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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第98話:泥の中の救済、あるいは典子と慎一の未来

「人の顔には、その者が歩んできた道が地図のように刻まれている。

シミの一つ、皺の一本を疎かにする者は、決してその人間の『魂』に触れることはできない。

真の肖像画とは、美しい仮面を描くことではない。

その者が流した泥の汗と、愛した者へ向けた熱を、キャンバスの上に呼び戻す『降霊術』なのだ。」

— 狩野 宗玄『色彩の情念:日本画における感情と技法』より


「……こちらは……かすみがうら市教育委員会です……

子どもたちはおうちに帰りましょう……大人のみなさんは……

見守りをお願いします」


音楽とともに、公園のスピーカーからアナウンスが流れる。


「じゃあね!バイバイ!」


「また明日!」


パタパタという足音と歓声とともに、小学校低学年らしき子どもたちの姿が遠ざかる。


キイ……キイ……。


音に合わせて、ブランコに座った俺の影が揺れて、伸びる。

もう少ししたら、この公園はオレンジ色から暗闇に変わり、公園は俺たちの貸切となる。


「そろそろ、かな」


スマホで残響画廊(こだまがろう)のイラストをぼんやり眺めながら時刻を確認する。


いつもなら、部活を終えた陽菜が弾むような足取りで現れるはずだ。

そして、しばらくの間、お互いを抱きしめあって、他愛のない話をするのが日課だ。


今日は俺から「話がある」とメッセージを送ったのだが、既読がついてから、彼女から返信はなかった。


ギギーッ!


ガチャンっ!ガチャガチャ!


ダダダダッ!


自転車を停め、カゴから荷物を出しこちらに向かう、聞き慣れた所作の音。


ただ、今日はずいぶんと荒っぽい。


砂利を蹴り上げる、力強い足音が近づいてくる。


「お、来たかな……」


顔を上げると、ロイヤルブルーのジャージ姿の陽菜が、息を切らして走ってきた。

その顔は、いつものように俺を見つけて花が咲くような笑顔ではない。


眉を吊り上げ、唇をギュッと引き結んで、明らかに不満そうなのは、薄暗い中でもよくわかった。


「……ともくん!」


ブランコの手前で仁王立ちした彼女は、いかり肩で俺を睨みつけた。

街灯に照らされた彼女のシルエットの奥で、ポニーテールの穂先が炎のように揺れている。


「お疲れ、陽菜。ごめん、急がせちゃったか……」


「急ぐもなにも……

ねぇ! 瑞恵さんのモデルを、典子先輩にも頼んだって、どういうこと!?」


俺が言い終わらないうちにまくし立てられる。

ついたばかりということと、立腹の興奮で、陽菜は荒い息のまま、俺にノシノシと詰め寄った。


殴りかかるのか、という勢いで距離を詰める恋人。


不死鳥のような()ぜる激情を隠そうともしない。

一方で目の前の同一人物が、甘い(とろ)けた顔をして俺に抱きつくのことがあるから、面白い。


「なぁにニヤニヤしてんのよ!

真剣に怒ってるのよ、わ、た、し!!」


ブランコに座っている俺に屈むように睨む、真っ()な顔の幼なじみ。

目の前の彼女から、熱を帯びた体温と、制汗剤の爽やかな香り、そしてほんの少しの汗の匂いが混ざり合った、甘やかな恋人の香りが漂ってくる。


俺はブランコに座ったまま、小さく息を吐いた。

塩浜さんも創業したときは、こんな風にお客さんから詰められたことがあったのだろうか。


「なんで黙ってんのよ!ちゃんと説明してよ!」


彼女が怒るのも無理はない。


塩浜さんの奥さんである瑞恵さんの肖像画を描くにあたり、陽菜は俺に「困ったときは半分こしてほしい」と伝え、俺の作品のクオリティに「ともくんが描くんだもん、私が保証する」と背中を押してくれた。


陽菜の性格からして、そんな経緯があれば、モデルは自分だけだと思っていたのだろう。


そこに、あの典子先輩の名前が挙がったのだ。

尊敬する先輩だけど、面白いはずがない。


「……メッセージで送った通りだよ」


俺は努めて冷静な声を出した。


「陽菜だけをモデルにして、五枚のデッサンを進めてさ……

もし塩浜さんが『ワシの記憶の中の瑞恵と、なんか違う』って言ったとしたら、どうなる?」


「……!!」


つり上がった眉の角度が丸くなった。

【担当:神栖陽菜(アスリート/幼なじみ)】

「ともくんが描くんだから、私がモデルなのが当たり前だと思ってた」。

私の独占欲が、ともくんのプロとしての覚悟を邪魔しちゃうのかな。


分かってる。

分かってるんだけど……どうしても、心がザワザワするの。


次回、第99話『当たり前の外側、あるいは田辺慎一の流儀』ともくん……その「別のアプローチ」って、なに?

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