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巫のまつりごと  作者: 一靑華巳
皐月
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鍔芽

 花は散り、新緑の季節がやって来た。

 風薫る五月晴れの空の下、私たちは書物を抱えて、とある武家屋敷を訪ねる。


「ごめんください。頼まれていた本の配達に伺いました」


 江戸時代の由緒ある屋敷とあって、立派な長屋門を潜ると、外の喧騒が嘘のように遠のいた。重たい背負い包みを握り直し、照葉さんの後を追って庭を進む。


 青紅葉の影が揺れ、爽やかな初夏の風が白砂の庭を渡っていく。


 通された書院造の応接間は、簡素ながらも気品に満ちていた。障子越しの柔らかな陽光が、畳を淡く照らしている。


 私と照葉さんは座敷に腰を下ろし、運んできた本を一冊ずつ丁寧に並べていった。通常の貸出客とは違い、今回の依頼主は寺子屋へ置くための書物を、数十冊単位で所望していた。例外ではあるものの、文車妖妃様が居らした頃は、半年に一度の頻度で依頼を受けていたらしい。


 しかし、彼女が隠世へ旅立ってしまった今、五十冊近い書物は私と照葉(てりは)さんの二人で運ぶしかない。重いものを嫌がる余花(よか)さんは、必然的に芸亭で留守番。


 まぁ、出不精の私にとっては、これもまたとない機会なので良しとしよう。身体は疲れているはずなのに、心は不思議と浮き足立っていた。


 この五都(いづと)には、まだ私の知らないものがたくさんある。そう思うと、まるで物語の世界を旅している気分で、心が軽くなるのだ。


 本を並べ終えた頃、襖の向こうから静かな足音が近付いてきた。


「やぁ、よく来たね。御足労をかけたよ、照葉(てりは)」


 穏やかな声と共に現れたのは、この屋敷の主らしき男性だった。歳の頃は四十代半ば程だろうか、落ち着いた藍鼠色の着物を身に纏っている。物腰は柔らかいが、その佇まいには長年家を守ってきた者特有の風格が滲んでいた。


 長い付き合いなのだろうか、照葉さんも柔らかく微笑み返す。


「いえ。今日は書物が多かったので、助っ人にも来ていただきましたよ」


「そういえば、見ない顔だね」


「蓬莱(ほうらい)胡和(こより)と申します」


 軽く頭を下げると、照葉さんが横から補足する。


「この春からの新入りです。文車妖妃様が旅立たれたこともあって、今はこの四人で芸亭を守っています」


「妖妃様とは古馴染みだが、まさか隠世に拠点を移すとは。やはり、女神様が居なくなった五都(せかい)には相当、堪(こた)えていたんだろうね」


 その言葉に、部屋の空気が僅かに沈む。


「もう、十年になると聞きました。私がこの五都(いづと)に来て三年目なので、当時のことは何も存じ上げませんが、惨状を目の当たりにした方々にとっては、さぞお辛い出来事だったのでしょう」


 私も、詳しい事情は何も知らない。敵襲によって、都が壊滅状態になったことだけは、ざらめさんから聞いていた。以前、白練様に案内され、女神様が地に還られたという瑠璃桜の御神木を訪れたこともある。あの時見た瑠璃色の花弁を思い出し、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 きっと、あそこには今も誰かの祈りや後悔が残っているのだから。


「何だ何だ、辛気くせぇな。まぁた、女神様の話かよ」


 突然、背後から響いた声に、私は思わず肩を震わせる。

 その声の主は、袴姿で長い黒髪を後ろで一つに結い上げた、男勝りな美少女だった。ただ、一風変わっているのは、背丈が二十センチ程しかないことと、その身体が微かに透けて見えることだった。


