遅れる。やはり、左眼を失った影響は確実にあるようだ。


「……っ!」


 私は一気に間合いへ踏み込む。喉元を狙い、刃を突き出した。


 けれど、領主様は片手だけで私の刀を弾き飛ばす。そのまま、膝蹴りが腹部に叩き込まれた。


「かはっ……!!」


 息が潰れる。身体が宙を舞い、激しく地面へ叩きつけられた。


 視界が揺れ、肺が焼けるように痛い。片目を潰されても、やはり力の差は歴然だった。


「終わりか?」


 領主様がゆっくりと近付いてくる。その姿はまるで、処刑人のようだ。


「まだ……!」


 膝が笑う。今にも倒れてしまいそうなのに、不思議と心だけは折れなかった。


『胡和……』


 鍔芽様の声が、静かに脳裏へ響く。


「絶対に、負けない……!」


 刃と刃が激突する。凄まじい連撃に、一太刀ごとに死が脳裏を過ぎった。


 それでも、私は退かなかった。横薙ぎを掻い潜り、全身の力を込めて刀を振り抜く。


「はぁあああっ!!」


 鮮血が舞い、領主様の身体が大きく揺らいだ。


 勝ち筋が見えたと、確信したその刹那。


「……所詮は、人間の身体に過ぎない」


 低い声が響く。ぞくり、と背筋が凍った。彼は直ぐさま体勢を立て直すと、刀身を握り締めた。


「な……」


 刃は掌に食い込み、血も流れている。それなのに、止まらない。まるで、その程度では傷にすらならないと言わんばかりに。


「そんな……」


 私は震える腕に力を込め、刀を振り抜こうとした。


 だが、びくともしない。剣先を伝った血が、ゆっくりと刃を濡らす。地面には血溜まりが広がっていた。


『ダメだ……! 胡和、このままじゃ』


 次の瞬間、嫌に乾いた音と共に、刀身が真っ二つに砕け散った。鍔芽様そのものだった刃が。


「あ……」


 頭の中から、彼女の気配が遠ざかっていく。繋がっていた意識が、無理やり引き裂かれるように途切れた。


「嫌っ……」


 視界が暗く染まり始める。闇に沈む視界の中で、領主様の振り下ろした剣だけが、白く光って見えた。

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