噂
花鳥風月に着くと、いつも通り二階の窓際席へ腰を下ろす。ここは毎度お馴染みの特等席で、通りの往来がよく見えた。
オーダーを済ませると、話題は自然と例の噂へ戻ってしまった。
「余花も知っていたのね。領主様の噂……」
「まぁね。でも、他にも色々聞いてるわよ」
余花さんは意味あり気に口元を緩める。
「何だ何だ、流石は悪名高い鬼だな」
鍔芽様は腕を組み、いかにも面白そうに身を乗り出した。
余花さんの情報によると、領主様はその昔、現世で暴れ回っていたところを青の女神様に捕えられ、この世界へと連れて来られたらしい。
「だから、領主は女神様を逆恨みして、ずっと復讐の機会を狙っていたんですって」
「そ、そんな噂まで……」
「他にも、摩天楼の地下には領主が惨殺した女の髑髏が飾られてるとか、天上のビオトープでこっそり死者の魂を魚に変えて育てているとか、とにかく根も葉もない噂がたくさん流れているの」
余花さんは、まるで面白いと言わんばかりに目を煌めかせている。さては、相当な噂好きと見た。
「まぁ、戦犯扱いされてるなら、そういう噂が流れていても不思議じゃないですよね……」
「何だ何だ、俺の時は食ってかかったくせに、このお嬢には甘いじゃねぇか」
鍔芽様は腕に抱えた、ペティナイフ程の小さな刀で、つん、と私の頬を小突いた。
「ちょっと、くすぐったいでしょ」
鞘を指先で押し返しながら、
「私の気持ちは、それでも変わらないから」
そう口にした、その時だった。
「お待たせいたしました〜」
朗らかな声と共に現れたのは、大正のマドンナ女給、ざらめさん。
「あら、今日は珍しいお客様をお連れですね〜」
「刀の付喪神の鍔芽様です」
ざらめさんは手際よく注文の品を並べ終えると、軽くお辞儀する。
「当店の女給、ざらめと申します。以後、お見知りおきを」
「へぇ、まだ可愛げはある女給だな」
どこか品定めをするかのような鍔芽様の口ぶりに、私は思わず眉を顰める。
けれど、当の本人は全く気にした様子もなく、にこりと微笑んだ。
「うふふ、当店のオムレツはお野菜たっぷりで栄養満点なんですよ〜。どうぞ、召し上がってみてください」
鍔芽様はお人形サイズのミニスプーンでオムレツを軽く掬って、一口運ぶ。
そして次の瞬間、ぴくりと眉が動いた。
「おっ、なかなか美味いな」
「お口に合って良かったです」
その後は無言のまま、黙々と食べ進める鍔芽様。それにしても、お人形サイズのカトラリーまであるなんて、なかなか用意周到な喫茶店だ。
ざらめさんは再び一礼すると、お盆を抱えて別の席へ向かって行った。その後ろ姿が何とも優美で、つい目で追ってしまう。
「それで、さっきの話の続きだがな。噂話だけじゃ埒が明かねぇし、直接領主の顔を拝んでみたいんだが」
「そういえば、一度も顔見たことないわ」
「あまり市街地にはいらっしゃらないものね」
話の流れからすると、この中で領主様の素顔を知っているのは私だけらしい。
「胡和はどうなんだ?」
「え……っ?」
「領主のこと、他に何か知らねぇか?」
彼について知っていること……、他に何かあっただろうか。
七年前に出会った頃は、酷く冷たい印象だった。ぶっきらぼうな物言い。何を考えているか分からない無表情。そして、怒らせると怖いことを今でも鮮明に覚えている。
何より、私のことを嫌っていた。
『甘えてばかりで、誰かに縋ることしか出来ない能無し』
あの言葉を思い出す度、今でも胸の奥がギュッと痛む。
けれど、再会してからの彼はどうだろうか。
相変わらず無愛想で、表情も硬い。言葉数も少ないし、大切なことほど何一つ話してくれない。
寝ている間に誓約書へサインさせられたし、急に仕事を辞めることになった挙句、アパートまで引き払って強制転居。
どうしよう、思い出したら腹が立ってきた。
「やはり、火のない所に煙は立たないと言いますし、それなりに横柄な振る舞いをしてきた報いだと思います」
「まぁ、所詮は鬼の端くれだもんね。私も同感〜」
余花さんと頷き合っていると、照葉さんが徐に口を開く。
「でも、青の女神様が居なくなった今、この世界に留まるのは何故かしら。文車妖妃様みたいに隠世に渡ることだって出来るでしょうに」
