稽古
それからというもの。私たちは決闘に向けて、慌ただしい日々を送ることとなる。
領主様との戦いを控えた、この一週間という短い時間。私たちは一分一秒たりとも無駄にしないよう、稽古に励んでいた。幸いにも芸亭近くの道場を借りることが出来たので、仕事終わりにもこうして毎日のように通っている。
とはいえ。あの日、その場の勢いに任せて啖呵を切ってしまったものの、今になって冷静に考えれば無茶にも程がある。
相手は、この五都を統べる鬼神だ。身体能力も常人離れしていて、普通の人間では到底、太刀打ち出来る相手ではない。
そんな相手によくもまぁ、勝負なんて挑めたものだ。それもこれも、鍔芽様が居てくれたから。
「千里の道も一歩から。先ずは、身体を馴染ませるところから始める」
「そういえば以前、ピアニストの女の子にも身体を貸したことがありますよ」
「ぴあにすと……? って何だ?」
「平たく言うと、ピアノという楽器を弾く人のことです」
「ほう、楽器の演奏とは、なかなか洒落ているじゃねぇか」
鍔芽様は、感心したように腕を組んだ。
「その時の私はカンテラの中に入っていたのですが、鍔芽様の場合はどうするのでしょうか?」
問い掛けると、彼女はじっと私を見詰める。そして次の瞬間、口元をにやりと歪めた。
「そうだな。魂を入れる器が無い以上は、身体を共有するしかねぇ」
「え?」
気付いた時には、刀の切っ先が私の掌を掠めていた。ぷつり、と皮膚が裂ける。
「……っ!」
遅れて、じわりと熱が走る。切れ目から、どくどくと血が溢れてきた。
「な、何するんですか……!」
「いちいち、騒ぐな。死にゃしねぇよ」
鍔芽様は悪びれる様子もなく、私の手首を掴んだ。そのまま流れた血を刀身へ塗りつける。
「……これで、少しは繋がりやすくなる」
「繋がるって……?」
「魂の境目を無くす」
その声色が、不思議なくらいに重く響いた。先程までの軽薄な笑みは消え、刃の切っ先のような瞳が真っ直ぐこちらを見据えている。
「無理矢理、お前の身体に入れば拒絶反応を起こすだろ」
「つまり、私の身体に入る為の事前準備……?」
「意識が混ざり過ぎると、戻れなくなるかもしれねぇから。最初は十分だけだ」
そう言って彼女は、呪文のような言葉を唱え始めた。その瞬間、ふわりと身体が軽くなる。
視界が揺れた。耳に入る音が妙に鮮明で、開かれた障子から流れ来る風の動きまで、はっきりと読める。
人間の時分よりも、ずっと感覚が研ぎ澄まされていた。
「……?」
『どうやら、お前は俺と相性が良いらしい』
鍔芽様の声が、直接脳内へと響く。まるで最初からそこに居たみたいに、上手く馴染んでいる。
相性が良いなら尚のこと、勝ち筋が見えるかもしれない。残された時間は少ないけれど。だからこそ、私たちは最大限の力を引き出さなければならない。
「絶対に、勝ちましょう」
『おう。当然だ』
それから数日間かけて、徐々に身体を慣らしていった。最初の頃は足元がふらつき、地面が遠くなるような激しい目眩に晒されることが何度もあった。
その度に、彼女はまた何か呪文めいた言葉を唱えながら、私の意識から切り離される。
「こればっかりは、慣れるしかねぇ」
彼女は焦らずに、私との練習に付き合ってくれている。最初に決闘を申し込んだのは彼女からだったが、今ではもう他人事ではない。私も、きっかけは誓約書を巡っての反発心だったが、それ以上に少しずつ別の意味も見出していた。
どうしても、七年前の彼が頭を過ぎるのだ。私のことを無力だと罵っていた彼の言葉を。私は人間であり、彼とはどう足掻いても対等な関係にはなれないこと。私は嫌という程、痛感している。
私が、もしも人間でなければあの事故から救われることも無かっただろう。彼とも何の接点も無いまま、存在を知らないまま生きていったことだろう。
こんな事ばかり考えるのは、本末転倒なのかもしれないけれど。仮に私が同じ神様だったとしたら、別の形で彼と出会えて、対等に分かり合えていたかもしれない。
「って、不毛だよね……。こんな事ばかり考えて」
彼への気持ちは一つじゃない。自分でも、たくさん矛盾を抱えているのが嫌になる。
鍔芽様はただ、領主様に勝つことだけを望んでいるというのに、私はどうして何時もこうなのだろう。彼女の真っ直ぐな気持ちを私の靄で覆い隠してはならない。
