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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第96話:無機質な美の終焉、あるいは共犯者の卒業

彼女は俺にしがみつき、ワイシャツの襟元に顔を埋めた。


「……ああ……やっぱり。

もう、色も熱も入ってこない」


大きく息を吸い込んだ彼女が、絶望したように涙声で呻く。


『……坊主、あとはお前が自分自身で(つま)つまづいたり転んだりして学んでいくんだ』


銀さん、それはつくばさんにも言えることですよね、と内心でつぶやく。

俺は、銀さんに促され、陽菜と鈴江ちゃんに背中を押されて一歩踏み出した。


躓くことも転ぶことも承知の上だ。


もし、進む途中で疲れたり困ったりしたら、陽菜と半分こしてもらえれば良い。


俺は、そっとつくばさんを抱きしめた。

ひくっ、と震える姉の柔らかな身体。


「俺……自分自身に向き合って……

描く対象にも向き合って……

作品を創るって決めたんだ」


「灯くん……」


「お姉ちゃんだって……もう、一人で立ち上がっていけるよ。

俺……そう信じてる」


顔をシャツから離し、俺を見つめる。

涙でぐしゃぐしゃになった顔は、無理に笑おうとして、また歪んだ。


歪ませたのは、さみしさか、悲しみなのか、俺には判断がつかない。


美大生が俺のワイシャツにしがみつき、顔をうずめる。


「……ご……めんね」


そのあとの言葉は嗚咽と共にかき消されてしまった。

俺を弟として可愛がり、そして画材としても頼っていたつくばさん。


本当は既に俺なんかを必要としないレベルであったはずだ。


しかし、陽菜と同様に、俺が持ち得る才能を引き上げる触媒のような存在であることを、姉は早くから知っていたのではないか。


『な、なんて、熱量がすごい素材なの……!』


文化祭に来てくれたとき、つくばさんはこう口走ったことを思い出す。

俺の持ち得る『力』に気づいてなくては、こんなことは言わないだろう。


しばらく背中を撫でていると、つくばさんはゆっくりと俺の胸から顔を離した。

ライトに照らされたラベンダーの前髪が小刻みに揺れる。


「……本当に、変わったね。

もう、私の可愛い弟じゃなくなっちゃったんだね」


陽菜に甘噛みされた小さなアザを、姉は名残惜しそうに指で撫でた。


首筋に指を当てられたまま、俺はうなずく。


いや、うなずかないといけなかった。


このまま、かわいい弟のままで作品を創れるほど、俺は器用ではない。

何より、そのままでは、銀さんや陽菜、鈴江ちゃんや塩浜さんの想いを冒涜するような気がしてならない。


ぷちゅっ。


「……!」


不意に唇が重なり、上唇が吸われる。


ちゅっ……ちゅちゅっ。


息が止まり、背中に回した腕に力が入る。


むちゅっ……はふっ……んちゅっ。


「んんんっ!……はぁっ……

お、ねぇちゃ……んむっ!」


さらに深く唇が重なり、まるで俺の中にある「何か」を吸い出すかのような姉。

背中を掴むようになで回されて、うっとりとした気分になる。


『ねえ、灯くん。これは芸術よ。

……この香りと共に、共犯になりましょう?』


横丁に初めて行った日。

バイトの手続きそっちのけで、つくばさんに迫られた。

あの時舌に落としていた口中香の香りを思い出す。


……ちゅぱあっ。


どちらからともなく離した唇の周りを手の甲で拭う。


「はあ……


はあ……


はあ……」


「……いつの間にか、キスも上手になったのね」


つくばさんは名残惜しそうに指先で俺の唇をなぞる。


「私の弟は、どこかに行っちゃったね……」


うつむいたつくばさんは、ゴシゴシと目の周りを拭うと、一度も振り返らずにアトリエの奥へと消えていった。


カチ、カチ、

カチ、カチ……


アトリエに、時計の秒針の音が響く。


もう、帰ろう。


何かを振り払うかのように片付けを始めた俺の手は、いつまでも小刻みに震えていた。

【担当:つくば(美大生/灯の「お姉ちゃん」)】

どうして? いつもなら、あなたに触れるだけでアイデアが湧いてきたのに。

今の灯くんからは、私には扱えない、泥臭くて生々しい「人間」の匂いがする。

……私の可愛い弟は、もうどこにもいないんだね。

これが最後。

あなたの熱を、匂いを、全部吸い出して……私は一人で歩き出す。

次回、第97話『夕陽に染まる教室と、陽菜の全肯定』 「ともくん、瑞恵さんにちゃんと『会い』に行けてると思うよ」。

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