「すまない、此奴(こいつ)は古い刀の付喪神でね。口は悪いが、根は良い奴なんだ」


「ふん、女神様が居なくなったのはあの鬼のせいだろ。俺が目の黒い内に、あの悪鬼を仕留めてやらにゃ」


 吐き捨てるような声と同時に、付喪神の身体の奥から鈍い金属音が鳴った。小さな身体に不釣り合いな刀身が、鞘の中で僅かに震えている。


「おっと、お客様の前で失礼な物言いはよしてくれ」


 主は慌てて付喪神の口を塞ぐ。もごもごと何か喋っているが、上手く聞き取れない。


「あの噂は私も人伝(ひとづ)てに聞きましたが、信憑性の欠片もない話だと思っています。……とはいえ、信じている者も、まだ少なからず居るのでしょうけれど」


「噂って……?」


 私が問い返すと、照葉さんの表情が曇る。


「だから、あの鬼のことさ。まだ、領主の座に就いているけど、敵に内通してたって有名な話」


「こら、憶測でものを語ってはいけないよ」


 主の窘める声が、何処か遠く感じられた。

 領主様が、敵を手引きした裏切り者……? まだ、そうと決まった訳じゃない。けれど、どうしてそんな噂が流れているのだろう。


「あの……、付喪神様はどうして、そう思うのですか? 当時の状況について、何かご存知なのでしょうか?」


 私が食い付いたことに気付いた付喪神は、面白そうに目を細めた。


「だってよ、敵は別世界の住人だったんだ。なのに、最初から女神様の居場所を把握していたそうじゃねぇか。つまり、予(あらかじ)めこの世界に隠密(おんみつ)を送り込んでたってことだろ」


「確かに、そのお陰で江戸や明治大正は被害を免れた訳だが……」


「それに、あの鬼は不死身で五都一の化け物じみた身体能力を持ってる。元々は女神様の護衛役だったくせに、あっさり死なせるなんて、内通者としか思えねぇだろ……!」


 なるほど。確かに領主様は、瘴気をものともしない強靭な肉体を持っている。身体能力が高いことも奈良の都で目の当たりにした。


 けれど、付喪神の話はどれも憶測に過ぎない。決定的な証拠が無い以上、それだけで彼を断罪することは出来ないはずだ。


 もし、女神様に当時のことを聞けたなら……。そんな叶いもしない考えが、一瞬脳裏を掠(かす)める。


「他に、その場を目撃した者は……?」


「武力を持たない神が大半であるし、急な襲撃で他世界へ援軍を求める暇も無かったんだろうね。力のある神や妖達は出払っていて、駆けつけた時にはもう手遅れだったらしい……」


「敵の数も多かったと聞くし、領主様だって女神様を守る為に、きっと必死に戦ったはずよ……!」


 照葉さんの声に、私は深く頷く。初めてこの五都(いづと)に来て、領主様に道案内をしてもらったあの日。橋の上で御神木を見上げていた彼の横顔を思い出す。


 あの瞳は、何処か遠くを見詰めていた。今思えば、深い哀しみと後悔を滲ませていたのかもしれない。


 それに、彼が私を救ったのは女神様の命(めい)があったからだ。もし、女神様を裏切ったことが事実なら、あの日の事故で私を見殺しにすることだって出来たはず。


「私も、やっぱり彼を信じたい……。女神様のこと、きっと今でも大切に想っているはずだから」


「お前、人間の癖にどうしてあの鬼に肩入れするんだ? 彼奴(あいつ)と深い仲なのか?」


「そ、それは……」


 事故のことを話して良いものだろうか。ここで余計なことを言えば、却(かえ)って怪しまれるかもしれない。


 私は一瞬だけ言葉に詰まり、それから慎重に口を開いた。


「私は、奈良の都で領主様が瘴気を払っているお姿を間近で見て、確信したの。領主様はきっと、この五都(いづと)の安寧を願って、復興に尽力しているんだって」


「ふーん。まぁ、お前がどう思おうと俺の考えは変わんねぇけど」


 どうすれば、彼の事を信じて貰えるのだろうか。やっていない事を証明するのは、あまりにも難しい。


『悪魔の証明』そんな言葉が、ふと脳裏を過った。


「敵の親玉とその幹部だって、何名か取り逃したらしいし、もう黒みたいなもんだろ。これだから、鬼は信用ならねぇんだよな」


 違う。領主様は、そんなひとじゃない。


「そんなこと……っ」


 気付けば、私は拳を強く握り締めていた。


「あなたは領主様のこと何も知らないじゃない……! 知らないまま、噂だけで判断するの? これ以上、あのひとを悪く言ったら、許さないから!」


「お前……」


 しまった、と思った。初対面の付喪神相手に啖呵を切るなんて。けれど、それ以上に、自分でも驚いていた。領主様とはまだ数回しか会ったことがないのに、私はこんなにも彼を信じたいと思ってしまっている。


 救われた。ただ、それだけの理由で。


「ふーん、見かけは頼りなさそうだが、肝は据わってんだなお前。気に入った……!」


 付喪神はニヤリと口角をつり上げた。


「……? それは、どうも……」


「俺の名は、鍔芽(つばめ)だ。よろしく頼む」


 そう言って笑った彼女の顔は、先程まで敵意を剥き出しにしていた者とは思えない程、あっけらかんとしていた。


 けれど、その瞳の奥には今なお、鬼への強い憎しみが燻っているようにも感じられた。

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