今はただ、彼女に悟られないよう、真剣に稽古を積まなくては。
それから三日後、思っている以上に事態は難航することになってしまった。
鍔芽様の意識と身体の感覚にズレが生じている。踏み込もうとしても、ワンテンポ遅い。足が止まる。集中しようとすればする程、土壺にはまっていった。
「はぁ……」
これは、もしやスランプなのだろうか。
『なかなか、合わねぇな』
余花さんと照葉さんのご好意で、今は仕事をセーブしてほとんどの時間を稽古に費やしている。
日数的には、折り返し地点だというのに、このままでは駄目だ。失敗して、転んで、少しだけ上手くなったと思えば、次の日にはまた振り出しへ戻る。
決闘の日までに、間に合うのだろうか。一歩ずつでも前へ進むしかないと頭では分かっているのに、私はまた自己嫌悪に陥っていた。
「ごめんなさい……。私のせいで、鍔芽様にも迷惑をかけてしまって……」
身体を共有することが、ここまで難しいとは思わなかった。きっと、私でなければ、もっと鍔芽様の力を引き出せたかもしれないのに。やっぱり、私じゃ駄目なのかな……。
『胡和は、ちと考え過ぎなんだよ。もっと、頭を柔らかくしろ』
「柔らかく……」
汗をタオルで拭いながら、頭にはとある食べ物が思い浮かぶ。
『豆腐プリン饅頭?』
「はっ……! 鍔芽様、勝手に私の頭を覗かないでください……!」
『仕方ないだろ。はぁ、腹減ったし、花鳥風月にでも行くか』
確かに、朝からぶっ通しで、懐中時計の針はもう十三時半を指していた。けれど、汗で湿った袴姿ではお店に申し訳ないので、着替えてから行くことにしよう。
「鍔芽様、先に花鳥風月へ行ってください。私は五光亭へ寄ってから行くので」
彼女と別れて、私は一人で桐の間に戻った。汗臭い身体をシャワーで洗い流す。何度目か分からない打ち込みのせいで、掌には豆が出来ていた。全身筋肉痛だし、今すぐにでも人間を辞めてしまいたい。
神様なら、汗一つかかずに戦えるだろうし、羨ましい限りだ。
私は、手早く着替えを済ませて『花鳥風月』へ向かった。
「胡和〜! 遅かったな。もう、でざーとのぱんけゑきを頂いているところだ」
「早っ……! あれから、二十分しか経っていないじゃないですか」
二階は予約客優先であり、一階の方に客が集中しやすい。カウンター席が比較的空いていたのは、これ幸い。いつもは二階の特等席なので、ここに座るのは初めてのことだった。
「では、私もパンケーキをお願いします」
「ん? 飯は良いのか?」
「うーん、身体を軽くしておきたいから。それに、動いていると、あんまり食欲がわかなくて」
もっと時間に猶予があれば、体作りから始めるのに。やはり、一週間は短い。
「胡和は、飯食っている時の顔が一番良いと思うぞ。いつもは、険しい顔してるからな〜」
「それは、鍔芽様だって。やっぱり、ご飯を食べている時が一番幸せだからかな……」
美味しいものを食べていると、嫌なこともみんな吹き飛ぶ。それは、ずっと昔から変わらない。
「悪かったな。俺のわがままに付き合わせて」
「乗り掛かった船だから。それに、私も領主様と戦えるの、実は楽しみなの。ただの人間じゃ、こんな風に真正面から衝突出来ないし……」
「そんなことないだろ。仮に俺が人間だったとしても、鬼には喧嘩上等だからな」
運ばれて来たパンケーキをナイフとフォークで頂く。
「ふふ。鬼からしたら人間なんて、きっとちっぽけで詰まらない存在だと思うの……。相手にしてもらえるだけマシだよ」
「胡和は、弱気なんだか強気なんだか分からねぇな。もっと自信持てよ」
「自信……」
「俺が一番だ……! って胸張って良いと思うぜ」
私が自信を持てたことなんて、今までにあっただろうか。ずっと結果ばかりを追い求めては、何も満足に出来なかった。それからは、ずっと私に"出来ること"を探している。自問自答を繰り返しながら、まだ答えは出せていないけれど。
「もしも、この勝負に勝てたら、私は自信を持てるのかもしれない」
今までは、何をやっても駄目だったけれど。本当は、ずっと変わりたい気持ちを抱えて生きてきたから。
「それなら尚更、勝たねぇとな。あの鬼神の鼻をへし折ってやろうぜ」
「うん、頑張ろう……!」