「そんなのどうせ、何かやらかして追放されたに決まってんだろ。他に行くあてが無いから、此処に居るんじゃねぇか?」
「つまり、他に居場所が無いってことなのかな……」
領主様は今、どんな想いを抱えてこの五都で生きているのだろう。
噂話はどこからが嘘で、どこまでが真実なのか。私の知っている彼も、きっと全てではない。
「いっその事、果たし状でも送り付けるか」
重くなりかけた空気を振り払うように、鍔芽様が鼻を鳴らした。
「あんた、そんな小さい身体で本当に戦えるの?」
「何だお嬢、喧嘩売ってんのか?」
鍔芽様はつかつかと、テーブルを歩いて余花さんの前で立ち止まる。両手に掲げた刀を鞘から引き抜くと、その眼前に突き出した。
「こちとら、ただの刀じゃねぇもんでな」
彼女は一息つくと、堂々と宣言する。
「聞いて驚くなよ。俺は、三条小鍛冶宗近が打った正真正銘の妖刀だ」
「え……?」
思わず声が漏れ出る。三条派──しかも、その祖である宗近作。確か天下五剣の一つ、『三日月宗近』は国宝にも指定されていたはずだ。
鍔芽様が、そんな途轍もない刀の付喪神様だったなんて。
「誰それ? 有名なひとなの?」
「平安時代の有名な刀鍛冶ですよ。彼の作った刀は国宝にもなっているんです」
余花さんは、まだピンと来ていないようで、首を傾げている。
「ふふ。まるで、鍔芽ちゃんは桃太郎さんね。仲間と一緒に鬼ヶ島へ乗り込むのかしら」
「なるほど。鬼退治に行くなら、吉備団子をこさえないとですね」
「いやいや、この大きさなら一寸法師の方が近いんじゃないの?」
「何だよ。お嬢は猿に似てっから、ちょうど家来にしてやっても良かったのに」
「はぁぁあ!? この私のどこが猿に似てんのよ?」
余花さんは勢いよく立ち上がり、
「え? どこからどう見ても可愛い猫にしか見えないでしょ?!」
そう言った途端、頭の上にふわりと猫耳が現れ、腰の辺りからは長い尻尾が飛び出した。ぶわん、ぶわんと感情に合わせるように左右へ揺れている。
そういえば、読み聞かせ会の時も同じ光景を見たような気が。
「はぁ……」
鍔芽様は呆れたように額へ手を当て、大きくため息を吐いた。
「ちょっと?! 何よその反応!」
「余花、もうその辺にしておきなさいな」
「他のお客様もいらっしゃいますし」
周囲を見回せば、ちらほらこちらへ視線が集まっていた。
「全く、ふざけてるわ!」
余花さんは頬を膨らませ、すっかりご立腹の様子。どうしたものか。
すると、その時、
「まぁまぁ、そこの四人衆〜! これでも食べて、心を落ち着けてくださいまし〜!」
場違いなくらい明るい声と共に、ざらめさんが満面の笑みで割って入ってくる。
手にしたお盆の上には、ぷるぷると小刻みに揺れる白い塊が並んでいた。
「ん? 何だこれ」
「こちらはババロアです!」
ざらめさんは胸を張りながら、説明する。
「生クリームが濃厚で、このぷるぷる食感がたまらない逸品なんですよ〜!」
ババロア。見た目は白いプリンのよう。隣には艶やかなブルーベリーソースが添えられている。
「うーん……?」
鍔芽様は警戒するようにスプーンでつつく。ぷるんと小さな振動をしばらく観察した後、一口ぱくり。
「……まぁ、悪くはねぇな」
そう言いながら、二口目へ手が伸びている辺り、案外気に入ったらしい。
「まぁまぁの出来ね」
余花さんも一口食べるなり、さっきまで逆立っていた尻尾がふにゃりと下がった。
「うふふ。どんなに荒んだ心でも、甘いものが優しく包み込んでくれるのです!」
「流石は、ざらめさんね〜」
ざらめさんの機転のおかげか、さっきまでの険悪な空気はすっかり和らいでいた。
そして当の本人達は、満足気にうんうんと頷いている。
「ところで皆さん、鬼ヶ島へ行くなら、案内役になりますよ」
「え……?!」
唐突に何を言い出すのかと思えば、先程の話を聞かれていたらしい。ざらめさん、思ったより地獄耳だな……。
「つまり、鬼神に取り次いでくれるの?」
「えぇ、摩天楼なら配膳によく訪れるので、それなりに詳しいですよ」
にこにこと笑っている彼女を尻目に、場が一瞬静まり返る。
噂話だけで盛り上がっていたはずが、思っていた以上に現実味を帯びてきた。




